第44話 鈴の音


 「あ、あの椿先生。私は別に、すぐ入部するとは言ってませんけど……本当に良いんでしょうか?」


 夕日の映える旧校舎の廊下を、私は担任の先生と一緒に歩いていた。

 普段立ち入ったりなど絶対しないであろう旧校舎。

 全体的に古いというか、時代に取り残されてしまったかの様な印象を受けるその建物。

 つまる話、薄気味悪いのだ。

 まだ明るい時間だと言うのに、影の落ちる箇所は妙に暗闇が深く感じ、明るい場所でも古めかしい内装から妙に落ち着かない気分になる。

 だというのに、私のクラス担任である椿先生はグイグイと私を引っ張りながら、奥へ奥へと進んでいく。


 「いいからいいから、興味があるなら見に行って見ればいいじゃない。大丈夫、私だって一緒に付いて行くし。鶴弥さんが入部してくれれば私も晴れて部活の副顧問! まぁ身の危険がある訳でもないんだし、試しに行って見ましょうよ!」


 もはや話を聞いていない。

 なにやらどうしても例の”オカルト研究部”とやらの副顧問になりたいらしい。

 私としては、どういう事をしているのかなぁとか、どんな人が居るのかなぁ程度の興味しかないのだ。

 そもそも正式な部活動として登録されておらず、部活動の案内表……というか一覧表にさえ記載のない部活だ。

 友達から噂で聞いた程度で、本当に存在するのかさえ分からないくらいだ。

 人知れず降霊術を行なう怪しい部活だとか、合宿許可をやたら取っては深夜まで心霊スポットで筋トレをするなんて訳の分からない噂まである。

 普段なら馬鹿らしいと聞き流す程度の話だったが、その後に聞いた噂……その一つだけどうしても気になってしまったのだ。

 話によると、その部活に所属している人間は全員、何かしらの霊能力を持っているという噂だった。

 はっきり言ってばからしい。

 聞く限りでは降霊術で力を授かっただとか、心霊スポットに行って全員呪われただとか、取り止めもない話ばかりが耳に届いた。

 正直、その程度の人間にならたくさん会ってきた。

 私は幽霊が見えるだとか、俺には死者の声が聞こえるだとか。

 実家の影響もあって、そういう人間はたくさん見てきた。

 でも、その中に本物と呼べる人間は居なかったのだ。

 誰もかれも嘘っぱち、何も見えないし何も聞こえていない。

 そんな彼らに、ある種憐れむ視線を向ける様になったのはいつの頃だったか。

 ずっとずっと昔の事だった気がする。

 まだ幼く、今よりも小さい私に、大の大人が哀れみを向けられるのだ。

 とてもじゃないが今考えるとやるせない。

 私にとっては大勢の中の一人でも、彼らにとってはただ一人の”本物”になろうと足掻いていたのだから。

 まあいくら足掻いた所で成就する願いとも思えないし、叶えて幸せになれる願いとも思わないが。

 とにかく、私はそんな心境と共に先日、担任の先生に尋ねた。


 「この学校にオカルト研究部っていう部活、ありますか?」


 ただそれだけ、ほんの出来心だったのだ。

 どんな人たちが居るのだろう、その人たちは”彼ら”のように偽物なのか、それとも本物なのか。

 実家の方で色々あった事で、精神的に参っていたのかもしれない。

 いつもの私なら、そんな高校の部活動程度に目もくれなかっただろう。

 だというのに、この日、この時だけは興味を持ってしまったのだ。


 「もしかして興味ある!? じゃぁ私と一緒に行ってみよっか。大丈夫! 一人でも心細くない様に、先生も一緒に入ってあげるから!」


 なんて、妙にノリ気……というか無理やりな感じで今日の出来事に至ってしまった。

 昨日は夜更かししてしまった為、出来れば後日にしてもらいたかったのだが、目の前に居る椿先生の暴走は止まらなかった。

 朝には校長から許可を貰ったらしく、昼には顧問の先生にも許可を頂いて来たらしい。

 私、まだ入部するとは言ってないんだけど……。

 などという言葉は聞こえない様で、現状椿先生に手を引かれながらズンズンと廊下を進んでいる。

 でも、まあいいか。どうせいつも通りだろう。

 普段通りなんちゃって霊能力者やオカルトマニアが集まって、面白おかしく活動している場所なんだろうと勝手に予想していた。

 そんな場所に行ったって、どうせ私の居場所はない。

 結局彼らのような存在は、知らないモノを探すから心が躍るというもの。

 認識できないモノだからこそ、恐れも知らず突き進める類の愚行だ。

 はっきり言おう、皆馬鹿じゃないのかと思ってしまう。

 本当に認識してみろ、いざ訳の分からないモノが目の前に立ってみろ。

 きっと彼らは、震えがって何も出来ないだろう。

 それが”普通”なのだ。

 普通だからこそ、そういったモノに興味が持てるのだ。

 ”異常な私”からすれば、到底理解できないものであるが……。

 そうこうしている内に、どうやら目的の場所に辿り着いたらしい。

 目の前にあるオカルト研究部(超常現象同好会)という理解に苦しむ看板がぶら下がった扉を、椿先生はゆっくり開ける。


 「そのパーティっていうのは、私達の歓迎会って事でいいのかしら?」


 開口一番、椿先生はそんな言葉を吐いた。

 今までボーッとしていた事もあって、訳の分からない台詞を急に言い出したのかと思ったが……どうやら部室内の会話を盗み聞きしていたらしい。

 あれ、椿先生ってこういう性格だっけ?


 「あぁ? 誰がお前なんぞ歓迎するかよ。 椿」


 その声を聴いた瞬間、ドクンと胸が震えた。

 聞いたことのある、低い声。

 力強いとも感じられるその声は、昨日の夜の出来事を無意識に思い出させる。

 私の思い違いでなければ……あの人だ。

 昨日の夜、私の周りを脅す様に車でグルグル回っていたその人の声!

 思わず身震いしてしまうが、あれは私の不注意と事故? が重なったものだ。

 車から降りてきた彼もそう言っていたではないか。

 なんて頭では納得していても未だ恐怖心が残っている様で、流れる様に椿先生の後ろに隠れてしまった。

 これは不味い、まさか昨日の彼がこの場に居るなんて予想外だ。

 昨日も何となく見た事あるなぁくらいには思っていたが、まさか本当に顔見知りだとは思わなかった。

 これからどうしよう、なんて迷っている内にどんどんと会話は進んでいった。

 歓迎会がどうとか、シーフードピザがどうとか。

 不味い、非常に不味い。

 そんな物を用意して頂いて、いざ入部はしませんなんて言ってみろ。

 今度はグルグル2~3周では済まないかもしれない。

 泣いて謝るまで車でグルグルされるのではないかという、物理的な恐怖映像が脳裏によぎる。

 これは一刻も早く話を中断させて、歓迎会など早々に中止していただかなくては。


 「あの、椿先生……そろそろいいですかね? このままだと、その。話が進みません」


 もはや話の流れなどどうでもいい。

 話が進まないなんて自分で言っておきながら、これ以上話を進めたくないのが本心だ。

 むしろ話の話題がどうにか変わってくれと願いながら、私は椿先生の後ろから一歩前に踏み出した。


 「えっと……一年の鶴弥麗子です。まだ入部を決めた訳ではありませんが、部活の見学が出来ればと思って参りました。よろしくお願いします」


 ろくに室内の顔ぶれさえ見ないで早口に挨拶し、頭を下げた。

 よし、ちゃんと言ったぞ。

 入部を決めてないとも言ったし、見学に来ただけだと前もって宣言できた。

 これなら勘違いしたまま歓迎会が開かれることも、後々になって責められることも無いだろう。

 なんだか部室内がやけに静かになった気がしたけど、どうしたものだろうか。

 もしかして入部するという話が既に椿先生から伝えられていて、私が否定したものだから場の空気が凍り付いてしまったのだろうか。

 だとしたら不味い。

 今の所どんな人たちが居るのか確認すらしていないが、物理的に危険人物の元に集まる様な人たちだ。

 最悪私の高校生活がある意味終了してしまうかもしれない。

 なんていう恐怖を抱きながら肩を震わせえていると、頭上から声が聞こえた。


 「あれ? お前昨日の小学——」


 「高校生です」


 反射的に否定してしまったが、言ってから不味いと後悔した。

 普段の癖としか言えないだろう。

 身長が小学生の頃から伸びていない私は、普段から幼く見られる事がよくあった。

 その為同じような事が言われた際に、すぐさま言い直す癖がついてしまっていたのである。

 しかし今は余計な事を口走るべきでは無かった。

 彼らの不満を買うような事があれば、何をされるか分かったものでは無い。

 なるべく動揺を顔には出さないように気を付けながら、私はゆっくり顔を上げた。

 その視線の先に居たのは。


 「初めまして、ようこそオカルト研究部へ。部長の黒家巡です」


 同性でも見惚れてしまいそうな、美しい笑顔の女の子が手を差し伸べていた。

 制服のリボンの色が私とは違う、間違いなく先輩だろう。

 慌てて彼女の手を取り「よ、よろしくお願いします……」と声を絞り出した。

 上級生にはこんな人が居たのか。

 あまり周囲に興味を持っていなかった私は、上級生どころか同学年の生徒達の名前だってしっかりと覚えてはいない。

 それこそ覚えているのなんて、よく話す友達くらいなものだ。

 だというのに彼女の名前と姿は、脳裏に焼き付いたようにしっかりと記憶されたのが自分でも分かった。


 「可愛い子が入ってきたねぇ、私早瀬夏美! よろしくね鶴弥さん! 麗子ちゃんだから……れーちゃんとか? いや、つるやんとかのほうがいいかな?」


 急にあだ名を考え始めたもう一人の先輩。

 見るからに明るい性格で、人懐っこい笑みを浮かべている。

 この人も凄い美人さんだ、私がここに居るのが明らかな場違いに感じる程、二人は違う方向性で綺麗な人だと思う。

 なんだここ、部屋を間違ったんじゃないだろうか?

 どう見たって二人とも怖い系の話が好きっていう風には見えない。

 落ち着いた感じの黒家先輩に、明るく優しい感じの早瀬先輩。

 いくら考えても『オカルト研究部』の部員さんとは思えなかった。


 「またそんな馴れ馴れしく……貴女は少し自重というものを覚えた方がいいですよ?」


 「そういう巡は固いんだって、それじゃ鶴屋さん緊張しちゃうじゃん」


 なんて言って、早瀬先輩が立ち上がった時だった。

 ——リィィン、と風鈴のように透き通る音が聞こえた。

 なんだろう? と部屋の中に視線を送る。

 両脇に置かれた本棚、部屋の奥に設置されたソファ。

 部屋の真ん中に置かれたテーブルと、その椅子に座る少し強面な男性。

 間違いなく昨日の人だ……ちょっと尻込みしそうな気分ではあったが、今はそれよりもさっきの音だ。

 時期的に風鈴の一つくらい吊るしてあってもおかしくはないのだが……部屋の中にそれらしいものはない。

 そして室内にいる彼女らはその音には気づいていない様子。

 普段から聞こえる音だから気にしないという線も考えたが、どうやらそうではないようだ。

 窓の外にはそんなものはなく、どこから鳴ったのか見当もつかない状況。

 でも間違いなく早瀬先輩が動いた時、あの音は聞こえた。


 「あ、あの……一つ聞いてもいいですか?」


 「はい、どうしました?」


 お前も自己紹介しろとばかりに、顧問の先生をゲシゲシ蹴っ飛ばしていた黒家先輩が、不思議そうな顔を向けてくる。

 もしも私の聞こえたソレが、普通じゃないものであったのなら……そう考えると、少し怖い。

 こんな訳の分からない事を話せば、私の居場所はまた無くなってしまうだろう。

 今まででもそうだったんだ、きっとここでも同じことが起きる。

 心霊現象を研究しているのだから、興味くらいは持たれるかもしれないが……それでも結局最後は皆私から離れていったのだ。

 多分この人たちも同じだろう。

 そんな不安な気持ちはあったが、どうせ入部するとは言ってないのだ。

 思い切って聞いてしまえ。

 なんて、少し自暴自棄な考えが脳裏によぎった。


 「えっと、この部屋って風鈴とか飾ってますか? もしくは早瀬先輩の私物に、鈴が付いたような物とか……持ってたりします?」


 「鈴? 早瀬、お前そんなの持ってたっけ?」


 椅子に座る男性が、状況をまるで理解してない様子で先輩に尋ねる。

 もしかしたらこの中には、私と同じような人が居るのではないかと期待したが……どうやら違ったらしい。

 まず間違いなくあの先生は違う。

 昨日の様子と今の様子で、彼は多分見えてないし聞こえてもいないだろうと判断した。

 そして残る二人は——


 「……え?」


 固まったように、二人は目を見開いてこちらを眺めていた。

 これはまさか、もしかして。

 そんな期待が持てるくらい、分かりやすい反応を示していたのだ。

 しばらく唖然としていた二人だったが、黒家先輩がフッと口元を釣り上げながら小さく笑う。

 今までの雰囲気とは違う、少しだけ怖いと思ってしまうような笑顔。

 その笑顔はすぐになくなり、先ほどまでと同じような優しい顔に戻る黒家先輩。

 今のはいったいなんだったのだろう? もしかして、素は怖い人とか?


 「鶴弥さん……でしたよね? 一応お答えしておきますと、この部屋に風鈴はありません。そして夏美もそういった私物は持ち込んでないご様子です。ですが、多分私達にとってそれは”聞き馴染み”のある音、だと思います」


 「は、はぁ……」


 優しい笑顔のまま迫ってくる先輩。

 声のトーンと、その表情が噛み合っていない様に思えて少しだけ怖い。

 まるで笑っている表情の仮面でも被っているのではないかと思える程、その笑顔は冷たかった。


 「でも貴方が言う先ほど鳴った鈴の音は聞こえなかった。どうやら夏美の方も、見た限りではそうなんでしょう。でも貴方にはその”音”が聞こえた、間違いありませんよね?」


 「えっと、はい。さっき……その、早瀬先輩が立ち上がった時に、聞こえました」


 え、何? 本当に怖いんだけど。

 どうしたの? さっきまでの雰囲気はどこに行っちゃったの?

 黒家先輩は冷たい笑顔で笑ってるし、早瀬先輩は困った顔で見守ってるし。

 本当に何が起きた? というか鈴の音がどうしたというんだ。

 普通なら聞き間違いとかで済まされる事例だろうに、彼女達は一体何にそこまで反応しているんだろうか。

 ガクブルと体を震わせる私の耳元に、黒家先輩が口元を近づける。

 息のかかりそうな程の距離で、彼女は呟いた。


 「もしかして貴女、私達よりずっと良い『耳』を持ってるんじゃないですか?」


 彼女の問いにドクンッと大きく揺れ動いた心臓が、やけにうるさく聞こえた気がした。

 

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