第09話
隣国の王太子に続き第二王子まで迎える運びとなってしまい、ドロイット子爵家は上へ下への大騒ぎだった。
一応ルーサーはお忍びの体をとっているらしいが、それってどこまで通じるのだろうとセシリアは思う。
そんな物思いに、屋敷の浮ついた様子とは隔絶した場所で、セシリアは耽っていた。
セシリアは今、反省室にいる。
「公女様ー、ご本読んでー」
「こっちのにしてー」
……双子と一緒に。
久しぶりに会ったルーサーは、相変わらずセシリアを見るなり親の仇でも見るような目付きで睨みつけ、挙句に何故かミルフォードと結託してセシリアをこの部屋に閉じ込めた。
(仲が悪いんじゃなかったの、あの兄弟……)
胡乱な眼差しで空を睨む。
それから双子から差し出された絵本に目を落とし、抑揚の無い声でポツポツと物語を口にする。
やがて不満を口にし出した双子に乗せられ、セシリアは身振り手振りを加えて舞台を演じ始めた。
……これはセシリアも子供の頃に読んだ、誰でも知っている小さい子向けのお話である。
フォート王国の神樹の葉は過去への回帰を導いて。
アドル国の聖樹の枝は未来を視せる。
この物語は二国を指す創国神話を、子供向けに解釈したものだ。
物語は生まれたばかりの時の神が子鹿に扮し、狩人の罠に掛かったところから始まる。
そこに通り掛かった若い娘が子鹿を哀れに思い、鹿を罠から助けてやるのだ。
けれど神は余計な真似をするなと娘を厭う。
自分は時の神であり、こんな失態は時を遡ればすぐ取り戻せる。だから人の手の助けなど必要ないのだと。
それを聞いた娘は不思議そうに首を傾げた。
『けれど神様でも、怪我したら痛いでしょう?』
そんな娘の一言に興味を持った時の神は、彼女に付き合い手当を受ける事にした。
やがて彼女と時を過ごすにつれ、時の神は時間を戻す事に恐怖を覚えるようになっていく。
娘との時間を無かった事にしたくない。
だから娘を天界に召し上げる事にした。
しかし娘は懸念した。
人の理を外れる事や、家族と離れる事に。
それでも神の執着から逃れる事は出来ず、娘は天界へと旅立った。
二人は長く幸せに暮らした。
けれど娘の身体はあくまでも人のもので、神の世に馴染む事は無かった。やがて心を病むようになった娘は甘言に惑わされ、神を裏切った。
怒りと悲しみに囚われた神は娘を弑し、やがて後悔に苛まされる。
そして娘と会う前に時を戻せばいいと思いたつ。
神はやり直しを決意し時を遡った。
しかしまだ幼い時の神は遡る度に記憶を無くし、同じ歴史を何度も繰り返してしまう。
幾度となく繰り返されたやり直しの果てに、やがて全ての記憶を持ち過去に遡った時が来た。
『けれど神様でも、怪我したら痛いでしょう?』
そう神を労った娘はやがて、自分に刃を向けるのだ。
絶望をその目に宿した娘を思い出し、神は泣いた。
急に泣き出した子鹿にオロオロする娘へと、神はこの身を救った褒美と称し、神樹と聖樹の苗を与えた。
『お前に過去と未来を与えよう。それは時の神である私の持つ全てだから』
それだけ言い置いて去る神を呆然と眺め、娘はその得た苗で時を支配した。
危険を回避し、富を得、歴史を学び
そして全てを手にした娘は国を打ち立て、一国の女王となった。
けれど娘はその力故、裏切りに会い死地へと追いやられてしまう。そうして追い詰められた彼女が聖樹の枝の向こうに彼女が見たものは、もう決してありえない未来。
あの時の子鹿と結ばれ、天界で平和に暮らす自分。
そして自分が裏切られるのではなく、裏切り者となるもう一つの人生。
神からの褒美を有難がり、彼の想いも苦悩も知らぬまま生きてきた自分を責め、女王となった娘は果てた。けれど人の身のまま死の国へと向かった娘と、時の神はもう交わる事はできない。
それでも神はもう時間を巻き戻す事はしなかった。
どう干渉しようとも、彼女を救えないと学んだから。
神の手を離れた神樹と聖樹は人の世に根付く。
諍いの中、燃やされ折られ、やがて別れ、それでも生きながらえ人の手を渡り、秘匿され継がれてきた。
やがて幼かった神は成長したが、もう人の手を取る事はない。
けれどその施しの行方を常に見ている……
「──暗っ! 何かしらね、これ!」
幼い頃の感想と同じものをセシリアは吐き出した。
「えー、神様は見てるってお話でしょー?」
「争いはよくないってお話だよー?」
純粋な二対の眼差しにセシリアは喉の奥で唸る。
「……まあ、そうなんでしょうとも」
そもそも、この物語が国から廃れないのは、神樹と聖樹があるからだ。いつからか所有者が分かれたそれらは、御伽噺と称されながらも確かに在る。在ると知る者がいる限り、きっと無くなりはしないのだろう。
──神は見ている、とか。
(見てるだけじゃなくて助けなさいよ。あなたは私と違って、思い合っていたじゃない……)
絵本を掴む手に力を込め、セシリアはそこに描かれた時の神の挿絵を睨みつけた。
ミルフォードが前に飛び出して、セシリアは胸の奥に氷の刃を突き立てられたように冷たくなったし、痛かった。
(……ミルフォードが死んじゃうかと思った)
指先で絵本の挿絵をそっと撫でる。
きっとあの時、ミルフォードは神秘の力を使ったのだと思う。
彼は未来を視て、最善最短でドラゴンの急所を突いた。
そうでなければあんな一閃で、ドラゴンを倒すなんて無理だろう。
(……でもそんな事をすれば、身体に負担があるでしょうに)
思わず唇を噛む。
時間という代償を払う間もなかった。だからミルフォード自身に掛かる負担はきっと安いものでは無かった筈で──
チラと双子に目を向ける。
双子はあの場の出来事は、ほぼ恐怖で覚えていない。
けれどそうでなければ両王家が秘匿する、神秘の力を目の当たりにした者を放逐する事は出来なかった。
反省と称しセシリアを双子と部屋に押し込めたのも、そんな監視の意味も兼ねているのだと思う。
因みにセシリアが山頂で使った「転置」は、転移魔法との融合であり、確かに珍しいものではあるが、魔具の範囲を越え切らない。
転移魔法といえば、一般的に国が定めた公共施設に陣を敷き、使用には申請や費用、手続きと時間が諸々掛かる。
セシリアが扱う分には「公女だし」でギリギリ許されるもので、神秘の力が加わっているとは専門家でもない限り作用の解明はできない。──とは、製作者の談である。
その辺に関してはきっとモーリス辺りが情報操作に奔走している筈だから大丈夫。問題はない。
まあいずれにせよ……セシリアがいる事で双子は幾分か不安を解消しているので、こうしているのは
「公女様、きちんと反省しないとお仕置き長くなっちゃうよー?」
「ちゃんと王子様にゴメンなさい言えるー? 一緒に言ってあげようかー?」
キョトンと丸い瞳を瞬く双子に毒気を抜かれ、セシリアはパタンと絵本を閉じた。
「……大丈夫よ、いらないわ」
どうやらこの双子、セシリアと自分たちを同等だと思っているらしい。セシリアは二人より十歳は年上なのだ。慕ってくれるのは嬉しいが、複雑である。
「──ふん、部屋に押し込めるだけでは反省などしないのか? フォート国の公女は傲慢な事だ」
温度を感じない声に振り返れば、アドル国第二王子のルーサーが扉に背を預けこちらに顔を向けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます