黎明の三日月(クレシエンテ)

蓼丸咬白狼明愛

第一幕 Fortes fortuna adjuvat

#’1 Fortes fortuna adjuvat  1/6



 良くある事だ。




 ふと気がつくと、そこには見慣れた景色は無く、見覚えのあるようなないような樹木が両脇に立ち並ぶ道は、土がならされただけの剥き出しになっている。

 身体は軋み、強い倦怠感が蔓延っている。辛うじて遠巻きに見える建物は中世ヨーロッパを思わせる木造や煉瓦造りが大半で、高層ビルどころか、目の前を横切るのは小動物や虫の類いだ。



 ぼう……とした頭が思考を始める。

 こんな事はよくある事だ、と。


 若者向けの小説を読んでいれば、実に在り来たりな展開だ。

 目の前が暗転し、次に光が差すとそこは、




  そこは見知らぬ世界だっただなんて。




 そんな事、きっと良くある話なのだ。


 カタ…キシ…と聞こえてくる木の擦れる音と、蹄鉄ていてつが地面を蹴る音とを聞きながら、僕の意識は再び深く沈んでいった。






黎明れいめい三日月クレシエンテ





 #序。─────。




 空は赤く、揺れる影は炎によるものだ。幾つかの建物は崩壊を待つばかりだろう。 世闇を照らす筈の月は、延々と立ち昇る煙により既に閉ざされていた。


 手に持つ刃は三日月のように曲がり、血油に濡れている。


 魔物と呼ばれる存在を今この晩に斬った数は、いったいどれ程になるのだろう?依然、その数は増え続ける。



 孤りこどくだ。



 魔物が嘶く。ヒト型の体躯は筋肉が浮き出し、簡素で無骨な得物を振りかざし、迫る。



 たが ─────




 ───── 容易い。




 足下に肉塊が増えると、取り囲む魔物を………次の獲物を見据える。

 魔物達が少し、たじろいだ気がした。


 取り囲む魔物の一部分が崩れた。代わりに現れたのは大型の異形。


 アレは様々な魔物を継ぎ接ぎに繋げられた歪なもの。しかし、そのつなぎ目には、嘗て人間の顔であった物である事がはっきりと見て取れ、炎上する家屋の明かりに揺れている。


 アレは人間の魔術によって創られた魔物だ。

 生み出すのに、いったいどれ程の命が失われて行ったのだろう。


 刃を握る拳を祈りをする様に額に添えた。






 ──── 主が、私の成す事を御覧なさるれば、私には罰が下るでしょう。






 異形が吼える。その咆哮は魔物そのものだが、開いた口からは人の臼歯の様な歯が見て取れる。………悪趣味だ。






 ──── 然ればこの身を贄と指し、私は黒く、瞬く命をついばもう。






 額に当てた刃が魔力により振動するのを感じる。






 ──── 厭世蛾眉えんせいがゆは咎を刈る。





 …………………せめて、祈りを。

 目を閉じ、開けた。





 ────── 冥府誘う三日月鈎クチージョ・ラ・クレシエンテ





 構えた三日月は卑鳴に似た狂音により揺らぎ、

 魔物は一斉に押し寄せた。








   ───────────・───────────







 #1、漂流者



 名を呼ばれた。そんな気がした。意識はその声を聞いて浮上する。

 目を開ける。


 そして、



 (……夢だ。)


 そう直感した。



 明晰夢だったか。

 意識は勿論、手脚に感覚がある。だが、目の前に広がる空間はただただ何も無く、霞の様な空間が広がっているに過ぎない。

 その違和感故に、そうだと認識した。



 こと………。



 何も無い筈の空間に音が響いた。


 躰は、音の正体を確かめようと反射的に振り向いた。

 意志とは関係なく、反射的に。


 そこには何かが居た。しかし、正体がまったくと言って良いほどに不明確だ。

 影、靄……。ゆらゆらとただそこに「それ」は居た。



  ───!



 声が出ない。

 躰は「それ」を認識した瞬間に硬直してしまっている。


 目の前に居る「それ」を僕はきっと知っている。


 知っている筈だ。


 これは、



 これは ─── 。




 「それ」の手が頭へと伸びる。



 だが、



 触れる直前、

 「それ」は音も無く、前兆も無く消えた。

 瞬きをしたわけじゃない。

 「それ」が何か動いたわけでも無い。


 ただ、霞のように消えたのだけは確かだ。


 人形の糸が切れたように膝から崩れ落ちる。

 「………………!」

 息が切れる。身体はあの一瞬で冷や汗に濡れている。




 立ち上がるのも息を整えるのもままならぬまま『次』は直ぐにやってきた。


 息が聞こえる。人の声も。

 1人じゃない。

 その複数人が往来している。

 足音、誰かが誰かを呼ぶ声、指示を出す者、傍に居る者。



 (ここ……は………?)


 白い空間は遠離り、黒い空間に吸い込まれていく。


 (ここはどこだ……!?)



 その疑問が浮かんだ時、僕の意識は一気に覚醒へと向かった。




         *




 「ヤクト! 漂流者が目を覚ましたわ!」


 僕の傍らで声を発したのは、髪を後でお団子状に編みこんでいる大人びた風貌の女性だった。

 とは言え目を開けたばかりの僕にはピントの調整が上手く行かず、他の状況を直ぐに把握する事が出来ずにいた。


 「本当か!」


 野太い男の声が返ってくる。

 どうやらこの声の主がヤクト、と言う人物なのだろう。


 「ええ、早く」


 野太い声にお団子の女性が直ぐに呼応した。

 ドカドカと乱暴な足音が近づき、やがて髭の生えた強面が僕の顔を覗き込んだ。


 「気分はどうだ、坊主。」


 目線を動かす。

 僕は簡素なベッドに寝かされ、薄い毛布をかけている。点滴などはされていない。しかし、傍らに水の入った桶。桶には布がかかっていた。

 僕は看病をされているのだ。この女性と男性に、どうあれ助けられているのだろう。


 先ほどの問に、僕は僅かに首を動かして答えた。


 「……よし、聞こえてるな。俺の名前はヤクト。この村の衛兵長ってのをやっている。まぁ、ちょっとしたお偉いさんだと思って貰ってかまわねぇ。んで、お前さんの命はひとまず俺が預かってる。俺らはお前さんの敵じゃねぇ。いいな?」


 「……はい」


 不思議と言葉が理解できた。少しずつ、少しずつ回復していく視界に映り込む景色は、おおよそ現代の『──』の物では無い。体つきの良さといい、目の前の強面は西洋の人の顔立ちの様に見て取れた。にもかかわらず、言葉が理解出来るのだ。



  ………待て、




 『──』とは何だ?



 自分が元々居た場所の名前の筈だ。だが思い出せない。いや、と言うよりも黒く塗り潰されたようだ。

 記憶が混濁しているのか?

 だんだんと意識が景色がはっきりしてくる。その所為か、額に汗がにじみ呼吸は粗くなる。


 「記憶………僕は……………?」


 他は………?

 僕は何をしていた………?



 ……黒い靄だ。

 その場所の風景は……?もっと何か別の、道は、『──────』で舗装されて、…


 黒い靄がまた掻き消す。


 その舗装された道を『───』が走って……誰か…誰か、が?

 消えた。記憶の破片が拐われた。


 靄だ。黒い。


 黒い。


 黒い。


 黒い。



  黒、





      くろクて





             くロヰ




    その黒は



 廻って躍って



  頭の中はくわんぐわん







 肩を

 揺さぶられた。



 「落ち着いて…!大丈夫、大丈夫だから……」


 僕の様子にお団子の女性が慌てている。空の桶を用意し、別の桶から濡れた布を取り出し、絞っている。


 声を掛けられたお陰か、少し、ほんの少しだけ思考が廻り始めた。



 何か、


 何か。無いのか。


 思い出せる何か──────。

 あの日の友人の顔すら、

 親の顔すらも、ところどころが塗り潰されている。

 まるで不要と、異端とされたものを黒く潰された書物の様に。




 ならば名前は?




 自分の、名前。







 ────── 名前、は。





 「………………………………………。」





 風が吹いている。軒先で小さな子供が誰か大人と話しをている。

 

 記憶。


 いつだったか、何処か馴染みのある場所での記憶。

 隣に座る大人の顔は塗り潰されているのに、何故だかそれを理解できた。



 笑顔こそ無いが、見ている方向は僕では無いが、彼の意志は確かに僕に向き、そして、


 そして、



 『シューユ。』


 その名が聞こえた。

 僕の、名前。

 由来は、父と母が好きだった武将の名であったと思う。

 その武将の功績も、何処のどんな人物だったかさえも思い出すことは叶わない。が、両親はただ1人の息子に、互いの願いをこの名前に籠めたのだろう。

 ごつごつとした大きな手が、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。


 『お前は筋が良い。此は、今の世の中じゃ決して使うことの無い物だが、それでも、この家に代々伝わる技術を受け継いでくれた。』


 少しだけ困惑しつつも、僕は答える。


 『……ありがとう、ございます』

 『いいや。………ありがとうな』



 それは、厳格な父から初めてでた感謝の言葉だった。



 1つの記憶の欠片を見つけ、その欠片は近しい記憶も呼び覚ます。


 思えば父と母は高齢だった。

 長らく子が居なかったが、父が還暦間近となったとき僕が生まれた。


 それから僕が物心を覚え程なくして天寿を全うした。

 だが、父から受け取ったモノはとても、とても大きいものだった。


 少なくとも、



 今の僕と、そしてきっとこれからの…………。 




 ……息を吸い、下腹部を膨らませ、コンマ数秒間だけ溜め、たっぷりとゆっくりと息を吐いた。酸素を求めていた脳が、心臓が、それを待ち侘びていたと動き出し、血液は廻り末端まで向う。少し…指先に感覚が戻ってきた。

 落ち着け。これはきっと一時的な混乱だ。きっと問題は無い。きっと。きっと。


 「……たいしたもんだ。」


 強面の………ヤクト、がポツリと言った。

 僕は声の方へ向き直る。そして、口を開く。


 「……助けて頂き、ありがとう御座います。」


 ヤクトが目を丸くした。


 「すげぇな、坊主。気分、悪かったりしねぇか?混乱してたり、大丈夫なのか?」


 ヤクトの質問に、短く息を吐き、吸い、整え、答える。


 「大丈夫、ではないです。けど、こうなった以上、できる限り状況を把握しないといけませんから。」


 これは本音だが、自分に言い聞かせている事だった。

 今は命はあるが、今後どうなるかなど解らない。このまま追い出される可能性もある。奴隷制が存在し、そうなる可能性だってある。尤も仮にここが『異世界』であるならば、予想だにしない別の事が起こるやもしれない。

 だが、この人達は少なくとも僕を助けてくれたのだろう。この僅かな手がかりを僕は直ぐにでも摑みたかった。本当は心の奥は恐怖で染まっている。見知らぬ空気に肌がヒリつく。

 知らない場所。知らない世界。

 誰も何も解らない世界。


 ………


 吸う。そして、はいた。

 もう一度恐怖を押しのける。


 「ここは、異世界なんですか?」

 「…呼吸か。」


 質問の答えはえられなかった。代わりにされたのは僕への質問。……歯痒い。


 「線は細いが……。無駄な肉もないな」


 淡々と、この人の興味は、僕の中の『武』と言うものに向いている。


 そして、僕は警戒されているのか……?だとすれば拙い。冷静を装ったが故か、他に何か見落としがあるか。どうする──


 「ヤクト!」


 僕の思考を女性の声が切り裂いた。そして、淡々と分析を続けていたヤクトもその声にハッとしていた。


 「あぁ、悪い!坊主なかなかの胆力だから、つい、な」


 先ほどまでしていた神妙な顔はなく、その強面は悪びれた子どもを思わせるものになっている。

 その表情に、ざわざわとした警戒心も霞んでいた。


 「あの、父が……、常に呼吸を意識しろと」


 すると強面がニカッとした笑みに変わった。


 「ほう。体に染みついてんだな。あぁ、そりゃ良いことだ。坊主が今生きてんのは、その教えあってかも知れんな」

 「え……は、はい。」


 今度は僕が面を食らった。いや、警戒されているかも知れないと思っていたが、そもそもそれ自体が杞憂に過ぎなかったのだろう。冷静を装ってはいたのだが、真に冷静とはいかなかったらしい。


 「んで、質問の答えだが……」


 筋肉の浮き出た腕を組み、強面は今度は真剣な表情で僕を見据えた。


 「正直、解らん。いや、解らんと言うより、そうだと言う証明が出来ん。少なくとも、そんな質問したってことは、憶えの有る景色とはだいぶ違ぇんだろ?」

 「……はい」


 辺りを見回し、短く答えた。

 煉瓦と少しの木材で建物の中。蛍光灯等と言った明かりは一切無く、代わりに照らしているのはランプの光だ。よほど良いランプなのか、部屋が狭いからか、顔の判別はもちろん、文字も読めそうだ。

 しかし、どれもこれも、僕が生活してきた物とは異なるものだ。


 「でもね、」


 今度はお団子の女性が口を開いた。ランプ灯りに照らされた影が、木製の壁に薄く揺れる。


 「その可能性はもの凄く高いと思っているの」

 「……。」


 ぐ…、と息を呑む音は、僕の喉から聞こえた。


 「伝承があってね」  

 「伝承……?」


 僕の声に、ヤクトと女性は頷く。


 「その者、光と共に現れり。持ち得る力、人智を超える。

 これは、大昔から伝わる伝承の一部。だけどね、この伝承似た事例……つまり、突然見知らぬ人が現れて、それがどうもこの世界の人じゃない。そんな事が世界のあちこちで起きてるらしいの。」

 「じゃあ……」

 「私達はその伝承を目の当たりにした事は、ちょっと前まで無かったけど、かなりの確率で君もそうなのかも知れないわ。

 そして、その似た事例によって現れた人はこう呼ばれるらしいの。


  『漂流者ひょうりゅうしゃ』と。」



 息を呑む。額の汗が線と成り、首筋を伝い鎖骨まで落ちた。

 予想はしていた筈だった。でも息が詰まりそうなのは緊張か、体に滲む疲労からか……。


 「あなたが倒れていた場所の近くではね、雲1つ無いのに雷に似た光を見たって言う人が何人かいるの。」

 「……ざっくりこんな所だ。少なくとも、こんな状態の人間を放っておく訳には行かねぇ。暫くは俺とコイツでお前さんの面倒を見させて貰う」


 ぶっきらぼうに感じるが、その声の芯からは傷付いた者を労る感情が見えていた。その声色に、僕は頭を下げた。


 「心配すんな。お前さんと同じ漂流者じゃないかって奴らだがな、実はあと4人居るんだ」


 「…はい?」


  前例、あり…。ならそれはもう、確定じゃないだろうか。




         *




 外では日が傾き、月が顔を出していた。

 土をならし造られた道は、沈みかけた夕陽と大きな月がもたらした光によって、優しく照らされている。


 尤も、

 その月すらも見覚えのあるものとは違っていた。が、だんだんと世界を夜に包んで行く。


 「……やっぱり、珍しいモンなんだな」


 道の少し先を行くヤクトが空を見上げる僕を見てそう言った。

 慌ててヤクトに向き直り、離れた距離をやや早足で程よい位置まで詰める。


 「いやな、さっき言った4人も皆あの月に驚いてたからよ」

 「……僕の知っている月とは、だいぶ違って見えるので」

 「みてぇだな。坊主…いや、シューユか。結構な胆力だったが、どっか衛兵やらの生まれだっりたりするのか?」

 「いえ…。僕の世界では、その手の職業は余り一般的では無かった、と思います…」


 とは言え無いことも無い。例えば有事の際に活躍する人らもいた気がするが、何も戦いが本懐では無かった、と思う。とは言え父が特殊な仕事を生業としていた事はない。いやそれとも、それすらも記憶から抜けている可能性も……。


 「んー、そうか。」


 歯切れの悪い返しに、ヤクトがそう答えた。無理に詮索するつもりは無いらしい。


 目覚めた小屋からやや歩くと、レンガ造りの一軒家の前へとやってきた。

 ヤクトが人差し指の甲の側でドアを叩く。


 「俺だ。開けてくれ」とこえをかけた。……なんだか古き何かを感じさせる。

 しかし、その声に反応を示すものは無かった。人の気配もなく、そう言えば窓の隙間に灯りも見えない。


 「…留守でしょうか」


 正直、僕は他人とのコミュニケーションをやや苦手としている為、多少の緊張を感じていた。

 目覚めてから時はそう経っておらず、疲労の残った中でその緊張がしばらく続くのかと思うと、どうしても憂鬱な感情を覚えずにはいられない。

 「んん、」とヤクトが唸る。


 「となると修練場か? あんまり遅くなるなって言っておいたんだがな……。すまねぇが、もちっと付き合ってくれ。先に休んでも良いが……」

 「いえ……先人が居るなら、挨拶しておきたいので」

 「そうか。」


 気まずさの更なる延長を回避すべくそう答え、消えつつある茜色と月明かりの道をヤクトを先頭に再び歩き始める。

 ヤクトと髪をお団子に結んだ女性(そう言えば名前を聞きそびれた)がここを『村』と呼んでいた通り、広々とした畑が広がり、林と家とが点在している。


 道中、ヤクトは先んじて現れたという『漂流者』について簡単に教えてくれた。

 男女が2人ずつ、計4人が見つかったのは10日ほど前、この村のほど近くの街道で見つかったようだ。4人が見つかったのは同時で、僕もその街道で倒れていたらしい。

 ヤクトは自分でも言っていた様に、この村を護る衛兵の長を務めていて、その4人を衛兵見習いとして迎えいれる形で保護している。

 彼らは慣れない環境であるはずだが、最近では、他の衛兵達や村人達とも馴染みつつあるのだという。

 そして、道中のヤクトの話しの中で、異質な物が耳に残ったものがあった。


 それは、


 『魔』と言う存在。


 この世界には魔が存在するのだ。魔力。魔力を行使する事による魔術。そして、魔物。

 魔力、魔術と言った物は人々の生活に根づき、しかし、やはりと言うべきか、魔術はたびたび争いにも用いられると言う。


 魔物は動物とはまた異なる存在らしい。生物と言う事には変わりは無いとのことだが、時々であるが人間を襲う事例もある。(とは言えそれは動物も同じか)魔物も生態系の食い食われ、奪う奪われる者として、世界中に当たり前に存在している。

 僕にとって、いや、漂流者にとって未知の危険である事は間違いないだろう。



 ややあって、道中見た村の建物の中で一際大きな建築物に到着した。

 そして、ヤクトは自慢げに語る。 


 「ここが普段、衛兵である俺らが訓練や集会、宿舎にも使ってる、いわゆる営舎だ。なかなかのデカさだろう」


 確かに立派な建物だ。結構な広さの敷地内には、大小様々なレンガと木の造りの建物があり、それらは渡り廊下で繫がっているようだった。


 正面の…一際目を見張る建物のドアの前へと到着する。

 そして、ヤクトが扉を開けようと手を伸ばすと同時に、


 扉が開いた。


 顔を覗かせたのは4人の若者。「丁度良かった。」ヤクトが呟く。


 そう。

 彼らこそ、僕と同じ『漂流者』と呼ばれる、この異世界に迷いこんだ者達だった。


 そのままヤクトは彼らに対し話を続ける。

 日が落ちる時間帯まで家に帰らなかった事への説教か。しかし、僕に背を向けるヤクトの表情こそ見えないが、遅くまで鍛錬をする心意気には責めてはいないようだ。だが恐らくその立場から、彼らを律しているのだろう。


 ひとしきりの注意が終わり、ヤクトの話しはいよいよ僕へと移行する。


「ああ、そうだ。お前たちにも噂くらい耳に届いてるとは思うが…今朝方にお前たちと同じ漂流者をウチで保護した。」



 4人の視線が僕へと移る。

 と……。扉から現れた4人の内の1人と目があった。

 いや、彼は目が合うより前から僕を見ていたようだ。新顔への興味、と言うより睨んでいたと言う方が適当だろう。

 睨みそのまま、肩で他3人を押し退け迫って……、


 「………………?」

 彼が目の前に立ち、見下ろされている。


 4人の内でもかなりの高身長。

 ヤクトはその体つきもそうだが身長もなかなかの物であった。が、僕を見下ろす彼もまた、引けを取らない身長だ。

 そして何より、横幅は細身の僕を2人束ねてもまだ足りない位に太く、がっしりとしている。(…因みに僕の身長は……そこまで…気にしていないがそんなに高くはない。)


 「おい……どうした?」


 ヤクトが声をかけるが、突然の事に周りの反応も唖然としている。

 見下ろす形相は、固い。がんばす、と言うやつか。


 「……あ、あの…」

 「お前、」


 僕の声は、彼の圧にかき消された。

 緊張。だが、どことないデジャヴを感じていた。

 そしてその理由は、瞬く間に判明する。


 「ニシコウのシューユか」


 『ニシコウ』

 記憶のピースが、パチリと音を立てた。黒く潰されていた記憶の中で、ある顔が露わになっていく。

 ニシコウと言うそれは、僕の通っていた学び舎の名前だったと思う。少なくとも、そこは多くの人にそう呼ばれていた。

 そして目の前の彼は、僕の数少ない……。


 「聞いてるか?おい?」


 真顔で僕を見下ろす彼に、ヤクトが声を掛けた。

 どれ程の間が空いたのだろう?数秒も経過していない筈だが、目の前の事象に向き合うには充分だ。

  

 「おい、止さんか」


 痺れを切らしたヤクトが割って入ろうとするが、僕がそれを止めた。

 そして、彼の名前を呼ぶ。


 「……ヤス?」


 声を聞いた瞬間、真顔だった顔が僅かに緩んだ…気がした。

 次の瞬間、僕は胸ぐらを掴まれれ体が足先が地に着くかギリギリの位置まで持ち上げられた。

 周りの反応は様々だ。唖然とする者、止めに入ろうと身構える者、悲鳴を上げそうに鳴り口元に手をやる者と居る。

 だが、

 僕が感じたデジャヴは、心地良いものに変わっていた。


 一番近くに居たヤクトが止ようと動くより速く、僕の両手は駆動する。

 胸ぐらを摑む手は左。

 最短で、

 右手は肘を

 左は手と腕を繋ぐ橈骨手根関節とうこつしゅこんかんせつへ向かう。


 短く息を吐き、


 流動する波の如く腕を動かした。胸ぐらが解き放たれ、つま先に着地のテンションを感じる間に左手を伸ばし、延長線上にある顎を摑み固定、己が体は左手の動作と同時に己が右側から背後へ移り、右手の中指と人さし指を揃え眼前へ─────。


 「また僕の一勝だね。ヤストキ」


 息を呑み驚きが呆然となった皆を余所に、僕は彼に笑いかけた。

 そして、彼もまた左手で下顎を掴まれながらも、口角がニヤリと上がり、


 「クソったれ……やっぱり強ぇな。ニシコウの狂犬は」


 懐かしそうにそう言った。その表情を僕は知っている。

 「んん、」

 咳払いはヤクトだ。


 「周りを置いて何を…」


 ばつが悪そう言いかけたが、3人の内一番外側にいた長髪の女性が僕らへと動いていた。ヤクトの体軀から躍り出るや否や彼女の平手を大きく振りかぶり……


 「ケンカは……駄目でしょ!」

 言い終えるが速いか頭の上に衝撃。音が2つ聞こえたのは、ド突かれたのが僕とヤスである事を示唆している。

 くらっ……とした視界の淵できらきらと星が見えたのは、夜に映った星空だろうか。



 「馬鹿、お前…!」

 「その、そんなつもりじゃ…」


 遠巻きに騒ぐ声たちを聞きながら、星はちかちかと弾けて消え、力が抜けるような感覚に僕の意識が支配されそうになる。


 (……あ、挨拶しないと)


 そんな事を思いながら、僕の意識は沈んでいった。



 俗に言う『異世界』での生活は、余りにも慌しく、そして呆気なく始まりを迎えた。


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