第207話 獣憑きの二人


 暗い室内。

 耳に当てるスマホから鳴り響く呼び出し音。

 正直、あまりこの音を聞くのは好きじゃない。

 僕から誰かに連絡を取る、という事自体あまりしない。

 いつからだろうか。

 いくらコールを鳴らしても出てくれないんじゃないか? なんて恐怖を覚えてしまったのは。

 多分、小学校の頃からだったと思う。

 姉さんからのメールを見て、急いで電話を掛けた。

 でもいつまで経っても繋がらない。

 その数日後には、茜姉さんにも繋がらなくなった。

 あの頃から、僕は電話を掛けるという事が苦手になった。

 最近はその感情もずっとマシになって、皆と普通に連絡を取れるくらいにはなっていた筈だったのに。

 何故か、今日だけはあの時の感情がぶり返してしまった。

 グッと唇を噛みしめ、ただひたすらにその音を聞き続けた。

 そして――


 『もしもーし? 珍しいね、俊君から連絡してくるなんて。どしたー?』


 底抜けに明るい声が、電話越しに聞えてくる。

 その瞬間、全身の力が抜けた気がした。

 あぁ、この人はいつ連絡しても絶対に返事をくれる。

 そんな風に思ってしまえば、誰かと連絡を取ろうとする時真っ先に彼女に頼ってしまう。


 『あれ? 俊くーん? もしもーし』


 いつまでも声を上げない僕に違和感を抱いたのか、彼女は再び声を聞かせてくれる。

 それが、ただただ嬉しかった。


 「も、もしもし。すみません、遅い時間に」


 絞り出すような声を上げれば、彼女はケラケラと笑いながら明るい声で答える。


 『いえいえー、全然大丈夫だよー? どしたぁ? そんな暗い声してぇ』


 電話越しにでも伝わってしまうモノなんだろうか。

 少しだけ気遣うような声で、彼女は声を返してくる。


 「あの、その……大した事じゃないんですけど、ちょっとご相談と言いますか」


 『うん良いよー? 言ってみなぁー?』


 いつも通りの明るい声、優しい声色。

 そういえば前に『誰かに相談しよう』と思った時も、真っ先にこの人を頼ってしまったんだっけ。

 もう全てを吐き出してしまいたくなる。

 全部ぶつけて、楽になりたいと心が叫んでいる。

 でも今回のソレは、彼女に甘えてしまう事に他ならない。

 毎度毎度頼ってばかりで、本当に自分が情けなくなる。

 僕は彼女の特別な人間でも、甘えていい対象でもないのだから。


 「あ、いえ。その……なんでもないです。すみません、本当に」


 『なんでもないって事はなさそうだけど……本当にどうしたの? 私じゃ相談出来ない事?』


 そういう言い方はずるいです。

 覚悟していた筈なのに、自分にそう言い聞かせていた筈なのに。

 この人と話していると、どこか気が緩んで曝け出してしまう。

 でもそれは、僕の甘えだ。

 ルール違反だ。

 例え恨まれようと、軽蔑されようと。

 僕は皆を助ける。

 そう、願ったはずだったのに。


 「今回の“オカ研”の活動で、ちょっとキツイなって……そう思う事がありまして」


 間違ってはいなかった。

 結果として皆を、依頼主を救えた。

 だからこそ間違ってはいない……はず。

 でもあの時向けられた眼差しが、今も忘れられないのだ。

 “絶対に許さない”

 そう言われた時、冷静を装ってはいたが……酷く心が震えた。

 怖い、辛い。

 確かに、そう感じたのだ。

 アレが人の想い、“呪い”というモノなんだろうか?


 『まーそんな事もあるよね、私達みたいな活動をしてるとさ。巡とかズバズバやっちゃうから、え? これ大丈夫? みたいな事って結構あったし』


 やはり彼女にとっては過ぎ去った出来事というか、もはや慣れ親しんだ事例なのだろうか。

 それを考えると、先輩達の強さを痛感する。

 どうしてこんな痛みにさえ耐えられないのかと、己の無力を嘆きたくなってくる。

 それくらいに、僕は弱い。

 力がどうとか、対応力がどうとか言う前に……心が弱い。

 先輩達と比べて、僕は軟弱過ぎる。

 こんな所で躓いている暇はないんだ、前を向け。

 そう言い聞かせても、沈んだ心はなかなか戻って来てはくれなかった。


 『あるある、わかるよ。すーっごく分かる。って、言って欲しかった訳じゃないよね? ……言える訳ないでしょ。私には分かんないよ、今の俊君の悩み。だって何を悩んでるのかさえ教えてくれないんだもん』


 あれ? と思わず声に出てしまった。

 多分心のどこかで、この人なら分かってくれると思っていたのだ。

 この人なら自分を認めてくれると過信していたのだろうか?

 そんな勝手な想いを否定され、心に絶望が生れた。

 やはり僕は間違っていたのだろうか?

 身内を守る事ばかりに捕らわれ、人間らしい“感情”を忘れていたんじゃないのか?

 そんな風に思うたび、呼吸が乱れていく。

 じゃあ結局何の為に僕は力を求めた?

 誰かを、仲間を救う為。

 それは間違いない。

 でも、救った相手にさえ冷たい視線を向けられる。

 これは、僕が間違っていたという事の決定的な事実に――


 「でも俊君が辛いって事だけは分かったよ。だから、全部話してみなよ。丁度着いたからさ」


 「え?」


 その声は、窓の外から聞こえた。

 思わず押しのけたカーテンの向こうには、いつか見た時と同じように。

 月明かりに照らされた“九尾の狐”が立っていた。

 あの時とは違う、銀色の姿で。


 「やっほー、来ちゃった」


 幻想的な見た目とは違い、彼女は人懐っこいいつもの笑みを浮かべている。

 本当にいつも通りで、やっと日常に戻って来られた気がして。

 思わず膝から力が抜けた。


 「ちょ!? どうしたの俊君! 本当に大丈夫!?」


 呆けた顔を浮かべながら、思わず座り込んだ僕を見て夏美さんが焦った声を上げる。

 慌てて窓ガラスを開けようとした彼女だったが、残念な事に鍵が掛かっていた為入ってこられない。

 むー! と可愛らしい不満の声を上げながら、ドンドンと窓を叩いている。

 その光景に、思わず笑ってしまった。


 「あ、酷い! 笑ってないで早く開けてよ!」


 更にムキになって声を荒げる彼女を見て、また笑った。

 今までウジウジしていたのが嘘みたいに、心の中が温かくなっていく。

 彼女の持つ独特な空気が原因なのか、それとも“獣憑き”の本能的なモノで“彼女の近くは安心できる”と感じ取っているのだろうか。

 縄張り的な意味で。


 「ぷっ、ふふふ……すみません、今開けますね」


 「せっかく心配して来てみれば、酷い仕打ちだよ。締め出しを食らったよ」


 「元々閉まっていた場所に突撃するのは、締め出しとは言わないのでは?」


 なんて会話をしながら鍵を開ければ、「お邪魔しまーす」と軽い挨拶をしながら部屋の中に入ってくる。

 本来男の部屋に女性を招いて良い時間ではない気がするが、彼女は気にした様子はない。

 そのまま座布団に座ると、“狐憑き”を解除した。

 うん、いつもの夏美さんだ。

 大学に行ってからあまり髪を結っていないのか、最近ポニーテールを見なくなった気がする。

 高校の時より長くなったロングヘヤーが、より彼女を大人っぽく見せる。


 「それで、どうしたの? 随分と落ち込んでたみたいだけど」


 座って話せ、とばかりに対面に置かれた座布団を叩く夏美さん。

 大人しくソコへ正座し、正面から彼女を見つめる。

 真っすぐな瞳が僕を見ていた。

 迷いなく、透き通るような綺麗な眼差しが僕を捕らえている。

 “眼”の異能。

 彼女の瞳に、僕はどう映っているのだろう。

 弱い僕が、醜い感情が見抜かれているんじゃないか?

 そんな風に感じてしまって、思わず視線を逸らした。


 「珍しいね、俊君が目を逸らすの。何があったか、教えてくれる?」


 まるで子供をあやすみたいに、彼女の声は優しく響く。

 良いのだろうか、彼女に甘えてしまって。

 弱い自分を見せてしまえば、もう後戻り出来ない気がする。

 自分のやって来た事が間違いだったと認めてしまうかもしれない、彼女に嫌われてしまうかもしれない。

 それは、正直怖い。

 思わず固く口を結び、グッと奥歯を噛みしめた。


 「じゃぁ、私から最近の事を話そうかな。最近ね、大学の勉強が難しいなぁって巡に言ったらね、何て言われたと思う? 『え? この程度で?』って真顔で言われたんだよ!? そんなに余裕なら勉強教えてよ! って言ったら、すっごい呆れた顔されちゃった。でも結局色々まとめたノート作ってくれて、何とかなってるんだー」


 「そ、それは大変でしたね……でも、姉さんらしいというか」


 思わず言葉を返してしまった。

 さっきまであんなに口を閉ざそうとしていたのに。


 「後はねぇ、大学は飲み会のお誘いが凄い。まだ未成年だって言ってるのに、へーきへーきとか言ってくるんだよ? サークルとか入ってないからまだマシな方なんだろうけど、それでも皆めっちゃ誘ってくるの。本当にしつこい時とか“狐憑き”になって蹴っ飛ばしてやろうかー! って思ったりするもん」


 「夏美さんは綺麗ですからね、やっぱり誰しも仲良くなりたがるんじゃないですか? まぁ半分以上はナンパ目的な気がしますけど……あと蹴っちゃダメです。死んじゃいます」


 「やー、相変わらず俊君はそういう事平気で言うねぇ。普段と変わらない様子で言うから、余計恥ずかしよ」


 なははーと気の抜けた笑い方をしながら頬を掻く彼女。

 肝心な後半部分に触れなかったけど、大丈夫だよね?

 本当に蹴ったりしないよね?


 「他にはそうだねぇ、最近目が良くなったんだ」


 「目、ですか? あれ? 元々視力悪かったんでしたっけ?」


 正直、そういうイメージはない。

 眼鏡かけている所とか見たことないし、コンタクトって話も聞いた事が無かったのだが……。


 「ううん、そっちじゃなくて。“眼”の方、異能。なんかね、怪異が見えるだけじゃなくて、相手の感情まで見える様になっちゃった」


 「は!?」


 「あぁでもでも! 何考えてるとかが分かる訳じゃないからね!? なんて言うのかな……こう、モヤァっと。あ、この人今寂しそうだなぁとか。あっちの人は楽しそうだなって感じで」


 なんともアバウトな感じだが、これは多分天童さんと同じ現象だろう。

 彼の“声”もまた、生きた人間にまで影響を及ぼす程強くなってしまった。

 傍から見れば便利に思えるが、本人からすれば無用の長物……と言うよりも不気味以外何物でもないとの事。

 多分コレもまた、その立場に立ってみないと分からない事なんだろう。


 「やっぱり引くよね、こんなの。相手の心を覗いてるみたいで、気味悪いよね」


 「そ、そんな事!」


 無いと言い切れるのか?

 彼女の“眼”には、自身の廃れた心が覗かれているとしたら?

 僕が弱さをひたすら隠そうとしても、その瞳にはありありと映っているのだとしたら?

 それは……。


 「正直に言えば、“今は”怖いです」


 「だよね……」


 「夏美さんに嫌われるんじゃないかって、呆れられるんじゃないかって思うと……見られたくないって、そう思います」


 「え、そっち!?」


 何やら慌てた様子で、彼女は身を乗り出してきた。

 近い、非常に近い。

 お風呂上りなのだろうか、シャンプーのいい香りがする。

 いけない、こんな劣情を抱いていい相手じゃないんだ。


 「その、さっき言った通り部活でちょっとありまして……情けない気持ちを抱いているんです。だから、そういう弱い所を見せて嫌われたくないなって」


 「……それだけ? 普段から感情が見られてるって、嫌じゃない?」


 「えっと? 何が聞きたいのか良く分かりませんが、感情ってそういうモノじゃないですか? 顔や仕草にもでますし、夏美さんの場合は“空気”をより読めるようになった……みたいな。なのでそこまで気にするものでも……というのは、見えない人の意見ですね、すみません。ただ言えるのは、天童さんの“声”の方がよっぽど凶悪だと思いますけど」


 どう答えればいいのか分からず、思わず早口になってしまった。

 そして天童さん、すみません。

 ちょっと話のダシに使わせてもらいました。


 「空気が読める様になった、か。そういう捉え方もあるのか……」


 何やら難しい顔でブツブツと呟いている夏美さん。

 やはり僕が思う以上に本人からすれば“凄い変化”だったようだ。

 あまり気の利いた事が言えなかったが……大丈夫だろうか?

 なんて少しだけ後悔している内に彼女は視線を僕に戻し、一つ頷いてから再び口を開いた。


 「では、今からちょっとずるい言い方をします」


 「はい、なんでしょう」


 何故かお互い敬語になりながら、静かに見つめ合う。

 ひと呼吸おいてから、彼女の右手がすっと僕の頭に伸びて来た。


 「さっき弱い所を見られて、嫌われるのが怖いって言ってたよね?」


 「……はい」


 「だったらもう問題ないよ。私には今、俊君の“弱っている感情”が見えています。でも嫌いになっていません。なのでオールオッケーです」


 「……はい?」


 ちょっと何言っているのか分からないです。

 疎まれなかったのは正直嬉しいが、どの辺がオッケーなんだろうか。


 「だからさ、俊君の弱いと思っている自分を見せても私は嫌ったりしないよ? 多分他の皆も。だから話して見なよ、ちゃんと聞くから、一緒に悩んであげるから。何を悩んでいるのかまでは、私には“見えない”からね」


 しばらくの間、彼女が何を言ったのか理解出来なかった。

 でもその意図を理解した瞬間、思わず泣きそうになった。

 僕が踏み出せなかったその一歩を、彼女の方から歩み寄って来てくれたのだ。

 頼れとも、甘えろとも言わない。

 ただ話して見ろ、相談してみろと言っている。

 そして一緒になって、頭を捻ってくれると言っているのだ。

 それはどっちが上とか下とか、そういうのじゃない。

 本当に対等な立場として、彼女は僕に提案してくれているのだ。


 「ちょっとは気持ちが晴れたかな? でもまだ不安みたいだね。大丈夫だよ、不安じゃなくなるまで一緒に居てあげるから。いっぱい話して、悩んで。それでも答えが出ないなら、喉が枯れるくらいまで話し合ってみようよ。そしたらきっと、疲れちゃって今日はぐっすり眠れるから」


 にへらっと緩い笑みを溢しながら、僕の頭を撫でる彼女。

 この人は強い。

 本当の意味で、僕なんかよりずっと強い。

 そんな彼女が、一緒に居てくれると言っているのだ。

 僕の悩みを、共に考えてくれると言ってくれたのだ。

 こんなにも心強い味方が居るだろうか?

 僕の憧れた女性は思っていた通りの、いやそれ以上に優しくて強い人だった。


 「ありがとう……ございます。本当に情けない話ですけど、聞いてくれますか?」


 グッと涙をこらえて、絞り出す様な声を上げれば。


 「どんと来なさいな。というか、まだちょっと怖い? そう見えるんだけど……あ、膝枕でもしながら聞いてあげよっか?」


 悪戯っ子の様な笑顔でおかしな事を言い出す彼女に、思わずグッと言葉に詰まる。

 その様子を見てなのか、それとも“眼”の影響なのか。

 彼女はニマニマと笑いながら口元を抑えた。


 「嬉し恥ずかしって所? 俊君もしっかりしつつも思春期さんだねぇ」


 「そういう所は、“見ない”で下さい……」


 そんなこんなで、僕は最近の出来事を話し始めた。

 どう思ったのか、どう感じたのか。

 そして疑問や願いも、全て曝け出した。

 どれくらいの時間、話し合っただろう。

 意見を交わし、時に思い出話に花を咲かせながら。

 賑やかな夜は、段々と更けていった。


 ――――


 「――……ん?」


 気が付くとカーペットの上に転がっていた。

 いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか?

 昨夜が熱帯夜じゃなければ風邪の一つでも……まて、何かがおかしい。

 ぼやける視線の先に、何かが見える。

 それからいい香りがする。


 「んん?」


 ゴシゴシと目を擦れば、徐々に鮮明になっていく視界。

 そして見えてくるのは、僕と同じようにカーペットの上で横になっている一人の女性の姿。


 「は? え? んんっ!?」


 見間違えるはずもない。

 記憶の最後でも一緒に話し合っていた、夏美さんが眼の前で眠って居た。

 これはあれだろうか、一緒に寝落ちした……みたいな?

 いや、でも、え?

 なんて混乱しながら、身動き一つ出来ないでいると。


 「俊ー? 起きてるー? ご飯作ってー……」


 これまた眠そうな顔の姉さんが、パジャマのまま部屋に侵入してきた。

 外ではとてもじゃないが見せられない様子の姉が、目を擦りながら歩み寄ってきて……そして停止した。


 「……あー、その。これはですね、決してやましい事をした訳では」


 言い訳がましい言葉を紡ぎながら、震える声を上げてみたが。

 効果はいまいちだったらしい。


 「コレはまた。お邪魔だったかな? ごゆっくりー」


 そう言いながらゆっくりと後退していく姉。

 口元に手を当てながら、おほほほとか言いそうな感じで扉の向こうに消えていく。

 これは、不味いやつだ。


 「待って! ホントに待って! 違うから、そういうのじゃないから!」


 土曜の朝、いつもよりちょっとだけ寝坊した時間帯。

 普段ならまったりしているだろうそのひと時に、今日ばかりは叫び声が響き渡ったのであった。

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