第220話 遅いですよ


 舞台は日向の家の庭。

 音叉を持った部長が、今まで見た事ないくらいに動き回りながら何度も音叉を叩いている。

 まるでダンスのステップを踏むかのように動き、やけに大きな“八咫烏”の突進を避けながらひたすらにその音を奏でていた。

 オーディエンスはオカ研の皆と卒業生が一名。

 少ない観客の中、部長は冷たい目をしながら踊り狂っていた。


 「……部長。くそっ!」


 「徹! 部長の結界で“ブギーマン”が近づけない!」


 「部長の方は未来が良く“視え”ません! 多分こちらも“結界”の影響です!」


 怒号の様に飛び交う言葉を、私は何処か遠くで聞いている気分だった。

 何だこれ、まるで映画の世界だ。

 登場人物が傷つき、絶体絶命の状況。

 そして主人公が一人奮闘している。

 私は、一傍観者に過ぎないのだろう――


 「一花! 早く動いて! このままの“未来”だと、天童さんに茜さんが襲い掛かる!」


 「わ、分かった!」


 いつまでも呆けている場合ではなかった、私は“キャスト”に含まれているのだ。

 日向の声で我に返り、今一度気合いを入れ直す。

 私だって何も出来ない訳じゃない。

 “何も出来ない”私だからこそ、“出来る事”があるのだ。


 「ごめ……情けないね」


 だいぶ無理した様子で声を上げる天童さん。

 その口からは、むせ返る度に血液が泡の様になって零れている。

 これって、もしかして肺が……。


 「今、救急車呼びますから! あと草加先生も呼びますから! 大丈夫、大丈夫ですからね!?」


 まるで自身に言い聞かせるように声を上げ、119番に電話を掛けた。

 定型文の様な質問をして来る相手に住所と容体を伝え、その後すぐに草加先生に電話を掛ける。

 プルルルルル、と鳴り響く呼び出し音。

 お願い、出て。

 目尻に涙を溜めながら着信音を聞いている間にも、背後では部長と“八咫烏”が戦っている。

 無理だよ、相手は神様なんだよ? 勝てる訳ないよ。

 マイナスな思考で塗りつぶされそうになる、何も出来ない自分が悔しくて仕方がない。

 今にも泣き叫んで蹲ってしまいそうになる絶望の中、気の抜けた声が聞こえてきた。


 『おっすー、どした? なんかあったかぁ?』


 向こうは今何かの催し物の最中なのか、周りが騒がしい。

 本人もお酒でも飲んでいるのだろうか? ちょっといつもより間の抜けた声が電話越しに聞えてくる。


 「草加先生。お願いです、助けてください……」


 声を振り絞る様に言葉を紡げば、電話越しに息を整える様な呼吸音が聞こえてきた。

 その間彼は喋らず、周りの音が随分とよく聞こえる。

 やっぱり、ダメなんだろうか。

 都合よく彼を頼りにしても、現実は覆らない。

 考えてみればそうだ、こんな状況どうやってひっくり返すんだ。

 一人は満身創痍、他の皆だって多分怪我をしている。

 部長は冷静さを欠いている様で、“八咫烏”と正面切って戦っている。

 こんな状況、覆せるわけが……。


 『環、場所はどこだ? すぐに行く、待ってろ』


 力強い声が、スマホのスピーカーから響き渡った。


 ――――


 何度も何度も音叉を叩く。

 音を調整し、範囲を調整し、距離を取る。

 ここまで“難しい相手”と戦った事はあるだろか?

 集団戦なら“烏天狗”なんかは難しかったが、一個体ではこんな事初めてだ。

 正直、周りを見ている暇がほとんどない。

 というか、“八咫烏”を視界に収めているだけでも精一杯だ。


 「鬱陶しい!」


 顔のすぐ隣を通過した嘴に舌打ちをかましながら、再び音叉を叩く。

 コレが“神様”なんて呼ばれる怪異の実力なのか。

 改めて実感させられる。

 まず“音”が合わない。

 私の音叉は怪異の強さや距離を測り、調整する事で“結界”を作成する。

 でも、相手を祓おうとするなら話は別だ。

 “雑魚”程度なら“結界”に入れているだけでも祓えるが、それ以上となると更なる調整が求められる。

 普段イメージするのは“壁”と“空間”。

 私達と相手を遮る為に作ったり、相手を閉じ込める為に作るのが“結界”。

 それだけを駆使して祓うとなれば、当然“壁”で攻撃しないといけなくなる。

 何をするかと言えば二枚の“壁”を作り、押しつぶすのだ。


 「とは言っても、なかなか難しいものですね! クソ上位種!」


 神様なんて呼んでやらない、お前は“上位種”で十分だ。

 私の友人を苦しめ、大事な人に大怪我を負わせた。

 絶対に、“殺してやる”。

 ――クアァッ!

 “八咫烏”が鳴き声を上げるが、そんなモノ知った事か。

 コケ脅しなど効かない、お前は今この場で排除する。

 音叉を振り、再度音を調整した。

 とはいえすぐ“音が合う”モノではない。

 それどころか、守る為の“結界”を張るだけでも精一杯だ。

 コレが“神様”と呼ばれた化け物の力。

 今まで俊君が、私達が頼って来た“獣憑き”の力。

 そう考えると、油断も隙もあったもんじゃない。

 気を抜けば首元を狩られる、一瞬でゲームオーバーだ。

 とんだクソゲー、ふざけんなと叫びたくなる。

 そんな事を考えながらも、チラッと天童先輩を視界に入れた。


 「お前だけは……絶対に!」


 なんて叫んで、もう一度音叉を振るおうとしたその時。

 視線を戻した先には、黒い羽が大量に舞っていた。

 あれ? さっきまでココに“八咫烏”が居ましたよね?

 そんな事を聞こうとも、誰も答えてくれる筈もない。

 ただただ黒い羽が宙を舞い、今まで捕らえていた巨大な烏の姿がどこにもない。


 「部長! 伏せて下さい!」


 誰が叫んだ声が聞こえ、反射的に膝をおった。

 次の瞬間には頭上を何かが物凄い勢いで通り過ぎ、黒い羽が落ちてくる。


 「助かりました、三月さん」


 呟きながら通り過ぎた相手に視線を向ければ、烏が苛立たし気に羽ばたいている。

 先程までは成人男性程もありそうな大きな烏だったのに、今では通常の烏と変わらないサイズ。

 急にサイズを変えて、かく乱しようとでもしたのだろうか?

 とはいえそんな幼稚な作戦が、見事成功してしまったみたいだが。


 「しかし……やはり夜に烏を探すと言うのは一苦労ですね。サイズまで小さくなると余計に」


 そう呟いた次の瞬間には空高く舞い上がり、再び上空から私の事を狙ってくる。

 正直、上に逃げられてしまうとほとんど目が役に立たなくなる。

 真っ黒な夜空に、漆黒の烏だ。

 お前鳥目じゃないのかよ、と言いたくなるところだがどうやら“八咫烏”には関係ないらしい。

 全く、忌々しい限りだ。


 「なんて、恨み言を言っても始まりませんからね」


 再び音叉を叩き、音を調整しながらイメージする。

 思い浮かべるのは鳥籠。

 半円型のいつもの結界大きく張り、“八咫烏”を中に閉じ込めてしまえばいい。

 少なくとも、そうすれば逃げられる心配はないはずだ。


 「目には見えないけど、聞こえてますよ? 貴方の羽音」


 ――キィィィン! と甲高い音を響かせ、周囲一帯を包んでいく。

 大丈夫、捕らえた。

 結界の中からアイツの羽音が聞こえてくる。

 後はもう内側から何枚も重ねてやれば……なんて思った、その時だった。


 「一花! 天童さんを連れて離れて! 真上から来る!」


 「え?」


 三月さんの声が再び響き、思わずそちらへ振り返ってしまった。

 明らかなミス、さっさと結界を重ねていれば防げたかもしれないのに。

 私は再び、意識を相手から逸らしてしまったのだ。

 視界の先にあるのは天童先輩の腕を肩に回し、必死で立ち上がろうとしている環さんの姿。

 そしてその遥か上空から迫る、小さな黒い影。

 やばい、コレ……間に合わないかも。

 なんて思った次の瞬間、私は思いっきり音叉を投げつけた。


 「天童先輩!」


 何か策があった訳じゃない、彼の名を呼んだからって何かが起こる訳じゃない。

 そんな事は分かっていたのに、私に出来る事はソレしかなかったのだ。

 だって私の作る“結界”は、音叉を中心として張り巡らされるモノなのだから。

 ――ギィィン! と、彼の足元にぶつかった音叉が高い音を上げながら反動で宙に舞う。

 その“音”はとてもじゃないがちゃんと“結界”が張れている様なモノではなかった。

 無暗やたらに叩きつけただけの、“怪異”にとって不快に感じる程度の雑音に過ぎないだろう。

 多分アレじゃ、“雑魚”さえも祓えない。

 でも、それでも。

 彼から標的を変えてくれればそれでいい。


 「部長! またそっちに、下です! 避けて!」


 どうやら私の目論見は達成された様だ。

 “八咫烏”は標的を再び私に戻し、今度はこちらへと向かってきているらしい。

 とはいえ、避けてと言われましても。

 下って何処から来るのよ、まさか地面を突き破ってくる訳じゃないよね?

 なんて事を考えながら視線を下げれば、地面スレスレを這うようにナニかがこちらへと向かって来ていた。

 あぁなるほど、下からってそう言う事か。

 なんて、どこか感心した心境のまま近づいてくる黒い物体を眺めている。

 あの時目を離さなければ。

 冷静に“耳”を駆使して、相手の場所を探っていれば。

 後悔ばかりが渦巻くが、今となってはもう手遅れだろう。

 すぐ目の前に迫った三本足の烏は、数秒後には私を貫く筈だ。


 「なんて、簡単に諦めるくらいなら過去に何度も死んでますよ!」


 無理矢理体を捻って、私の足元から急上昇してくる“八咫烏”を何とか避ける。

 マトリッ〇スみたいな避け方になってしまったが、それでもなんとか回避には成功した。

 正直瞬発的な動き過ぎて、腰が砕けるかと思ったが。

 とはいえ“八咫烏”にも予想外な動きだったのか、通過しながら悔しそうな鳴き声を上げ再び旋回してくる。


 「はっ! 獣風情が、大したこと無いですね」


 なんて、煽り返してやった所ですぐ隣から紫色の炎が立ち上った。


 「え、ちょっ、何!?」


 「部長! 離れて! “結界”が解けて、茜さんが来てます!」


 どうやらいつの間にやら茜さんがすぐ隣まで迫っていたらしく、彼女に対して上島君が札を投げつけていた。

 それでも彼女は止まることなく、こちらに向かって歩み続ける。

 札が効いていない訳じゃない、確実に彼女の事を傷つけている。

 それでも茜さんは止まらない。

 いや、“止まれない”のだろう。


 「あぁくそっ! 上島君、一旦茜さんをお願いします!」


 一度彼女用に“結界”の一つでも張りたい所だが、生憎と手元に音叉がない。

 苦し紛れではあるが、とにかく足を動かして茜さんから距離を空ける。


 「環さん! 音叉を!」


 「は、はいっ!」


 一言叫べば伝わった様で、彼女は私に向かって音叉を投げ返してくれた。

 叫んでから気づいたが、私は別に運動神経が良い訳じゃない。

 むしろ運動は苦手だ、こんなに動き回ったのだから明日は全身筋肉痛確定だろう。

 そんな私では、もしかしたら投げられた音叉をキャッチ出来ないかも……とかなんとか不安に思った訳だが。


 「うそぉ……」


 偶然か、それとも環さん技なのか。

 伸ばした掌に、正確に音叉のグリップ部分が帰って来た。

 というか少し前までの私だったらこんなアクティブな方法、想像できなかっただろう。

 私は後衛であり、サポート役だった。

 だというのに、今では最前線に立っているのだ。


 「全く、変われば変わるもんですね!」


 音叉を強く叩き、もう一度“結界”を張り巡らせる。

 コレで両者とも、容易に接近出来なくなったはず。

 烏の方には足止め程度にしかならない可能性もあるが、茜さんの方は確実に行動を阻害できたはず……。

 ――クアァ。


 「え?」


 今しがた作った結界が、バリンッと音を立てて壊れた。

 その影響なのか、音叉の振動はピタリと止まり完全に無防備な姿を晒してしまった。

 茜さんに合わせて作った結界、だからこそ一時的に彼女は引きはがせた。

 とはいえ“上位種”に対して作った“結界”なのだ。

 音が合っていなくても、簡単に壊せるはずが……。


 「ほんっと、癪に障る烏ですね」


 すぐ近くで、“八咫烏”が羽ばたいていた。

 バクンッと音がしそうな程、大きく開けた口を勢いよく閉じる烏。

 その瞬間、上島君が投げている札のほとんどが“消失”した。

 話しに聞いていた、コイツの“捕食”。

 間違いない、私の結界もコレで“喰われた”のだ。

 そんな“上位種”が、ニヤリと目元を歪ませる様に笑う。


 「こんのっ――!」


 恨み言の一つでも言ってやろうかと思った瞬間、再び私に向かって加速する“八咫烏”。

 あ、やばい。

 この距離は本格的に不味い、避けられない。

 音の調整だって、間に合う筈のない距離に詰め寄られてしまった。

 なんて、どこか冷静になった頭は別の事を体に命じ始める。

 無意識の内、嘴を私の喉に向けて突進して来る烏から視線を外し、私を守ってくれたその人に視線を向けてしまった。

 馬鹿だな、一瞬でも警戒を解けば即敗北に繋がる。

 そんな事ゲームでも、現実でも散々味わってきたはずなのに。

 だというのに私は目の前の“敵”ではなく、他の人を見ていた。


 「……すみません」


 何故か、謝罪の言葉が浮かんだ。

 私は次の瞬間には“終わる”のだろう。

 彼を残して先に逝く事に、どこか心に引っかかりを覚えるが……もう間に合わない。

 全てを諦めて眼を閉じた、次の瞬間。


 「パルクール新記録だぜぇぇぇぇ!」


 頭上から、野太い声が振って来た。

 更に衝撃、風圧。

 私に訪れる筈だった数秒後の未来が、今この瞬間消し飛んだ事が分かった。


 「……あー、えっと」


 私は、このシリアスブレイカーを知っている。

 もっと言えば絶体絶命のこのタイミングで、全てを諦めたその時に何故か現れるこの人の元、日々活動しているのだから知らない訳が無いのだ。

 だからこそ、言ってやろう。

 前の部長がいつも言っていた台詞を。


 「遅いですよ、浬先生」


 「今日ばかりは“早いですよ”と言って欲しかったんだがな……まっ、わりぃな。待たせた」


 一体どこから現れたのか、この化け物教師は。

 ジャージ姿の浬先生が“神様”とやらの足を掴んで、獲物を捕らえた野生児の様に掲げている。

 その手にあるのは私達にとって“最悪”となった神様。

 三本足の烏が、情けなく足を捕まれ吊るされている光景だった。


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