第80話 草加家 5


 青い海、青い空。

 そして片手に缶ビール。

 それだけでも贅沢極まりない状況だと言うのに、目の前で広がるコレはなんだ?


 「椿先生、お待たせしました。ウニとアワビです」


 中学生とは思えない肉体を晒した黒家さんの弟、俊君が皿に乗ったソレらを差し出してくる。

 迷う事なく受け取ると、そのまま口に運ぶ。

 美味、実に美味である。

 ほんの少しの調味料、臭みを消すために使用されたと思われるが、その調味料もこの上なくマッチする海の幸。

 旨い、旨すぎる。

 なんだこれ、こんな旨い物を缶ビールのツマミにしていいのか。


 「お嬢ちゃん、こっちも出来たぞ? 塩焼きだが、味は保証する。この時期のコイツは旨いんだ」


 なんという魚だか分からないが、串に通されたソレはどうみたって美味しそうだ。

 思わず受け取って一口齧る。

 旨い、コイツは止まらない。

 もぐもぐと食べる私を、男性二人が幸せそうに眺めている。

 間違いない、コイツら主夫だ。

 しかし、こんなに食べて飲んでを繰り返していいんだろうか?

 ちょっと豪華過ぎませんかね?

 私さっきから皆様が獲って来た獲物を調理して頂いた上に、それを食べる事しかしてないんですけど。

 なにこれ? いや、凄い美味しいけど。

 なんてやっている隣で、どこかの朴念仁は焚火を起し、その上でドデカい二本の串を通した巨大な魚をクルクルと回している。

 この光景なんとかっていうゲームのCMで見た事ある。

 最後に「こんがり焼けましたー!」って掲げる奴だ。

 私の視線に気づいたのか、振り返った彼は満面の笑みで答える。


 「もうちょっと待ってろよ? 絶対旨いからコイツ!」


 うん、待ってる、っていやそうじゃない。

 デカいよ、デカすぎるよ。

 もう結構お腹に溜まってきたよ。

 そろそろ運動の一つでもしないと、おデブさんまっしぐらだよ。

 とはいえ美味しく頂けば、彼等は幸せそうな顔をして下さる。

 これはちょっと断れる雰囲気ではないのだ。

 しかも私ばかり食べているのかと言えば、決してそんな事はない。

 彼等もモリモリ食っているのだ、でも食材が無くならないのだ。

 背後に置かれたクーラーボックスには、既に溢れんばかりの海の幸が詰まっており、入りきらなくなった分を今こうして美味しく頂いている訳なのだ。

 どう考えたっておかしいだろう。

 3人だよ? たった3人だよ?

 なのにコレは一体なんだ?

 10分程度海に向かえば、網いっぱいに様々な魚やら貝やらを詰め込んだ彼等が岸に上陸してくるのだ。

 それがターン制で次から次へと訪れる。

 こいつらは一体何と戦っているんだ? と疑問に思ったが、間違いなく大自然と彼等同士で戦っている。

 ウツボとか鮫とか担いで海から上がってきた時は、流石に悲鳴が上がったのが今では懐かしく思える程。

 もう、何も驚かなくなっている自分にびっくりだ。

 流石に量が多くなりすぎるのでストップをかけてみれば、今度は料理対決が始まってしまった。

 おじさんと俊君はやたらと慣れた手つきで様々な魚介料理を拵えていくが、草加君だけは未だに大物をクルクルしている謎の光景が出来上がったのが、今までのくだりという訳だ。

 っていうか最初に捕まえてきたでっかい魚が、今まさに火の上で回っているのだが。

 アレって皆が到着するまで取っておくんじゃなかったっけ?

 そんなどうでもいい思いを胸に、おじさんから頂いた塩焼き魚をむしゃる。


 「いやぁ……なんていうか、久々に凄いお休みを満喫している気がする……」


 「そいつは良かった、乾杯といこうぜ。若いのも結構やるし、いい事尽くしだな」


 「僕は未成年なんで、ジュース頂きますね。おじさんも中々です、流石は先生のお父さんと言った所ですかね」


 謎の会話と共に、三人で乾杯した。

 うん、よくわかんないけど……美味しいし楽しいからいいか。

 隣では一人真剣にクルクルしている人がいるけど。

 っていうか、部員の皆は何をやっているんだろう。

 このままじゃ食べ物が無くなっちゃう……事はまずないだろうけど。

 皆が来る前にお腹いっぱいになってしまう。

 せっかくの海旅行なのだ、用事はさっさと済ませて皆で海で遊べばいいのに。

 なんて思った所で、隣のクルクル男が立ち上がって叫んだ。


 「おいしく焼けましたぁぁぁ!」


 なにやら記憶と違う台詞だったが、ポージングは完璧である。

 テレビの中で見た、一抱え程ありそうなお肉を掲げる狩人の姿そのものだった。

 満面の笑みのまま、彼はその魚を大皿にドンッと乗せる。

 仕上げとばかりに柚ポンをダバッとかけると、全員に箸を持たせた。


 「それでは皆様御一緒に」


 「「いただきます!」」


 「い、いただきます……」


 とんでもない大きさだった筈の魚は、数分の内に骨に変わった。

 そのお味は荒っぽく焼きました! と言わんばかりのモノであったが、大変美味しゅうございました。

 お陰でお酒が進んでしまいました。

 明日は絶対泳ぎまくって運動してやるんだからな。


 ————


 「あ、あの神様を食べたというのは……え?」


 理解できない単語が並び、困惑する頭が情報を処理しきれない。

 この人は何を言っているんだろうか。


 「高校……いや中学くらいだったかな? 旦那と浬が大喧嘩してね、出て行ってやる! って言い残して、一週間くらい山でサバイバルしてたみたいなんだよ」


 「いや、その時点でツッコミどころ満載ですけど、まだ序章なんですよね? そんな斜め上の反抗期を送る若者は、既に一人で生きていけそうな気がするんですけど気のせいですかね?」


 わはは、と盛大に笑いながら私のツッコミを無視する奥様。

 この唯我独尊スタイル、いつもどこかで見ていた気がする。

 非常に近くで、主に毎日。


 「帰って来た時ね、私が見ても……あぁ夏美ちゃんみたいな『眼』はないよ? 私のはまた別、呪術とか神術とかそっち系の強さが見えるものだと思っておくれ? そんで帰ってきた浬は、とんでもなく”そういう”力が増してたのよ。お前は何をしてきたんだい!? 何を食ったか言ってみな! って怒鳴ったんだけどね?」


 「あぁもう、なんでそういう怒り方になるか詳しく説明を……って言ってたら負けなのかな……」


 独り言の様に呟いた私の言葉は当然スルー。

 この人間違いなく先生のお母さんだ。

 話が通じない感じとか、本当にそっくりだ。


 「そしたらね、熊とか猪とか川魚食べたとかなんとか。その辺はどうでも良かったんだけど」


 「どうでも良かったんですね。割と常識を逸脱した獲物食べてますけど」


 「最後にね、アイツは言ったんだよ。三本足のデカい烏が居たから、珍しくてとりあえず食ってみたって」


 「あぁ今度はカラスですか、本当に雑食……は? 今なんて言いました? 三本足のカラス? え?」


 「だから言ったろ? 神様を喰って帰ってきたって」


 にやっと意味ありげに口元を釣り上げるおばさん。

 いやいやいや、三本足の烏とか。

 しかも捕まえて食っちゃうとか、何してんの先生。

 だってそれ、多分。


 「”八咫烏やたがらす”……ですよね、ソレ」


 恐る恐るなんて言葉は、多分こういう時の為にあるんだろう。

 もう既に聞くのも怖い、でも聞かないのも怖い。

 こんな風に思ったのはいつぶりだろうか。

 間違いなく『感覚』を手に入れてからはこんな風に思った事は無い。

 先生、貴方マジで何やっちゃってるんですか?


 「さぁね? 詳しくは分からないよ。でも、当人はそう言ってたね。よくわかんねぇけど三本足のデカい烏が旨かったって。ホント、何やってるんだろうね。烏天狗の事もあるし、ウチは烏に好かれてるのかねぇ」


 クックックと当時の光景を思い出したように笑っているが、はっきり言おう。

 何笑ってんだこの野郎。

 あり得ないでしょ、理解出来ないわ。

 普通食べないよ! 間違いなく貴女達が狩人精神叩き込んだ結果でしょうが!

 しかも旨かったって! 何味わっちゃってるんですか、ソレ神様ですから!

 普通お供え物する立場なのに、物理的に立場を逆転させてしまった先生が恐ろしいわ。


 「だからこそ、って言ったほうがいいのかな?」


 「もうこれ以上聞きたくないんですけど……」


 ぐったりと項垂れる私を、誰が責められよう。

 ウチの部活の先生は神様喰っちゃう人らしい。

 そんなパワーワード聞いたことないよ。


 「アンタの”ソレ”は烏天狗の呪いそのものだ。草加家の中で一番強い呪いって言っても過言じゃないね。しかもかなり浸透してる……祓うには呪いの元を絶つしかない。気づいてるんだろ?」


 「……急にシリアスになるの止めてもらっていいですかね? 反応に困ります。とはいえまぁ、分かってますよ。どこぞの先祖様にも、直接言われましたし。ついでに言えば……姉の魂を成仏させてやるには、それを見つけた上で”俺を殺してみろ”なんて息まいてましたね」


 「そうかい……どこまでも堕ちたもんだ。すまなかったね」


 再び静かに頭を下げてから、不敵な笑みで顔を上げた彼女。

 もう嫌だ、この家で笑顔を見ると不安にしかならない。


 「だからこそ、存分に”使いな”」


 「はい?」


 真剣な表情に戻ったのはいいが、何の事を言っているのかわからなかった。

 使え、とは何の事だろう。

 『感覚』の事を言っているのだとしたら、ちょっとお断りだ。

 ”蟲毒”という草加家の呪いに触れてから、この能力は水を得た魚の様に使うたびに牙を向いてくるのだ。

 使えば使う程呪いの進行は早くなり、私の体を蝕んでいく。

 全く厄介な事この上ない”異能”もあったもんだ。

 

 「何を勘違いしているのか知らないけど、”浬”をだよ。アイツを使いな、アンタの為に。生き残る為には、騙してでも使いな。アンタを助ける為なら、アイツは力を貸す筈だよ。助けられなかった女の妹を放り出す様な男には、育てた覚えはないからね。アンタだって”ソイツ”をどうにかしなきゃ、先が長くない事はわかってるんだろう?」


 真剣な表情と言葉に圧倒された。

 この人はどこまで気づいているんだろう?

 そもそも私の呪いだって、”草加家”から生まれたモノだ。

 私よりずっと詳しいのかもしれない。

 だとしても、だ。

 今の私の状態を見て、そこまで分かるものなのだろうか?

 呪術や神術を見る『眼』というのは、そこまで見えてしまうものなんだろか?

 そんな疑問に答える様に、彼女は優しい顔で私の頬をつまんだ。


 「こんな可愛い顔が怖いくらいに切羽詰まって、必死でウチの呪いを調べてるんだ。見りゃ分かるよ、頑張んな。困った事があったら連絡してくれりゃ、すぐ飛んでいくさね。だから安心しな、私達も付いてる。それにウチの息子もだ。アイツなら、烏天狗の一匹や二匹、出会い頭に喰っちまうさね」


 まるで少女の様に笑うその姿が、私には眩しく見えた。

 こんな風に最後に笑ったのはいつの事だっただろうか? なんて、下らない事を考えながら、目の前の暖かい笑顔を目に焼き付けた。

 今回の合宿、もう成果が得られてしまった。

 私の”呪い”と先生、そして今を生きる草加家は関係ない。

 先祖のソレと言えばある意味関係しているが、それでも先生やこの人達は私を守ってくれる。

 それが分かっただけで充分な成果だ。


 「はい、ありがとうございます」


 「なんだい、笑えば数段上の美人じゃないか。普段から笑顔を心がけな」


 相変わらず冗談っぽく笑うその顔にどこか居心地の良さを覚え始めた頃、散らばっていた部員達が戻ってきた。


 「おばさん! これ何!? 可愛い!」


 鈴と小さな狐の面が付いたストラップ? いや流石にそれはないか。

 組紐で飾られた小さな代物を興奮気味に見せてくる夏美。

 お前絶対見た目で……あぁいや何でもない。

 この子はこういう子だった。


 「へぇ、珍しいモノを見つけて来たね? 悪いモノじゃないから身に着けておくといいよ。大事にするんだよ?」


 あ、どうやらくれるらしい。

 テンション高めな夏美が、鈴を胸に抱いて飛び跳ねている。


 「あ、あの! この音叉、ちょっと不思議な形をしてますけど、どういうものなんですか!?」


 意外な事に今度は鶴弥さんだった。

 呪具に関しては人一倍警戒しそうなものだが、今の彼女からはそう言った様子はみられない。

 手に持った弦の張られた音叉? を彼女に見せながら興奮した眼差しを向けている。


 「へぇ……夏美ちゃんといい麗子ちゃんといい、分かる人には分かるもんなのかね? こいつはね、即席で”結界”を張る為の音叉だよ。ただしその音が正確に掴めないと、何の役にも絶たない曲者でね。お前さんの”異能”にはピッタリだろ、持っていきな」


 どうやら御眼鏡には叶ったようだ。

 嬉しそうに音叉モドキを胸に抱く彼女は、何を求めてアレを手にしたんだろう。


 「あ、あのコレがですね!」


 ここぞとばかりに、天童さんも何かを取り出して見せた。

 その手に持っているのは、不思議なネックレス。

 なんだろう? よく分からない形をしているが……。


 「あぁ……えっと、持っていきな……」


 「これにはどんな効果が!?」


 「あぁ……その、浬が荒れてた頃にお土産で買ってきてやった安物なんだがね? カブト虫のモチーフが気に入らなかったらしく……蔵のどっかに投げ捨てた物だよ……」


 どうやら、外れを引いたらしい。

 天童さん、貴方みたいな人はとても貴重だと思います。


 「大当たりですねカブト虫先輩」


 「ちくしょぉぉぉ!」


 ”声”の異能とは、中々難しいモノであるようだ。

 結局彼に”合う”呪具は見つからず、蔵の探索はお開きになった。

 一人だけ項垂れる天童さんを横目に、部員二人は貰ったばかりのオモチャで遊ぶ様にキャッキャウフフと騒いでいる。

 これは、私も何か一つくらい見繕って来ればよかっただろうか。

 私だけ御土産がないのが、ちょっと寂しい。


 「そんな顔してないで、また来ればいいさ」


 笑いを押し殺した様な顔をしたまま、堪えきれず笑い声を漏らす伊吹さんの隣を歩いていく。

 別にいいし、肝心な話は聞けたし。

 なんて不貞腐れた子供みたいな感想を漏らしながら、私たちは先程の家に戻っていくのであった。

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