透明背海の彩色師

ヒツジ

第1話 花嫁

「彩色師様、ようこそお越しくださいました。本日は娘を宜しくお願いいたします」


 白いローブに身を包んだ老夫婦に出迎えられて、僕は頭を下げた。


「本日はおめでとうございます。ご息女の門出にふさわしい装いとなるよう、尽力いたします」


 老夫婦は嬉しそうに笑い「どうぞこちらへ」と、僕を奥の部屋に案内する。

 奥に本日の主役である花嫁がいるのだろう。


 僕は、いくつもの瓶が入った籠を抱えて奥の部屋へと入った。瓶の中には様々な色が詰められていて、歩くとかすかにコツコツと鈍い音を立てた。

 奥の部屋で侍女に髪を結われていた黒いドレスの花嫁が、音に気付いてこちらを振り返った。


「ダリアです。彩色師様、どうぞよろしくお願いいたします」


 僕はダリアに見惚れて、一瞬息を飲む。窓から差し込む光が透明な彼女の顔の中を反射して、滑らかな頬のラインや筋の通った鼻の起伏、小さな口元を浮き上がらせていた。

……なるほど、村一番の美人との噂は本当らしい。


「ダリア様、こちらこそよろしくお願いいたします」


 やや緊張しながら、僕は笑みを作って挨拶をした。

 

 老夫婦は結婚式の準備が他にもあると言って、慌ただしく部屋を後にした。

 ダリアの髪が結い終わるまでもう少しかかりそうだ。僕は小さなテーブルを借りて、その上に色瓶を並べていった。

 イエロー、グリーン、ローズピンク、ターコイズ、ルージュ、スカイブルー……。

 机に並ぶ様々な色を目にして、ダリアが目を輝かせるのが分かった。透明なのに。

 

この世界において、鮮やかな色は珍しい。生き物はみな生まれながらにして透明で、光の印影で形が分かるだけ。砂や鉱物はくすんだ色ばかり。衣服等に使われる植物はわずかに黄みがかっているものの、加工の過程でほとんど色が抜けてしまう。


 おそらくダリアは、目の前のたくさんの色のうちの数個しか名前も知らないだろう。

 髪を結い終わった侍女が下がったタイミングで、僕はダリアに声をかけた。


「――気になる色がございますか?」


 僕が尋ねると、ダリアはスッとひとつの瓶を指さした。

 僕は緑がかった青色の瓶を持ち上げた。


「これはターコイズ。大昔にトルコ石と呼ばれる宝石があって、それがこのような色をしていたそうです。今では南の海域の花から採取できます」


「海にはこんな色の花が咲いているの?」


 僕が「ええ」と頷くと、ダリアは「すてきね、見てみたいわ」と笑った。

 それは生きているうちには叶わない願いだ、と口にしかけて、僕はその一言を賢く胸の中にしまった。

 人間は海に嫌われているので、死と共に罪を洗い流されるまで海に潜ることはできない。花を直接見ることができるのは、死者と、極一部の限られた人間だけだ。


 婚礼の日にふさわしい話題ではないので、僕は話を逸らした。


「指先に着けてみますか?」

「お願いっ!」


 飛びつくように答えたダリアに指示して、手の甲を上にするようにして右手を差し出してもらう。

 僕は瓶からスポイトで色を吸い上げて、ダリアの透き通った爪先の先端に一滴落とした。


 ぽた、と落ちたターコイズの雫が、水に溶けるようにダリアの指先に広がる。


「わあ……! きれい――」

 

 ダリアが感嘆の声を上げた。


 彩る瞬間、人々が喜びの声を上げるのが僕は好きだった。

 彩色師の仕事をしていて、一番嬉しい瞬間だ。


「……お姉ちゃん、私も見てもいい?」


 物陰から、おずおずとした声がした。

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