真鍮の蠅

@skri

第1話

 蠅が飛んでいる。


 部屋の中の腐乱臭に思わず、鼻をつまむ。


 自分が大家を務めるこのアパートの一室から異臭がするという通報を受けて深夜にも関わらず自分の家からやってきたのだ。


もともとは祖母から受けついだものの一つであったこのアパートは、人の行き来がほとんどなく、今いる住人は祖母の時代からまったく変わらない。


そのうちの一人が住む部屋、2回の角部屋から異臭がしていた。


鼻をつまむということは、口で呼吸しなくてはならないということだ。口から入ってくる空気に思わず吐き気を催す。死体に触れた空気は潔癖症とは程遠い自分からしても言いようのない気持ち悪さを感じるものであった。


なぜ大家であるはず自分がわざわざ死体を確かめるために部屋へ入っているのか。名ばかりの大家ではあったが、唐突に起こった事件を目の前にして、あとから考えても不思議なほど身に余る責任感が沸き上がってきたのだ。


それまで恐怖でろくに動かず、かといって謎の責任感から来るむやみな行動力が後退を妨げていたが、吐き気によってその勢いのままに部屋の前の廊下まで引き返すことができた。



吐き気によって呼吸を止めていた口と鼻から大きく息を吸う、が部屋の扉を開けた時点で廊下中に腐乱臭が漂っており、突然鼻から飛び込んできたそれに自分は遂に腹こみあげてくるものを我慢できなくなった


「おぇぇぇぇぇぇぇぇっ…っはぁ、はぁ」



吐いたことで多少は楽になった気がする。しかし自分がいるのは依然、かの部屋の真ん前、息苦しさを感じながら、仕方なしに鼻をつまんで呼吸を整える。



改めて扉が開け放たれた部屋の内部を眺める。玄関から一直線にリビングへつながるシンプルなワンルーム、その左右にキッチンと風呂場へつながる扉が見える。


自分が入ったときからつきっぱなしであったリビングの明かりが畳を照らしている。畳には何らかの液体がしみ込んでどす黒く滲んでいる。


その黒い畳を見て、先ほど引き返す寸前に見た光景を思い出す。


部屋の隅に横たわっている黒い物体、部屋中を飛び回る蠅と、床をうごめく蛆虫。


その黒い物体から目をそらすことができなかった、正確に言うならばその黒い物体が大事そうに胸の前に掲げた、金色の蝶のネックレスであった。

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