9/21 ここではないどこか

 9月21日。「ここではないどこか」に私はいる。


 高校生の時も、大学生の時も、ずっと、ここではないどこかに行きたい、と思っていた。地獄のような家から逃れたかったのはもちろんのこと、学校やバイトといった目の前のタスクも、時には交友関係すら――それがたとえ必ずしも悪いものでなくても――すべてを断ちたくなることがあった。自転車をこいでいる時、あるいは電車に乗っている時、今ここで出奔してみたら、という想像をしてみることもあった。

 ここではないどこか。自分を知っている人が一人もいない場所。現実のしがらみが一切存在しない理想郷。

 そんなものはない。結局目の前の現実から逃げることはできないのだと、いつか私は悟った。「ここではないどこか」を諦めてからは、「ここではないどこか」への希求の気持ちは、いつしか「死にたい」と換言されるようになった。


 今の私はたぶん、ここではないどこか、に限りなく近い場所にいる。無論、交友関係をすべて断ち切ったわけでもないし、ひとりで暮らしているわけでもない。けれど、車庫の隅で煙草を吸っている時、あの時あれほど憧れていた「ここではないどこか」は、今この場所なんじゃないかと、ふと思い至った。


 最低限の生活は保障されている。けれど、自分を脅かす存在はいない。仕事もない。何をしていてもいい。家族は私を甘やかすし、私が望めば放っておいてもくれる。


 私は現実から隔絶されている。目の前のタスクを必死にこなしている友人や他の家族と違って、私は何も背負っていない。私だけ、現実に地に足をつけて生きていない。半分死んでいるようだ、と思う。あるいは、余生。


 今日は、下がり切っていない熱がぶり返した。最高で37.5度と、それほど高くはないけれど、身体はしんどいくらいの微熱。

「休んでなさい」とみんなが私を甘やかす。甘やかされることに慣れていない私は、それに少しぎくしゃくしてしまう。


 母が「十二国記30周年ガイドブック」を貸してくれた。ファンとして内容を楽しむ以上に、私は嫉妬で息が詰まりそうだった。これほど愛される作品を生み出せる小野先生も、十二国記への思いを寄稿できた作家も、みんなが羨ましかった。そこに並べない自分の実力のなさが悔しかった。歯がゆかった。


 原点回帰のために、とりあえず十二国記を読み直すことにした。エピソード0にあたる「魔性の子」は、まさしく「ここではないどこか」を題材にしたものである。現実に居場所がなく、「ここではないどこか」へ行ってしまう高里と、「ここではないどこか」に行きたくても叶わない広瀬との対比が切ない作品だ。


 この作品は、私が初めて書いたホラーに多大に影響を与えた。というかあのホラーはもろ「魔性の子」と「ゴーストハント」の模倣だった。自己評価は最悪に近い。胸を張ってオリジナルだと言えそうなシーンは、主人公が父親から暴行を受けるところしかない。


「ここではないどこか」も、行ってしまえば「ここ」でしかない。現実のしがらみからいくら逃げても、ただひとり、自分からは逃れられない。ゆっくり休息できる恵まれた環境にあって、あとは心を休めるだけとわかっていても、自分の拙さや凡庸さ、自分が特別才能に恵まれていない事実が、嫌でも目に入る。


 焦りだけが胸に募る。

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