117 弱さを受け入れる勇気

 真っ暗闇の中。

 そこは、アルフの精神世界だった。


 地面には、粉々に砕かれたガラスのようなモノが散らばっていて。

 もはやそれは、砂のようになっていて、原型は全く分からなくなっている。


 そして、そんな世界の中心に、アルフは倒れていた。

 傷は何も無いが、その目は、死んでいた。


「……ご主人様」


 アルフとミル、互いの古代魔法が共鳴した結果だろうか。

 アルフの精神に入り込んだミルは、倒れる彼の側に近寄り、しゃがみ込む。


「ご主人様、助けに来ました」

「…………ぅ」


 ミルの言葉に、アルフは反応した。

 だが、まるでミルから目を離すように、地べたに顔を埋めた。


「もう……いいんだ……」

「……」

「俺じゃあ、ミルを、守れない……ミルの、側にいる資格なんて……」


 丁寧に丁寧に、シャルルの幻覚により心を粉々にすり潰されたアルフには、もう自信など欠片すらなかった。


 アルフにはもう、何が現実で何が幻なのか、分からないのだ。

 無限に続く夢と悪夢を交互に見せ続けられ、何度も何度も希望を見せ、それを壊し、守れなかったと心に刻みつけられ。

 ミルを何度も何度も追い込み、死なせてしまって、お前が悪いと責められる。

 そしてそれと同時に、悪くないよ、頑張ったよと、慰められて。

 ミルを死なせる度に、慰めは少しずつ少なくなって、やがて……絶望したその時には、慰めの声は消えていた。


 心優しいミルにまで見放された、それにより再起不能なまでに心が壊れた今……ミルの慰めの言葉は、欠片も届かないことだろう。


「……ご主人様。一体、何があったのですか?」


 それを察したのか、あるいは直感か。

 ミルは慰めることはせず、アルフにそう尋ねた。


「…………ミルを……何度も死なせた。俺の、せいで」


 アルフは十秒ほどの間を置いて、答える。


「俺はミルを、守れない……大切な人を、守ることすらできない…………最低な、男だ……」


 自分はもう、ミルを守ることなどできないと。

 だから、守る資格などないのだと。


「……」


 その言葉を受け止めたミルは何度も何度も、ゆっくり深く頷いた。

 辛いことが、苦しいことがあったんだなと、容易に理解できた。


 でも、その上で。

 ミルは、アルフの身体を無理矢理持ち上げ、その眼前で、叫ぶ。


「そんなこと関係ありません!」

「っ!」


 これまでに聞いたことのないような声に、アルフは目を見開き、驚く。


「私にとってご主人様は、ご主じっ……アルフ、さんだけなんです!」

「ミ、ル……」

「だから、資格とか何がとか、関係ありません! どれだけ負けてたって、何したって、ご主人様はご主人様なんです!」


 それは、盲目的な信頼だった。

 ご主人様は何をしようがご主人様、だから守れるとか守れないとか、そういうのは何も関係無い。


 でも、守れないとミルは死ぬ、死ななくても酷い目に遭う。


 アルフは無敵ではない。

 これまでの戦いで、アルフは二回も敗北し、命を落とした。

 そしてミルを、危険な目に遭わせてしまった。


 その二回とも、ミルの古代魔法によって命を取り戻した。

 しかしアルフは、自分から助けを求めたことは、一度もなかった。


「……ご主人様にも、こういう弱っている時はあるんですね」


 アルフは人間だ、無敵の超人ではない、負けることもある。

 そして今、目の前で、アルフは敗北して、弱々しい姿を晒している。

 ミルはその様を見て、改めてこの事実を理解した。


「大丈夫です」


 ギュッと、アルフを抱きしめる。


「どれだけ辛くても、苦しくても、私がご主人様を支えますから」


 そして、背に生えた翼も使って、包み込む。

 これまで助けられてきたのと同じように、ミルも、アルフの心を癒していく。


「私はこれまでに何度も、ご主人様に助けられました。今度は、私の番です」

「……!」


 アルフの胸が、熱くなる。

 枯れ果ててしまっていた古代魔法の力が、再び蘇っていくのを感じる。


「これからは守られるだけじゃありません。私は、ご主人様と共に支え合って、これからの人生を生きていきたいです……っ!」


 一緒に、生きましょう。

 どれだけ辛い時でも、苦しい時でも、共に支え合って、歩いていきましょう。

 ミルの、これまで吐き出すことがなかった、心の底の想い。

 それは凍りついたアルフの心を溶かすのに足るほどの、凄まじい熱を帯びていた。


 同時にアルフは実感する。

 ミルは、ここまで成長していたのかと。

 そして、このミルが本物で、現実であることも、直感的に理解した。


「……ッ」


 そしてミルを抱きしめ返す寸前、思わずアルフは身体を硬直させた。


「……ご主人様?」


 身体を止めたアルフに尋ねる。

 アルフの呼吸は、若干速く、荒くなっている。


「何かが、怖いんですか?」


 その言葉は、ミルの直感から出たものだった。

 しかしアルフは言葉に反応して一瞬、わずかに目を見開いた。


「怖、い……? そんな、ことは……っ、でも……身体が、震えて……」


 そしてその身体は、何故か震えていた。

 抱きしめようとすると、その震えは大きくなり、顔を歪ませてしまう。


「大丈夫。怖がらないで、私を頼ってください。頼って、ほしいんです」


 そう、優しく語りかけるように言われると、さらにアルフは、目に涙を浮かべる。

 あまりにも、優しい言葉だし、目の前にいるミルが本物だということは、完璧に理解しているというのに。

 いや、優しい言葉だからこそ、アルフはミルのことを拒んでしまう。


「頼る、なんて……」

「……嫌、ですか?」


 ミルの言葉を聞き、アルフは考える。

 嫌ではない、はずなのだが。

 誰かに、特にミルに頼ってしまうことが、何故か、何となく怖く感じる。


「教えて、ほしいです。ご主人様が、何を怖がっているのか」


 確かに、ミルには自分の心の内を話したことはなかったかもと。

 アルフは改めて、そう思った。


「……プライド、なのかもしれないけど。誰かに頼るのが、物凄く……怖い」

「頼るのが、怖い……」

「何と言うか…………」


 逡巡しながらも、アルフは涙を浮かべ、口を動かす。


「失望される、気が、して……」


 それは、これまで誰にも頼らず、一人で全てを倒してきた故の感情。

 これまで一人で戦ってきたからなのか、特に戦闘において誰かに頼ることに対して、漠然とした恐怖があったのだ。

 人を頼るほど弱いなら、見捨てられる、失望されるかもと。

 強さで賞賛されてきたからこそ、それを失えば、人から忘れられ、見捨てられると、無意識に考えていたのだ。


「……そうだったんですね」


 話を聞き終わり、ミルは頷く。


「見捨てられるのは、怖いですよね。私も……ご主人様に捨てられるかもと思うと、怖かった時期がありました」

「そっ、そんなことは……」

「今は、思ってません。ご主人様はとても優しいと、そう理解しましたから」


 見捨てられるのは、怖い。

 それは誰でも同じで、ミルにとっても怖いものだった。

 でも、アルフと出会って、彼を心の底から信じることができるようになったのだ。


「私は、ご主人様が守ってくれることを、信じてます」

「……うん」

「だから、私のことも……信じてほしいです。失望するなんて、絶対にあり得ないって」


 アルフは、息を飲む。

 ここで受け入れれば、それは自分が弱かったと、言ってしまうようなものだから。


 しかし同時に、この世界が揺らめく。


「私達は人間で、恋人同士で……だから、共に支え合うんです!」


 まるで地震のように、世界は音を立てて大きく揺れる。


「人間で、恋人同士……だから、支え合う……」


 アルフは神と成った。

 しかしそれでも、彼の心は人間だし、それ故に不完全だ。

 それに、神になっても勝てない相手だっている。


「そうか……俺は、人間だ。無敵の神様なんかじゃない……」


 そうしてアルフは、自分の弱さを知った。

 一人で勝てない相手がいることも、理解し、受け入れた。

 そして、


「ミル……俺に、力を貸してくれ」

「……! はい!」


 人に頼ることを、知った。




◆◇◆◇




 アルフを抱きしめたミルは、光を放つ。

 白い光は、辺り一帯に広がっていく。


「ッ!」


 即座にシャルルは、アルフに向けて攻撃を行うが……それは何かによって、かき消された。


「チッ……復活したか……」


 ミルの古代魔法は、アルフを強化する以外の力は持たない。

 他の古代魔法とは異なり、自身の身体能力すら強化されることはない。

 だがそれ故に、発動した時の効果はとてつもなく大きい。


 それこそ、心が壊されて古代魔法を使えなくなったアルフを、あっという間に復活させるくらいには。


 光が晴れた先、そこには蒼い炎を纏ったアルフが、ミルを守るようにして立っていた。


「アルフ、やはりお前はダメだ。ミルの力に頼るなんてな」


 ため息をつき、失望の声をあげるシャルル。

 ミルに頼らないと立ち上がれないだなんてと、呆れたように。


「……つまり、すべて一人で戦えと?」


 これまでのアルフなら、この言葉で立ち止まっていたかもしれない。

 しかし今は、自分の弱さを理解した今なら、その言葉に対して言い返すことができる。


「俺はこの世界の創造者でも、絶対者でもない。全てを一人で解決できるだなんて、それは俺を買い被りすぎだ」


 アルフは、不完全な存在なのだから。

 創造神でも何でもない彼が、何でもできるわけではない。


「俺は弱い……弱いから、支え合うんだよ」


 アルフは剣を構える。


「支え合う……? 最初から人に頼るつもりの奴に、ミルは渡さねぇ!」


 そしてシャルルの怒号が響き渡り、第二回戦の始まりの合図となる。

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