第51話 約束の報酬


 顧問の草加……浬先生? が短距離走の選手もびっくりな速度で突っ込んできた事態から数十分後、私達は今何故か回転寿司のお店にやってきていた。

 まあ確かに夕飯もまだったし、帰っても食べる物は準備していないのでありがい限りではあるんだけど……なんか納得いかない。

 結局あれは何だったのか、浬先生は結局何者なのか。

 そういった説明を一切してくれないまま、この店に連行されたのである。

 普段外食といえばファーストフードとか、たまに友達と喫茶店に入るくらいなのでこういう所は新鮮ではあるのだが。

 ある意味ボックス席が満員になる程、ぎゅうぎゅうにつまった状態でご飯を食べるという今の状況の方が新鮮味は上かもしれない。


 「それで、オカ研初参加の感想はどんな感じ? 危ない事とか、怖い事とかなかった?」


 私のクラスの担任でもある椿先生が、心配そうな眼差しを向けてくる。

 普段から優しい先生ではあるのだが、この部活と関わっている時だけはやけにフランクというか、いつもより親しみやすい感じがする。


 「えっと……色々あって混乱はしてますけど、でも大丈夫です。得る物はありました」


 それなら良かったと、優しい笑顔で笑う椿先生。

 私に部活の仲介をしてくれたばかりか、一緒に活動に参加してくれる程だ。

 今後は彼女に対して頭が上がらなくなりそう。


 「そんな事よりも先生方、一つ相談があるんですけど」


 今まで静かにお寿司を口に運んでいた黒家先輩が、急に声を上げた。

 ちなみに私は今椿先生と黒家先輩に挟まれている。

 向かいの席には浬先生と早瀬先輩が座っている訳だが、どうしてこういう組み合わせになったんだろう。

 何やら黒家先輩の「最近大変だったからご褒美です」という意味深な発言の元、早瀬先輩は向こう側の席を獲得したらしい。

 それならいっそ、二人とも向こうに座れば良かったのではないか? という疑問が残ったが、食事を始めるとその意味が分かった。

 浬先生がとにかく食べるのだ、そりゃもう山の様に。

 向こう側に三人座っていたら、多分皿に隠れて一人見えなくなっていた事だろう。

 そんな浬先生も、黒家先輩の一言で箸を止めた。


 「最低でも一泊二日で合宿に行きたいと思うんですけど、その許可をお願いします」


 「普段から夜の活動だから合宿許可は取りやすいが……また随分と急だな? どこへ何しに行くんだよ?」


 浬先生が当然ともいえる疑問を口にして、皆の視線が先輩に集まる。

 私の家の事情に早くも取り掛かろうとしてくれているのは嬉しいが、何となく罪悪感が残る。

 それを察したのか、黒家先輩はこちらに視線を向けて「自分で話す?」と問いかけてくる。

 こういう場合は原因である私が事情を説明するべきだろう。

 とは言えどう話せばいいのか?

 浬先生はアレだけの力を持っていながら、カレらが見えてない雰囲気があるし。

 椿先生にありのままを話すなんてもっての外だ、間違いなく彼女はこの場におけるただ一人の一般人であり常識人だと思える。

 その彼女を巻き込むのは心苦しいなんていうレベルじゃないのは分かっているし、どう言葉にすれば理解してもらえるのかさえ分からない。

 そしてなにより、私はあまり対人関係が得意じゃないのだ。

 説明するのだって苦手だし、相手が納得できる要素を伝えられるとも思えない。

 だとすれば出来れば先輩にお願いしたい所が……ちょっと自分でも情けなくなってくる。

 そんな私を見て、黒家先輩は少しだけ微笑むと二人の先生に改めて向かいあった。


 「鶴弥さんの実家に向かいます。なんでもお祓いで有名な神社らしいので、色々勉強になるかと。それに厄介な物が持ち込まれたという話もありますので、是非ともこの目で確かめたいと思いまして」


 あくまでも私達の都合で、とでも言う雰囲気を強調して話す黒家先輩。

 上手いものだと思ってしまった。

 事実を隠すことなく、事情の全ては話さない。

 そして嘘はついていないのだ。


 「あーそれって鶴弥のご両親に迷惑がかかるだろ? その辺りはどうなんだ?」


 ごもっともな意見である。

 普通に考えれば、一部員でしかない人間の家に大勢で押し掛けるなどあってはならないだろう。

 それが旅館やホテルの経営者の人間であれば話は別なのだろうが、私の家は神社だ。

 一般的に言えば、観光に訪れるような場所ではない。

 ただし今回は状況が状況なのだ、この機会を手放す行為は私だって下策だと分かる。

 だからこそ、黒家先輩に続き必死に懇願した。


 「それは大丈夫です! 実家と言っても、私祖父に預けられていたので、家には祖父しかいません。むしろ友達を連れてきたって言えば喜ぶと思います!」


 少し前のめりになりながら必死で会話を繋げ様としたが、椿先生は何かを察したのか悲しそうな眼差しを私に向け、浬先生は「ふーん、ならいいのかな? じいちゃんっ子なんだな」なんて言いながら再び寿司を頬張り始めた。

 ある意味結果オーライなんだが、なんだろうこの人。

 鈍いというか、朴念仁というか。

 まぁ同情されたい訳ではないので、むしろありがたいが……明らかに冷めた空気の中寿司の追加注文をするのは止めて頂きたい。

 漂っている空気が暗いのと明るい雰囲気が混ざり合ってパニックを起している。


 「あのさ、草加君……もう少し空気を読むっていうか、相手の話の真意を読むっていうか……」


 額に青筋を立てながら椿先生が拳を震わせているが、先輩二人は慣れた物らしく困った様に笑っていた。

 そんな様子に気づく気配すらなく、浬先生は店員を捕まえて次々とお寿司を注文していた。

 その間もレーンに流れてくるお寿司を回収しながら。


 「えっと、あとは~……海老とイクラとマグロ。ついでに炙りサーモンとイカ。おっ、中トロも喰い放題に入ってるの? んじゃそれ三皿で。ん? どうした椿? 腹でも痛いのか?」


 「お ま え はさあぁぁぁ!」


 雰囲気クラッシャーと化した浬先生の額を、椿先生の右手が掴む。

 まさにゴッドフィン……アイアンクローだ。

 ぎりぎりと額から嫌な音を立てながら、悶え苦しむ浬先生を横目に見ながら私もお寿司を口に含んだ。

 久々にお寿司なんて食べたけど、こんな賑やかな空間で食べるのは初めてだった。

 昔はもっと質のいい物を食べさせてもらった気がするけど、何となく今日の方がおいしく感じたのは気のせいだろか。

 なんて事を考えながら食事を進めていた私に、向かいから暖かい視線を送っている早瀬先輩に気が付いた。

 食べている所を観察されるというのは、妙に気恥ずかしい気がするが……さっきから何も言ってないし、何か言いたいことでもあるんだろうか。


 「な、なんですか……?」


 「いや、美味しそうに食べるなぁって思って」


 それだけ言うと、早瀬先輩は再びニコニコしながらこっちを見ている。

 なんというか、食べずらい。


 「えっと……」


 「あっ、ごめんねジロジロ見て。嫌だった?」


 「別に嫌という訳じゃないんですけど……その」


 正直にこっち見ないでくださいとも言えず、もごもごと口籠る私を見て、早瀬先輩はよりいっそう柔らかい笑みを浮かべた。


 「一緒に頑張ろうね、私もいっぱい頑張るから。今は英気を養うと思っていっぱい食べよっか! これからもよろしくね」


 それだけ言うと、張り合う様にお寿司を口に運び始めた。

 対して私の箸はピタリと止まってしまったが。

 傍から聞けば深い内容まで察するには至らない発言だっただろう。

 それを証明するように、二人の教師はポカンと口を開けたまま早瀬先輩を見ている。

 だというのにその言葉は、私の胸の中に自然に収まった。

 今までこんな人が居ただろうか? 事情を話して、それでも近くに居てくれる人。

 相談に乗ってくれたり、忠告まがいな事をしてくれた人は確かにいた。

 それでも、”共に立ってくれる人”はこれが初めてだったんじゃないだろうか?

 ”一緒に頑張ろう”

 その一言が、乾いた心に水を溢したかのように染みわたっていくのを感じた。


 「夏美はそういう面では誰よりも強いですからね、信じてみてもいいと思いますよ? せめて、彼女だけでも」


 小声で耳打ちしてくる黒家先輩は、どこか優しい瞳で早瀬先輩を見ていた。

 今日見た中では、間違いなく一番の優しい表情だったと思う。


 「なんていうか、想像していたものと違いました」


 「というと?」


 ふいに零れた言葉に、黒家先輩が笑顔で聞き返す。

 さっきと同じ優しい雰囲気で。


 「あったかいですね、ここは」


 今まで耐えてきた苦労や苦痛が、段々と溶けていくような感覚。

 その感覚を胸に、眼の端から零れそうになる雫を指で拭うと……


 「そうか? 結構冷房強くて微妙に寒くないか?」


 未だに額を捕まれる浬先生がそんな事を呟いた。

 あ、いえそういう事ではないんですけど。


 「確かにちょっと寒いくらいですね、あと生臭いです」


 それは御寿司屋さんなんだから仕方ないのではないだろうか、なんていう突っ込みを入れたくなるボケをかます黒家先輩。

 そんな二人を見て、クスクスと笑っている早瀬先輩。

 多分、ここはそういう場所なのだろう。

 深く考えるのが馬鹿らしくなるくらい、こうやって皆で笑っていられる場所なのだ。


 「ほら、皆して変な事言ってないで食べる食べる。食べ放題の時間もう少ないわよ? 延長なんてしないからね?」


 仕切り直すように、椿先生が声を上げた。

 その声に反応したかのように、今さっき届いたばかりのお寿司を凄い勢いで平らげていく浬先生。

 彼の姿を見て、再び皆笑みを溢した。

 ここは、暖かい。

 今まで私が過ごしてきた場所とは違う、そういう場所なのだ。

 もう一人で居る必要はない、手を差し伸べてくれて微笑んでくれる人達が居る。

 そう思えば思う程、今も一人であの場所に居るだろう祖父の事が頭をよぎる。


 「待ってて……おじいちゃん」


 その言葉は、誰の耳にも届くことなく空気に溶けていったのであった。

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