第19話 迷宮
あれからどれ程の距離を走っただろうか?
なんて、同じような事を何度も考えてしまう。
まるで誘われているかのように、都合よく隙間の空いた包囲網。
カレらの少ない道のり選び、私達はただひたすらに走り続けた。
「その『迷界』ってのに、入っちゃったら……無事帰れる見込みは、どれくらいあるわけっ!?」
再び息が切れてきた様子の早瀬さん。
それも仕方のない事だ、ここまでの道のりにはいくら相手が少ない場所を選んだとは言え、カレらがそこら中に蠢いていたのだから。
「さっき話した過去の話、あの時の公園も一種の『迷界』だったんだと思います! だから、カレらに対抗できる手段さえあれば!」
途切れそうな呼吸を必死に繰り返しながら、私達は走り続けた。
質問するのも答えるのもやっとな状況ではあったが、まだ走る事は出来た。
「つまり草加先生が来てくれればって事だよね!? あぁもう、私だけじゃどうしようもないって事じゃん!」
わざわざ言わなくてもいいのに、なんて思うが……叫ばずにはいられないのだろう。
「そんな事を嘆いても事態は変わりませんよ! まだ付いて来てますか!?」
私の言葉を聞いた彼女が、走りながら後方を確認する。
早瀬さんもいっぱいいっぱいなのは分かるが、こっちだって余裕がある訳ではないのだ。
『感覚』による調査……索敵と言ったほうがいいだろうか?
常にそれを意識しながら、目の前に広がる霧を無視して退路を探すのだ。
それこそ先生がやっているゲームの様に、マップ機能でもあれば便利なのだが……当然そんなものはない。
カレらの少ないであろう方向へ走り、扉や通路を見つけてはそこへ駆け込むという作業の連続。
「だんだん減ってきてる! 距離も離れてきたし……なんだかアイツら、いつもみたいに壁すり抜けたり出来ないみたい!」
それはいい事を聞いた。
つまり『迷界』そのものがカレらの様な存在と同じであり、普段なら平然とやってのける壁抜けや空中歩行など、そういった反則技が使えない可能性がある。
この空間に獲物を取り込んでしまえば、私達のような生きた人間は通常の方法では出られない。
体そのものや、体力の限界というものがないカレらにとって、それは大きなメリットであると考えられる。
しかし同時に、この『迷界』に入ってしまえばカレらは幽霊という特権を生かす事が出来ない。
ひたすら追いかけ、獲物が疲れ果てて膝をつくその瞬間まで、ただただ追い続けなければいけないというデメリットがあるようだ。
「私達にとっては勝算に繋がる事態です! このまま走り続けますよ!」
通常いくら彷徨っても出口がないのなら、そこには絶望しかないのだろう。
だがしかし、私達には草加浬という最終物理兵器が居るのだ。
彼なら『迷界』をも突破できる可能性は高い上、ただ走るだけで周囲の霊を蹴散らすというとんでもない異能力の持ち主だ。
今の所『腕』と評しているが、もはや『筋肉』や『肉体言語』と言ったほうが正しいのかもしれない。
「とにかく先生が来てくれるまでは、どうにか逃げ切りましょう! 出来なけばきっとヤツらの仲間入りですよ!? 先生が寝てない事を祈りましょう!」
「お願いだから不吉な事言わないで! 絶対来るから、草加先生なら絶対来てくれるから!!」
もはや願望とも言える叫び声を上げなら、ひた走り続ける二人。
いくら減ってきているとはいえ、未だ私にも見えるほどに押し迫ってくるカレら。
多少薄くなったかな? 程度にしか私には分からないが、それでも順調に引きはがせているらしい。
とはいえ、走り続けている私に見えている光景は見飽きたとも言えるような同じ光景ばかりである。
「気のせいかもしれませんが、同じ場所をグルグル回っているように見えてきますね」
「だからそういう事言わないで! 私もさっきから似たような顔を何度も見てる気がして不安しかないんだから!」
私より確かな『眼』を持っている彼女が言うのだから、多分間違いではないのだろう。
恐らく私達は同じ空間を走らされている。
「では、少しだけ変化を加えましょう」
そう言ってから、バッグ脇のポケットへ手を伸ばす。
こういう時の為……という訳ではないが、それっぽく使えそうなアイテムはすぐ手に取れる場所に収納していた。
本来なら使いたくはない、というかどういった効果があるのかさえ怪しい代物だが、この際仕方がない。
「えっと、もはや聞くのもアレだけど、一応聞いておくね? 何それ」
私がバッグから取り出した品物を見た瞬間、一瞬表情が凍り付いたようにも見えたが……まぁ気のせいだろう。
多少引き気味に尋ねる彼女に、私は自信を持って答えた。
「俗にいう藁人形です。見ての通り私の名前が書かれた札と、中には私の髪の毛が入ってます」
やっぱりとでも言いたげな表情で、早瀬さんはため息を吐いた。
失礼な、これでも助かろうと必死で足掻いているというのに。
「色々突っ込みたいけど、それをどうするつもりなのかな? 五寸釘でも打つの?」
「彼らに向かって投げつけます。藁人形とは言わば本人の代わり、いわばスケープゴートみたいなものです。多分」
「多分!? 今多分って言った!」
勝手な見解だとは理解しているが、試さずにはいられない。
というかコレ以外に方法が思いつかないので、とりあえず背後に迫る影に向かって投げつけた。
「え、いや、ちょっと!? 藁人形って言ったら本人の代わりなんじゃないの!? 人形が壊されたりしたら黒家さん怪我したりしない!?」
投げつけてから、確かにそれもそうかなんて感想が込み上げてくる。
困った。
囮のつもりで投げつけたが、あの人形をバラバラにされた瞬間私まで四肢が吹っ飛んだりしたら元も子もない。
これはちょっと早まったのか。
そんな後悔の念を抱いたが、意外にも結果はすぐに表れた。
「え、あれ? 意外にもちゃんと喰いついたよ!」
おぉ、やはり身代わり人形として効果を発揮してくれたようだ。
人形には悪い事をしたとは思うが、助かる為の犠牲だ、仕方あるまい。
「え、あ……あぁ、うわぁ」
なんて、何とも判断に困る言葉を発しながら、早瀬さんの歩調が緩くなる。
手を繋いでいる以上、自然と私の歩調も遅くなる訳だが。
「何かありましたか? あまりゆっくりしてる時間はありませんが」
そう言って急かすが、彼女は背後を見つめたまま苦笑いを浮かべた。
「えっと、確かにちゃんと喰いついたよ? 人形に……えっと、言葉通りの意味で」
「というと?」
ちょっと意味がわからない。
効果があったのならいい事だとは思うが、何が不満なのだろう?
「えっとね、言葉通り……食べてる。さっき投げた人形を、奪い合うみたいに……」
これは、ちょっと不味いかもしれない。
私には黒い霧に包まれて見えなくなった人形であったが、彼女の目にはおぞましい光景が映し出されているらしい。
詰まる話、あの人形が身代わりを務めてくれたのなら……。
「つまり、私たちが捕まった場合は……」
「喰われるって事かな、文字通りの意味で」
アハハと乾いた笑みを浮かべながら、早瀬さんは青い顔をしていた。
もはや一刻の猶予もないみたいだ。
「逃げますよ! アメリカンホラーでもないんですから、喰われるなんて御免です!」
「もう意味わかんない! いつから幽霊ってゾンビモドキになったの!?」
私だって今のカレらの行動は予想外だ。
説明しようもない上、この場で調べる気も起きない。
「そもそも幽霊ってお腹すくの!? なんであんなに一心不乱に食べてるのさ!」
「私に聞かれても分かりませんよ! 生憎とまだ生きているので!」
二人して不満をぶちまけながら再び走る。
もう少し静かに走った方が、体力的にも速度的にも効率がいい事は分かっているが、この状況下では流石に文句の一つでも叫びたくなるというものだ。
「で、でもちゃんと囮にはなってくれたみたい。さっきから後ろのヤツら全然追いかけてこないよ!」
「それは朗報ですね。こっちも通路に変化がありました、さっきまでは無かった別れ道なんかが出てきてます!」
目に見えて部屋の数や、左右に分かれる通路が増えた。
藁人形を投げた効果があったのか、後ろのカレらが離れた影響なのかは分からないが、それでも逃げる方向に新しい選択肢が増えた事は確かだ。
とはいえ追ってこないだけで、カレらが未だにそこら中にいるのが私の目にも映っている。
障害物のように立ち尽くし、ただ見ているというのも気味が悪いが、気にしている余裕はない。
とにかく今は少しでもカレらの少ない方へ、後続が来ないというなら今の内に距離を稼ぐべきだろう。
「ねぇ……気のせいかもしれないけど、周りの景色……余計気持ち悪くなってない?」
走りながら早瀬さんが呟く。
幾分か走るペースを落とした影響もあってか、さっきまでの様な荒い呼吸ではなくなった。
その為彼女の言葉も聞きやすくはなったのだが……。
「あまり聞きたくない言葉でしたね。本当に気のせいだと良かったのですが」
しっかりと聞こえる分、彼女の言葉に相当な嫌悪感が籠っているのがよく分かる。
そうは言っても、目の前に広がる光景を見ていれば……まぁ仕方がないだろう。
「えっ、もしかして黒家さんにはさっきと同じ通路に見えてる? キモく見えてるの私だけだとしたら、今だけは失明したい気分なんだけど」
「ご安心ください、貴女の『眼』だけが捉えてる訳じゃありませんから。相変わらず赤い蛍光灯に、カビだか苔だか分からない物がそこら中にビッシリ……っていう光景なら私にも見えてます」
「いや、全然安心できないけど……」
変化が起きたのはいつ頃からだったろうか。
逃げ道が増え、それを選びながら走り続けている内に景色は段々変わっていったのだ。
徐々に徐々に周りの物を埋め尽くすみたいに増えていったカビ……のような物。
最初は廃墟だから多少は……と言えなくもない程度だった。
でも今はどうだ。
壁も床も、そこら辺に転がっている物が何なのか分からない程、ソレは広がっていた。
まるでソレの発生源にどんどん近づいているようにも思えるが、他の道を選ぼうとすれば大量のカレらがいるのだ。
ここに来る以外の選択肢があったとも思えない。
「なんというか、とても嫌な予感がします。少しの間だけ足を止めて、今の内に水分補給しておきましょう」
「この光景を見ながら何か口にするって、結構キツイけどね……まぁ飲むけどさ」
足元にバッグを下ろす気にはなれず、前に抱くような形で荷物を漁る。
残っている水分は……先ほど休憩中に飲んだお茶の残りくらいなものだが。
どうぞと水筒のカップを手渡して、早瀬さんに先に飲んでもらう。
私も元気な訳ではないが、彼女より多少体力には自信がある。
先に休ませるなら彼女の方だろう。
「周りは私が見張ってますから、落ち着いて飲んでください」
ありがと、と短く返事を返した彼女は一気にお茶を呷る。
その間『感覚』を頼りに周りの様子を伺うも、これといって大きな動きはない。
というか、全く動いていないのだ。
四方八方から気配は感じるのに、どの個体もピタリと止まって身動きさえする様子もない。
本当に何なんだココは……以前の公園の時は他の怪異の姿なんて無かったし、もしかしてこの空間そのものが『迷界』という名の妖怪だったり『上位種』である可能性なんていう事もあるのだろうか?
いくら悩んでも答えなんて出る訳もないが、どうしても考えてしまう。
そもそも『神隠し』という現象の正体がコレだったら? その場合、この空間自体が意思のような物を持っていることになる。
私が知る限り、意思を持たない怪異なんて存在しない。
それこそ自然現象の様にただソコにあるだけの怪異なんて、先生にだって対処しようがないじゃないか。
まさか拳で建物を破壊できる訳でもなし、こればかりはお手上げになってしまう。
せめて出入口の類でもあってほしい所なのだが……。
「難しい顔してるけど、何か分かった?」
考え込んでいた私を覗き込み、お茶を差し出してくる早瀬さん。
それを受けって、私もお茶を一口飲んでから答える。
「そうですね……想像でしかありませんけど、可能性としては二つほど」
うんうんと頷く彼女の前に、一本指を立てる。
「一つ、ここが……『迷界』そのものが怪異本体である可能性。この場合私達が助かる可能性はグッと下がります、先生が『腕』で対処できる範疇を超えている上、ここへたどり着けるかも怪しいからです」
言葉にして改めて不安になるような状況だ、こればかりは在り得ない事を祈りたい。
「生き物以外の怪異なんて想像しにくいけど、つくも神……だっけ? そういう話もあるから可能性がないとは言い切れないよね……」
彼女が言う通り『付喪神』と呼ばれる『物の怪異』の伝承もある。
しかしソレは、道具などに霊的なモノ……または妖精とか神様みたいなものが宿ったとされる現象を指す。
この場合で言えば建物全体、なんて事になるのでとてもじゃないが想像し難いが。
そもそも私は付喪神なんてものを見た事がない。
見てないから存在しないとは言わないが、可能性はやはり低いと思えた。
結局それ以上は思いつかないので、二本目の指を立てる。
「そしてもう一つ、私が話した公園の時と同様の事が起きている。つまり何かの『上位種』がココに存在している可能性です。その場合は『上位種』をどうにかすれば、ココから出られる可能性が高いです。とはいえ、前の時とはだいぶ状況が違いますので……何とも言えませんが」
どちらにしろ私達だけでは手に余る事案なのは間違いない。
そして助かるには前回同様、先生が『迷界』に入ってこられるなら……という条件が付いてしまうが、そもそも前回はどうしていたんだろうあの人。
意外と周りからは、普通に私たちの姿が見えていたりするのだろうか?
「出来れば二つ目であって欲しいけど……いや、昨日の奴みたいなのが居るのに、それを望むってのもおかしな話だね。全くどうしたものやら……」
やれやれと言った雰囲気で首を振る。
全くもってその通りだ。
最悪の状況か、もしくはもっと悪い状況か。
そのどちらかなのだろうという、絶望以外何もない状況に陥ってるのだから。
「とにかく移動しましょう、このままでは埒が明きません」
そう言ってからバッグを背負い直し、再び前を向いた。
「だね、さっさと落ち着ける場所見つけて、草加先生を待つとしましょうか」
果たしてそんな場所があるのかという疑問も沸くが、それよりも早瀬さんがやけに状況に適応している気がしてならない。
もはや吹っ切れたとでも言わんばかりに、柔軟体操まで始める始末だ。
今まで散々その『眼』で見てきたのだから、多少免疫があるとは思っていたがまさかここまでとは。
普通なら取り乱したり、罵詈雑言なんかを吐き散らしてもおかしくない精神状態になりそうなものだが。
「早瀬さんは……その、不安だったりしないんですか? 随分と落ち着いてますけど」
「いや、普通に怖いし今にもチビリそうだけど。急にどうしたの」
私の疑問にさも当然とばかりに答えながら、何言ってんだコイツみたいな目を向けてくる。
些か腑に落ちないというか、ちょっとイラッと来る表情をしているがまぁいいだろう。
「それにしては冷静だな、と思いまして。昨日まで『雑魚』に悩んで、常に目の下にクマがあった人とは思えないので」
ちょっとしたお返しのつもりで、ちょっと棘の立ちそうな言い回しをしてしまったが、彼女は気にした様子もなく笑う。
「確かに自分でもそう思うよ。でもいざって時は草加先生が来てくれるんじゃないかって、何となくだけどそう思うんだよね。ホラ、あの人急に現れるし」
そういう彼女の表情からは、微塵も疑いなど感じなかった。
本当に信じているんだ、先生の事を。
まるでヒーローや物語の主人公を信じるかのような、真っすぐ純粋な気持ちで先生の事を想っている。
根拠も確信もないが、絶対に助けに来てくれる。
そう信じて、彼女はここまで頑張っているのだろう。
「早瀬さんはもう少し現実主義者なのかと思っていましたが……ちょっと違うみたいですね」
呆れたように笑いながら、私も口元を緩ませた。
「まだまだ乙女ですからね、夢くらい見るんですよ私も。それに、今は黒家さんと一緒に居るんだから、私だけ取り乱しても足手まといでしょ? だから無理やりにでも走るし、怖くても頑張んなきゃってね」
そういって彼女は笑う。
あぁ、敵わないなってちょっとだけ思ってしまう。
私には彼女みたいな強さはあるだろうか?
私は彼女みたいな想いはあるだろうか?
利用できるものは利用して、ひたすら現実的に物事を対処する。
そんな事ばかり続けてきた気がする。
今も笑っている早瀬さんのその手は、よく見れば微かに震えていた。
怖いくない筈がない、不安にならない訳がない。
今だってこんな状況に閉じ込められて、ひたすら逃げ回っているんだ。
それでも笑う彼女の強さが、私には眩しく見えるほどだった。
「早瀬さんも、なんというか。結構図太いですよね」
「いや太くないから! むしろ平均より細いほうだから!」
別に体型の事を言ったわけではないのだが。
慌てて否定する彼女を見て、再び頬が緩む。
友達というのは、こういう感覚なのだろうか?
なんてまったりしている内に、事態が動いた。
今まで静止していた筈の気配が、一斉に動き出したのだ。
私の感覚が捉えたのは、周りのカレらが一斉にこちらに動き出したのと……そして後方からも、コレはまさか。
「走ります! 多分後ろの連中が動き出しました! それから周りのヤツらも!」
警告を飛ばすと同時に、早瀬さんの手を引っ張って走り出した。
「あぁもう! 草加せんせえぇぇ!!」
通路に響き渡る彼女の悲鳴は、悲しい事にヒーローの耳には届かなかったようだ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます