undercooled
踊る猫
220920
こんなことを考えたことはないだろうか。もし今日、あなたが死んでしまうとしたら。こんな問いからぼくはこの文章を始めることにしたい。もし今日、ぼくが死んでしまうなら……もちろん、そんなことは起きない。あなたもぼくも、今日を生き延びて明日も生きる確率は高い。でも、世の中には「もしも」ということもある。もし、ぼくが心臓発作を起こしたとしたら。もし、ぼくの住んでいる建物がテロで破壊されたとしたら。もし、不意に直下型地震が起こったとしたら。そんなことはそして、「絶対にありえない」ということではないのだ。
ぼくはずっと、この「もし今日、ぼくが死んでしまうなら」という考えに悩まされてきた。今日死なないという保証はない……でも、そんなことを考えながら生きていたら明日の予定も立てられないし未来に明るいヴィジョンを描くことだってできない。でもこれはぼくの性というやつだ。起こりうることなのだとしたら、それを無視して生きるわけにはいかない。でも、いつか死ぬことがありうると心配して生きていたら明るく生きることもできない。そんなことについてどうしたらいいのかわからない。どうしたらいいのか……。
こんなぼくの考え方は、哲学的だと言われることがある。でも、ぼくは何もクールぶってこんな生き方を選んでいるわけじゃないということを言いたい。ぼくは知的に振る舞いたいからこんなことを考えているわけじゃない。ぼくにとってこれは性というやつだ。生まれついた時にすでに体得していた考え方なのか、それとも生きてくる中で学んだ生き方なのかわからないけれど、ともあれぼくはこの考え方・生き方がしっくりくるから今もそれに則って生きている。このスタンスを手放して生きることはできない。ぼくにとって、それはライナスの毛布のようなものだ。
ところで、ぼくは最近オードリー・タンという台湾の政治家の本を読んだ。オードリー・タンという人も、彼女の人生において長期計画というものは立てずに今日一日に何をなすかを大事にすると語っていた。そうでないと、いつ自分が死ぬかわからないから、という。彼女のような賢い人でさえもそうした「いつ自分が死ぬか」という可能性を組み込んで生きているのだと考えたら少し嬉しくなった。いや、現実的な考え方ではないことには変わりはないけれど、少なくとも「いつ死ぬか」考えながら生きる人間はぼくだけではなかったのだな、とも同時に思えたからだ。
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