第30話 信用=毒
アンジェリカからすれば、願ってもみないお誘いだった。
どれだけアタックしても絶対にこっちを見てくれないジオが――彼の方から誘ってくれた。
付き合うとか、恋人になるとか、何段階も飛ばした愛情表現の一つ……、ベッドに裸であることが、彼の中の理性を飛ばしたのかもしれない……――それとも。
「……ジオくん……ネム社長と、したいんじゃ、ないの……?」
それとも、死を予感し、子種を残すことを本能的に選んだのか……。
恐らく、今ここにいる『女』であれば誰でも良かった……アンジェリカでなくとも。
きっとオリヴィアでも、アイニールでも……それこそ、ネム=ランドでも良かったのだ。
死ぬ前に子を残す。
そのためだけの、繁殖行動。
ジオの中には、それだけの動機しかなく……、そこに甘酸っぱい好意はないのだ。
アンジェリカが欲しいのは、それではなかった。
気持ちを伴わない愛情表現など嬉しくもない。
ただの快楽のためだけに……、若くて綺麗な自分の体を使わせるなんて――贅沢だ!
「お前でいいよ」
「『で』、いいの?」
そこは、『が』と言ってほしかったけれど……今のジオに期待することではなかった。
「……悪いけど、しないよ。今のジオくんに抱かれても不快なだけだし……、死ぬつもりの男の子供を孕む気だってないんだから」
「うるせえよ……!」
太く、鍛え上げられた腕がアンジェリカに伸びた。……戦争へ、戦場へいくための訓練を、昼夜問わず、体の限界がくるまで繰り返している……。
鍛えているというよりは自分で自分にする拷問のようなものだった。
絶対に正しくはないだろう、体の鍛え方だが……それでも体は正直だ。
痛みを知れば、怪我をすれば、体は強くなる。筋肉もつく。アンジェリカでは振り解けない力と、頑丈な腕が、彼女を逃がさないようにその場に留めた。
「いたっ、痛い、よ、ジオくん……っっ」
「脱げ。それとも俺が脱がすか?」
ジオの指が、アンジェリカの服を引き裂く。
上半身、下着だけになったアンジェリカが、小さな悲鳴を上げて後ろに倒れた。
……悲鳴が、ジオの指の力を一瞬だけ、緩めたのだろうか……、隙を突いて、アンジェリカがベッドから降りる。
「チッ、待て、アンジェリカ!!」
下着姿の彼女の背中を追って寝室を出れば――ジオの顎に重い一撃が入る。
ふと下を見れば、アンジェリカは伏せている……――では、この一撃はアンジェリカではなく……、
「全裸で下着姿の女性を襲うとは……兵士よりも男として失格ですね、ジオ」
「……オリ、バー……ッ!!」
「まあ、オスとしては正しい反応でしょうけど……私たちは人間であり、獣ではない」
ジオ以上に鍛えられた拳が、彼の顔面に突き刺さる。
放物線を描いたジオの体は、ベッドに着地し、二度跳ねてからマットに沈み込む。
硬い地面ではなくベッドに落としたのは、オリバー=キッズの優しさだろう。
「――アンジェリカを襲ったクソ野郎はどこかしら」
と、自身が乗る車椅子を手で動かして――オリヴィアが姿を見せた。
「オリヴィアちゃん……、足、は」
「義足にする案もあったけど、いらないって言ったわ。だって義足があると一人でも大丈夫そうじゃない? でも、片足がなければ人に助けを求めることができる……、アンジェリカのお世話になれるなら、片足なんていらないわ」
「……お、重いよ、オリヴィアちゃん……」
ドン引きの顔で重いと言われても、オリヴィアは気にしていないようだった。
重く感じるほどに好きだということを明かしているのだ、今更、アンジェリカにどれだけ引かれてもいいと思っているのだろう……。
一番でなくてもいい……、たまに思い出してくれるだけで――充分ではないにしても、それ以上を求めるのは贅沢だと思っているのかもしれない。
オリヴィアは欲しいものを手に入れようとするが、しかし手元にあるという実感さえあれば遠慮もできるのだ。
ただし、それも『アンジェリカ』がいることが前提である。
「アタシのアンジェリカを壊そうとするなら、アンタを先にぶっ壊してあげるわ、ジオ」
頭を貫くような衝撃が抜けたことで、ジオも冷静になってきた……、車椅子に座ったオリヴィア、彼女の付き添いをしていたのだろう……オリバー=キッズ――。
どうして俺の部屋にいる? という疑問がまず浮かぶ。
「久しぶりのアンジェリカとの対面でしょ? 訓練漬け生活のアンタが、可愛いアタシのアンジェリカを見れば、獣になって襲うかもしれないし……と思って駆けつけてみれば、案の定ね」
アタシの、という部分は全員がスルーした。
いちいち指摘していたらずっと立ち止まったままである。
……アンジェリカはついさっきまで、オリヴィアが入院している病院で寝泊まりをしていた。
オリヴィアが無理強いしたわけではない。
アンジェリカが自らオリヴィアの面倒を見ると手を挙げてくれたのだ。
……まあ、オリヴィアも内心では、純粋な好意だけではないのだろうと勘付いてはいたが……それでも嬉しいことには変わりないのでなにも言わなかった。
それでも、数日間も病室で寝泊まりしていれば、アンジェリカの深いところの胸の内も分かるというものだった。
ジオに数日会わないだけで、どんどんとやつれていく様子を見るのはしんどかった……、すぐ傍どころか、いる場所が病院なので、いざとなればアンジェリカのためにナースコールを押すつもりではあったが……。
それに、世間も緊張していた。そのストレスが同時にアンジェリカにも襲い掛かっていれば、倍の早さでストレスが心を蝕む。
アンジェリカに必要なのは薬でも休息でもなく、ジオと会うことだった。
「アンジェリカよりもアンタの方がより酷い状態だったわけね……失念していたわ」
オリヴィアの眼中にないのだ。
ジオの状況など、知ったことかと一蹴できる。彼女は案の定、とは言ったが、ほんの小さな可能性の一つを危惧しただけであり、まあないだろうと思っていたことでもあった……。
もしも小さな危惧を『大丈夫だろう』の推測でこの場に駆け付けていなければ、アンジェリカは今頃、理想とは違った形で襲われていたはずだ……――本当に壊されていたかもしれない。
少なくとも今のアンジェリカではなくなってしまうだろう。そう考えるとゾッとする……。
絶対の味方であり続けるわけではない……、ジオだって、人の子だ。
そして。
味方だと思っていた者に裏切られた経験は、ついこの前、体験したばかりのはずだ。
「アンタを中途半端に信じるべきじゃなかったわ……」
「――オリヴィアちゃん! ジオくんだって……っ」
「分かってるわよ。大変なのはみんな同じ。これはアタシの問題なの。……中途半端に信じるからこうなる。全面的に信用するか、疑ってかかるか、どっちかに寄るべきだったのよ。
だから都合の良い時だけ『信じていた』だの、悪いことが起きれば『やっぱりね』なんて言うのよ……そうなるくらいなら、アタシは偏る方を選ぶわ」
「で、お前から俺への評価は、どっちだ?」
「疑うに決まってんでしょ」
「そりゃそうだ。……そうであってくれ、お前だけはそっち側にいろよ」
アンジェリカは言わずもがな……アイニールもアンジェリカに近いだろう。
ネム=ランドは信用する、疑うで見ていない気がする……、彼女はジオを見限ったのだ。
……本当に?
考えたそれは、希望的観測である。
今のところは、無関係を貫かれている状況だ。
そのため、ジオの周囲の女性は、『信用』に傾いている。これでオリヴィアまで『信用』してしまえば、ジオを咎める者がいなくなってしまう……。
ジオの間違いを注意することもなく――、
だからオリヴィアには、いつまでも『疑って』いてほしい。
「アンタがそれでいいなら、苦じゃないから疑っておいてあげるわ」
「ああ、頼む」
「……ねえ、なんだかわたしよりもオリヴィアちゃんと距離を詰めてる気がするんだけどー」
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