第9話 お前、名前は?

 私、アリス・ファントムはろくでもない訓練施設で育てられた女の子だ。

 その訓練施設は魔王軍の管理下にあって、存在目的は人間側の要人を暗殺すること。

 育てられる対象は人間の王国から連れ去ってきた子供たちだ。その子供たちは、魔王軍の指導のもとで暗殺者へと育てあげられてしまう。


 私は七歳のときにその狂気の訓練施設に入れられた。

 来る日も来る日も暗殺技術を叩き込まれた。子供が育つには劣悪すぎる環境だったから私は毎日泣いていた。


 硬い石の上に毛布一枚で眠ったり、服はろくに洗濯をせず、身体もろくに洗えなかったりした。ご飯は味のしない栄養食が少しだけ。

 その栄養食がどうにも私には合わなくて、毎日泣きながら口に押し込んでいた。

 環境が悪すぎて他の子たちはいなくなることが多かった。


 子供たち同士で殺し合いをさせることも多いから、友達はすぐにいなくなった。

 任務に出されることもあって、それに失敗したら証拠隠滅のためにすぐに殺されてしまう。だから、みんな必死に頑張って生き抜いていた。


 そんな地獄な生活を必死に耐えて生き延びていたら、私はいつのまにか訓練施設が始まって以来の天才と呼ばれるようになっていた。

 訓練施設の主任にやたら褒められて気に入られてしまった。


「おお、アリス。お前は私の誇りだよ。アリスを娘のように愛しているよ」


 なんてよく言われたっけ。

 その主任に愛想よくしていると、わりと待遇がよくなった。だから、私は生存本能で娘のふりをしていた。

 その主任は、私を本当の娘のように思ってくれていたと思う。おかげで、わりとまともな住環境で睡眠を取れるようになった。栄養食だけは変わらないのがつらかったけど……。


 その主任の下で、私は数々の暗殺任務を成功させた。

 すると、その主任はもっと喜んだ。

 ある日、その主任が悲しそうに私に命令をくだした。


「勇者レオ・ハーモニーとその仲間たちを暗殺せよ。これが魔王様からアリスに直々にくだされた命令だ」

「了解した」

「了解しなくていい。ここは具合が悪いことにしなさい。演技はできるね」


「……? 演技の必要はない」

「勇者一行は強すぎる。今回ばかりはいかにアリスでも任務達成は不可能だ」

「そんなことはない。私なら必ず任務達成できる」


「いや、ダメだ。私はお前を本当の娘のように思っている。大人しくいうことを聞きなさい」

「バレたら必ず処分される。魔王様に命を狙われるくらいなら、勇者と戦う方が百倍マシ」

「それはそうなんだが……」


「必ず帰ってくる、パパ」

「アリス、ダメだ。行ってはいけない――」


 私は主任の静止を振り切って勇者一行の暗殺へと向かった。




 冬の日だった。とても寒くて指がかじかんでいたし、鼻先がものすごく冷たかったのを覚えている。

 勇者一行は、あまりにも華がありすぎたからすぐに見つけることができた。十代半ばの少年が一人と、美少女が三人のハーレムパーティ。こういうのがリア充なんだなってなんとなく思った。


 私はこっそりあとをつけた。

 ジーッとジーッと影から勇者を観察して、夜になるのを待った。

 そして、美少女三人による壮絶な勇者の奪い合いを目の当たりにして、女の人って怖いって震えていたら、勇者だけが一人で別の部屋で眠る話になったのが聞こえてきた。


「これは暗殺の大チャンス」


 勇者の部屋にはあっさりと忍び込めた。アホ面で眠っている勇者にそっと近づく。そして短刀を取り出して、そっと勇者の喉元に。


「……ん?」


 気が付かれてしまった。気配を完全に消していたのに。

 これが勇者の実力なんだと恐怖した――。私の短刀は勇者の喉元には届かなかった。短刀が勇者の二本指に挟まってぜんぜん動かせない。


「……この人、バカみたいに力持ちだ」

「おお? 物騒だな」


 私はもう一本の短剣を取り出した。

 その短剣を勇者の胸に突き刺そうとしたら、勇者の手に短剣を奪われてしまった。そして、気がついたら私は勇者に組み伏せられていた。

 さっきとは逆に、私の喉元には短剣が突きつけられている。


「任務……失敗……」


 暗闇でも勇者がニコッとしたのが分かった。


「だな。大失敗だ」

「早く殺して」

「えー、どうすっかなー」


 私は生理的に恐怖を感じた。きっと私はこれからこの人に大変なことをされてしまう。悲しくて涙がいっぱい出てきた。


「こ、この鬼畜……。きっといたいけな私の身体を、欲望のはけ口にする気なんだ……。ぐすん……」

「ちょっ。どこでそんな言葉を覚えたんだ。ちっちゃいお子様のくせに」

「任務に失敗したら、殺されるか、身体を弄ばれるかのどっちかだって教えられてきた」

「ろくでもねー教育されてるんだな」


「私、自分は幼児体型だと思ってたけど、勇者がロリコンなら仕方がない」

「おい、人生を諦めきった目をするな。あと、俺はロリコンじゃねーっ」

「大丈夫。私、我慢できるよ。ぐすん」

「悲しそうにしながら、俺を受け入れる心の準備をしてんじゃねえっ」


 しばらく待った。でも、勇者は何もしなかった。


「……。……。やらないの?」

「やるかっつーの」

「私、こういうの知ってる。焦らしプレイって言うんだよね。センスないなって思う」

「ちげーよ。焦らしてるわけでもないっつーの」


「じゃあ、なに? あ、分かった。私に手を出したあとで、隣の部屋に眠る美少女たちにどういう言い訳をしようかなって考えてるんでしょ」

「違うんだよな。そのお姉さんたちが外にいるロクでもない連中を片付けるのを待ってるんだよ」

「……?」


「お前、任務が失敗したら監視者に殺されるだろ。その監視者をな、お姉さんたちが倒してるんだよ」

「……え?」

「これ、お前が自由になるための作戦なんだよ。俺がおとりになる作戦な。わざと一人になってお前を誘い出したってわけだ」

「……はい?」


 外から声が聞こえてくる。お姉さんたちが戦っている声だった。

 どうやらぜんぶ察されていたみたいだ。


 私が勇者の命を狙っていたことも、魔王軍が人間の子供を暗殺者に育てあげていたことも、任務に失敗した子供たちが消されてしまうことも。

 しばらくしたら、外から聞こえてきていた声が遠くへと離れていった。気配からして、たぶん監視者が一人だけ逃げ出して美少女三人が追いかけていったみたい。


「っしゃ、ひとまず終わったな。じゃあ、ご飯にすっかー」

「……え? さっき美少女たちとたくさん食べてたのに。勇者はすぐにお腹が空くの?」

「俺じゃねーよ。お前、ずっと隅に隠れてて俺たちを監視してたから何も食べてないだろ」


 たしかに何も食べてない。今朝、一口だけ栄養食を口に押し込んだのが最後の食事だった。


「子供がお腹を空かせてたらさ、みんな普通は心配すんの。宿の厨房を借りる許可をもらってんだ。ほれ、行くぞ。」

「子供って……、勇者って何歳?」

「一五歳だ。そっちは?」

「一一歳。たいして変わらないね」


「ぜんぜんちゃうわ。四歳も違う」

「ふーん」

「ふーんって、聞いたのにぜんぜん興味なさそうだな」

「だって、任務に失敗した私はどうせ遠からず死ぬし」


「死なせねーよ。ずっと俺の傍にいろよ。ここが一番安全だぜ」

「このロリコンが」

「ロリコンちゃうわ。で、ロリっこ、お前、名前は?」


「人に名前を聞くときはまずは自分から名乗るもの」

「そうだな。俺はレオ。レオ・ハーモニーだ。こう見えて勇者をやらせてもらってるんだぜ」

「……私はアリス・ファントム」

「そか。よろしくな、アリス」


 このときのレオの優しくてぽかぽかな笑顔は、私、今でも覚えている。

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