第10話 二人の関係
ジオがアンジェリカを恋愛対象として見ていないように、ネムランドもまた、好意を寄せてくれているジオを、恋愛対象としては見ていなかった。
年下だから、ではない……まったくないわけではないが、たった二つの差なんてないようなものだ――だから年齢ではない。
ネムランドにとって、ジオは結局、まだ人間なのだ。
人間社会に溶け込み、人間を知ったとは言え、やはり翼王族から見た人間でしかない。ジオは良い子だ、善い人間であることは分かっている……だが、それだけで恋愛対象になるかと言えば、違う。これを覆すことは、数年では無理だ――。
人間が翼王族の社会進出を、未だに全面賛成していないように。
ネムランドが必死になって翼王族の『生きる権利』を買っても、翼王族の命を奪う人間は減ってはくれないのだ。
……翼王族が滅ぶ前に。なんとしてでもこの世界で生きる権利を獲得し、生活する術を見つけなければ――恋愛なんて、できるわけがない。
「ごめんね、ジオくん。仮にできても――君じゃない」
ネムランド……正確には、ネム=ランド。
翼王族の中でも【ランド家】と言えばかなり地位が高い名家であり、ネムはその家の一人娘だった……そして彼女には婚約者がいた。
だが彼の所在は掴めず、この世にいるかどうかも怪しいが……、この目で死んだことを見ないことには、諦め切れなかった。
ネム=ランドが持つ障害は多い。
翼王族の、一人の姫としても――恋する女の子としても。
意図せず翼王族の代表となってしまった彼女は、頼れる人間こそいても、縋ることができる翼王族はいない。だから彼女は……、立ち止まってはいられない。
立ち止まってしまえば、一度でも休んでしまえば、二度と立ち上がれないだろうから……。
進み続けることが救いになる。
彼女が歩く道は、誰も先導してはくれない。
「ジオくん、疲れたよー……」
仕事を終え、自宅へ戻ってきたアンジェリカは、ベッドの上にばたんきゅーだった……、ジオがそれをすると「汗だくのままベッドに乗らないで!」と怒るくせに、自分がするのは構わないらしい。自制できないほどに疲労困憊なのかもしれない……。
おっさんの汗と美少女の汗とでは、また違うだろうし……、ジオも、アンジェリカの行動を咎めるようなことは言わなかった。
「風呂はどうする? 先に飯を食うか?」
「んー、ジオくんはどっちがいいー?」
「とりあえず風呂に入る。俺も汗だくだしな……」
それを聞いて飛び起きたアンジェリカが、にたー、と笑ってジオの背中に飛びついた。
「今日こそ一緒に入ろうよっ」
「二人も入れる広さじゃねえよ。
……入るなら先にいけよ。俺はお前の後でいいから」
「えー」
「テキトーに飯を作っておく。……焼き飯でいいか?」
ジオと風呂に入ることよりも空腹が勝ったようで――「うん! 味、濃いめで!」と言い残したアンジェリカが、走りながら服を脱ぎ捨て、風呂場へ向かった……。
ブラジャーを床に落とすのは女子としてどうなんだ? とも思うが、それだけ自分の家のようにリラックスしてくれているのなら良かった……。
環境が変わればストレスで体調を崩すものだが、アンジェリカは初日から今まで健康体である。健康過ぎるくらいだ……。
夜遅くまで遊ぼうと誘ってくる無尽蔵の体力、短い睡眠時間でありながら、次の日の仕事に疲労を持ち越さない。これが若さなのか……?
いや、同じ年齢の時、ジオもここまで体力バカではなかった気がする……、やる気はみなぎっていたものの、体力が追いつかずに体調を崩していた。
求められる技術も、従属意識も高かった会社だった――、
それが、精神を病んだ直接の原因なのだろう。
社会に出ることは首輪を繋がれることだった。
憧れた大人の世界は子供の時に思っていたほど輝いている場所ではなかったのだ……、じめじめとした、悪天候の真下のような場所で――ただ、それも会社によるだろう。
ネムランドが仕切る『デリバリー・エンジェル』は、労働量が多くて大変ではあるものの、精神的な疲労は少ない気がする――それは上司のおかげか、隣で同じ大変さを共有してくれている部下のおかげか……。
仕事は大変かどうかではなく、同僚の人が良いかどうかだった。
少なくとも、ネムランドとアンジェリカが身近にいる今の生活は、楽しかった。
どれだけ給料が高い会社でも、縦と横の繋がりがなければ続かないはずだ。
……ジオが苦しんだ会社は、つらくてもそこにいたい、という牽引力がなかったのだ。
辞める時、強く引き止められもしなかった……そういうところも含めて、なのだろう。
「うわ、でっけえなあ……」
落ちていたブラジャーを拾う。
服の上からでも分かるアンジェリカの大きな胸は、昔を知っているからこそ、その成長の幅に驚かされる。
当時はまさかここまで女性らしくなるとは思っていなかったが……、別に、抱え込まなかったことを後悔しているわけではない。
アンジェリカには悪いが、胸が大きいだけの女性ならいくらでもいる。
翼王族という顔面偏差値のハイエンドがいるとなると、人間の美人など霞んでしまうのだ。
……だが、小さかった時のアンジェリカを知っているからこそ――、成長ゆえに気づかされる、遅れてやってくる色気に、くらっとしてしまうことはあるのだ。
「……なんでこいつ、透けた下着なんて……」
……言わずとも予測はつくが。
未だに分からない。どうしてアンジェリカから、こうも好意を寄せられているのか。
なにかした覚えはないんだが……と、ジオは首を傾げるが。
惚れられた側は、大体がそういう感覚である。
自覚がないのだ――どうしても。
「ジーオーくーんー?」
水の音は止まっていないから、と油断していた。
気づけば開いていた風呂場の扉の隙間から、アンジェリカが覗き見していた――、覗くなら俺の方だろ!? という指摘は、アンジェリカの調子を上げるだけなので言わなかったが、しなくても良かった配慮だっただろう。
「あたしの下着、どうするの? 嗅ぐの!? しまうの!? 大歓迎なんだけど!!」
「するか! お前が床にぶちまけていくから拾ってやってんだろ!
いいから風呂場に戻れよ! 湯気の奥で、その火照った体を見せてくんな!!」
普段は見られない白い肌だ。
胸元、肩、太もも……、狙ってやっているのだろうが、いちいち見せてくるアンジェリカのその手の平の上で、ジオは戸惑うばかりである。
ジオの反応に、よしよしとアンジェリカも小さくガッツポーズを決めている。
大胆に見せず魅力を小出しにしていく……、気持ちが完全にネムランドへ向いているジオを傾けさせるには、お預けが効果的だ、ということを本能的に悟ったのだろう。
アンジェリカなら初日に裸で押し倒していただろうが、彼女の中で警鐘が鳴ったのだ。
たぶん、それをしたらジオとの可能性はゼロになると。
だからこそ、攻めながらも攻め過ぎず、かと言って守り過ぎでもなく――、ちょっとだけ、を見せ続けることで、色気をジオの中で増幅させることを選んだ。
これは餌である。
……努力をしないと手が届かない位置にある餌だからこそ、より魅力的に映るのだ。
黙って座っていれば出てくる餌は食べなくてもいいと感じられる。
だけど自分から求めないと食べられないのであれば? 悩むだろう……。
そして、悩ませた段階で、アンジェリカ側に傾いた証拠だ。
「ジオくん、入る?」
「しつこいぞ。入らねえよ」
「はーい。じゃあまた今度ね」
「今度もねえよ」
どーかなー、と、扉を閉めたアンジェリカが、そう口の中で呟いた。
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