115 最後の敵

 カトリエルからシャルルの家を教えてもらってから三日後。

 アルフはミルを連れて、王都近くの林へとやって来ていた。


「……本当に、ここなんでしょうか?」

「合ってる……と思いたい」


 カトリエルの言った通りで、林に入ってみると、人の足で踏み固められた細い道があった。

 他は草木が生い茂っているからこそ、差がとても分かりやすかった。


 とはいえ、見通しが悪い林の中だ。

 シャルルの住む家どころか、建物一つすら見当たらない。

 この道で本当に合っているのか、そう不安に思い始めた時だった。


「おっ……見えたな」


 アルフが呟く。

 彼の視線の先には、それなりに大きな家が存在していた。

 林の中ではあるが、その家の周りだけは綺麗に整備されていて、そこそこ広い空間ができていた。


 そして、ここまで近付いてようやく気が付いた。


「あれ、これ……ピアノの音?」


 ミルが言った通り、家からはピアノの音が聞こえてくる。

 中から出てきた音を聞いているので、かなり小さくはあるが、誰かが楽器を演奏しているのは分かる。


「となると、本当にシャルルかもな」


 アルフも、このピアノを聴いて、弾いてるのはシャルルだと確信した。

 彼の使う古代魔法の性質のこともあり、アルフはシャルルを『音楽のセンスがある人』と感じていたからだ。


「とりあえず……」


 特に高い塀などはなかったので、玄関扉の前まで行くと、アルフはコンコンコンとノックする。




 しかし、反応は無い。


 ピアノの音は、止まる気配がない。

 ノックの音が聞こえていないのか、あるいは無視しているのか。


「すみませーん!」


 声を上げてしばらく待ってみるも、同じく反応は無い。

 ピアノの音も止まらない。


「……出ない、ですね」

「いない……わけないか。誰かがピアノを弾いてるわけだし」


 試しにドアノブを握り、ひねってみる。


「お?」


 すると、一番最後までひねることができた。

 鍵は、かかっていないみたいだ。


「……開いてる」

「えっと……それじゃあ、入りますか?」


 このまま扉を押すか引くかすれば、中に入ることができる。

 しかし、本当にそんな事をしていいのだろうか。

 もし家の中にいるのがシャルルだとして、勝手に入るのは失礼ではないか。

 他の人の家だとしても失礼というか、どこであろうと不法侵入で犯罪だが、色々と怒らせてしまったシャルルに対しては、やはり色々と考えてしまうものだ。


 そうしてしばらく悩んだ後、アルフは、


「……止めとこう。中の人はいるっぽいし、待ってみよう」


 しばらく待ってみることにした。


「分かりました。ちなみに、どれくらいでしょうか?」

「とりあえず一時間。疲れるかもだけど、ごめんね」

「いえ、大丈夫です」


 そうしてアルフとミルは、待ち続けた。


 時間経過、一時間。

 ピアノの音が止むことはなく、何も変わらない。

 周囲は先程から、不気味なまでの無風だ。


「……ミル、疲れたか?」

「いえ。大丈夫、です」


 ミルはそう言ってるが、先程から彼女はその場で脚を頻繁に動かしている。

 歩くこともなく立ちっぱなしで、流石に疲れているみたいだ。


「そうだな……よし」


 アルフは少し扉から離れ、ピクニックシートのようなものを即席で作り出し、緑の地面に敷いた。


「じゃ、しばらくここで休もう。ほら、座って」

「分かりました」


 シートの上にアルフは座り、そのすぐ隣にミルも座る。

 周りの自然や木々の枝葉が擦れる音を聞きながら、ゆっくりのその場で時間を潰していった。

 そして、二時間、三時間、四時間と経過していく。


「……まだ、ピアノは止まらない」


 ミルはアルフの膝の上で眠ってしまった。

 ただひたすらに何も無い時間からこそ、暇になってしまったのだろう。

 ミルに待ってもいいかと許可は取ったし、彼女は「大丈夫です」と言っていたが、少し悪いことをしてしまったと、アルフはそう思っていた。


 その間もずっと、ピアノの音は止まらない。

 欠片ほどの休み時間すら無い、こんな長い時間弾き続けるなんてあるのだろうか。


 それから五時間、六時間。

 ミルも起きたので、無から作り出した軽食を二人で食べていると。


「あ……」


 ミルが、真っ先に反応した。

 ピアノの音が、消えたのだ。

 同時に弱い風が、二人の髪をわずかに揺らした。


「……誰か、来るな」


 そしてアルフも、扉に向かって誰かが近付いてくるのを感じた。

 すぐに立ち上がるアルフ。

 それに続いてミルも口に含んでいた食べ物を飲み込み、立ち上がる。

 シートは消え、その場で待機していたという痕跡が消えると同時に、ギギギッと音を立てて、ゆっくりと扉が開いた。


「……」


 そこには、長い銀髪の青年、シャルルが立っていた。


「……まさか、ここまで長い間待ち続けるとは、思わなかったよ」


 シャルルは笑いながらそう言う。

 だがその瞳は、欠片たりとも笑っていない。

 一瞬だけ驚きの感情こそ見えたが、その感情の大部分は、侮蔑に近いようなものだった。

 そして彼は家の中へと招き入れるように、扉を大きく開ける。


「歓迎するよ。アルフ、それにミルも」

「……はい。失礼します」


 警戒しつつも、アルフはミルを連れて、家に上がるのであった。




◆◇◆◇




 家の中は、ホコリ一つ無い、綺麗な空間だった。

 だがアルフとしては、そんなこと気にする余裕すらなく、シャルルの後ろを歩いていた。


「……」


 シャルルは一体何を考えているのか、今どういう感情なのか、何が目的なのか。

 何もかもが、アルフには分からなかった。


「さて」


 そうしてアルフとミルが案内された先は、リビングとダイニングが一体化した空間だった。

 かなり広く、そして何よりの特徴として、空間の一角には、大きなグランドピアノが置かれていた。

 すぐ側の窓から光が差し込んでいるので、かなり厳かな雰囲気を感じる。


「まずは二人とも、座るといい」

「……失礼します」


 アルフが椅子に腰掛け、その隣にミルも座る。

 二人の前には、既に紅茶が置かれていた。


 三人ともが、軽く一口飲むと、シャルルが口を開いた。


「アルフ、君が何故ここに来たのか、僕はその理由を知っている」

「っ!」


 アルフは息を呑む。

 シャルルは無表情、何の感情も出力されていない顔で続ける。


「けど、僕はそれを認めるわけにはいかない」

「それは、どうして……」

「……どうして?」


 その言葉を聞くと、シャルルはゆっくりと立ち上がる。


「……四回。この数字の意味を、お前は分かるか?」


 そうしてゆっくりとテーブルを回り、アルフの方へと近付いていく。


「え……」

「分からないか? なら、教えてやるよ……!」


 そう言うとシャルルは、アルフの胸ぐらをつかんだ。

 真正面にやってきたその顔は、怒り、殺意、その他諸々の激しい感情に包まれていた。


「ミルが、自殺しようとした回数だ……!」

「……!」

「お前がいなかったから、ミルは絶望して自ら命を絶とうとした! お前がミルを絶望させて、殺したんだ!!」

「お、お兄さ――」


 シャルルの慟哭。

 アルフも何も言えず、目を見開いてシャルルを見ている。

 その様子を見て、言葉を聞き、ミルは何とか止めようとするが。


「ミル、今は何も言わないでくれ」


 それを、アルフが制止した。


「っ……は、はい」


 ご主人様の命令。

 自殺したのは事実で、苦しんでいたのは事実で、でもご主人様は悪くないと知っている。

 それを弁護したかったが、ご主人様の言う通りに口を噤み、我慢した。


「ああ……どんな理由があろうが、それは俺が、殺したようなものだな」

「……」


 パッと、シャルルは胸ぐらを離した。

 アルフはその場に尻餅をつく。


「僕も、分かっているさ。ジェナから聞いた。あの強大な古代魔法に適応するために、三年間の休眠を行ったと。そうなのだろう?」

「……ああ」


 複雑そうな表情をしながら言葉を綴るシャルルに、これまた複雑そうな表情をしながら、アルフは頷く。


「そうだ、お前は悪くない。お前にはミルを守れるほどの力も覚悟もある。それは理性で分かっている……けど。僕の心は、お前を信じられないんだよ」


 シャルルは賢い人物だ。

 頭が良い、だからアルフが悪くないことなんて、もう分かっていた。

 だがそれでも、認められなかった、信じられなかった。


「だから、見せてみろよ。お前の力を」


 そうして景色は変わる。

 一瞬の暗転の後に現れたのは、草一つ生えていない、灰色の大地。

 空は真っ暗で、空には星が浮かんでいる。

 見たことのない景色だ。


「これは、古代魔法……?」

「いいや、少し違う。こいつは……お前と同じ“思ったことを現実にする魔法”だ」

「な……!?」


 その言葉に、アルフは驚愕する。


 思ったことを現実にする魔法。

 それは、古代魔法どころか、すべての魔法の起源であり、究極である。

 この世界にあまねく存在する魔法は、全てこの“思ったことを現実にする魔法”を、何重にも何重にも弱体化させたものに過ぎない。

 何故そうなったのか、その理由は、“思ったことを現実にする魔法”は、人間が使うには余りある性能だからだ。


 あまりに強すぎるが故に、普通の人間が何らかの方法で使い方を知ったとしても、発動しようとした時点で死ぬ。

 もちろんシャルルだって例外ではない、発動したら確実に死ぬはずである。

 だからこそ、アルフは分からないのだ。

 何故今ここで、シャルルがその魔法を使えているのか。


「ジェナに頼んで“メッセンジャー”と呼ばれる神に接触したんだ。そして条件付きで、この魔法を使えるようにしてもらった」

「“メッセンジャー”……あの神か!」

「やはり神になったお前は知ってるか。まぁとにかく、色々な条件という名の制約を付けたことにより、僕は一時的に、この力を扱えるようになったわけだ」


 おそらくは、何らかの制約を付けることで、本来なら受けるはずだった身体的・精神的負担をゼロにしたのだろう。


「先に言っとくと、制約の一つは『一時間制限』だ。この魔法は、一時間しか発動できない」

「一時間……まさかお前、今から……!」


 その瞬間。

 ミルに向けて、光を超える斬撃が放たれる。


「チッ、やっぱりそういう……」


 シャルルと同じく『思ったことを現実にする魔法』で未来予知、危機察知して、アルフは攻撃を上手く捌く。

 そしてシャルルの意図を、完全に理解した。


「ああ。神なんだろう? ならミルを守り抜けると、ここで証明してみせろ!」


 制限時間は一時間。

 その間にシャルルを倒すか、あるいはミルを守り切るか。

 それが、アルフに課せられた最後の試練。


「やってやるよ……!」


 そうして気合を入れ、アルフは青い炎を発し、剣を構えた。

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