第7話 告白

 わたしは、室内にもどると螺旋階段をのぼり、おもちゃ部屋へ入った。


 せまい空間に、おままごとの道具が散乱していた。ここで遊んでいたのは間違いない。唯ちゃんはここでぬいぐるみを並べて、よくおままごとを楽しんでいた。


『おさるのぬいぐるみは、あきちゃん。うさぎは、なっちゃんね。で、ほのちゃんはママ』


 と言って遊んでいた。そういえばこの部屋に、さるとうさぎのぬいぐるみと、ほのちゃんと名付けられたアンティークドールがない。わたしはぬいぐるみの入っているおもちゃ箱の中を探しても、そこにはなかった。


 お人形を三つもかかえて、外に出られるだろうか。ぬいぐるみたちをかかえ泣いている唯ちゃんの顔が頭へ浮かんだ瞬間、忘れていたある感情が、わたしの中にわきあがってきた。


 ひとりぼっちがかなしくて、かなしくて。泣いているのを母に見られたくなくて。泣いている弱虫な自分を、どこかにしまっておきたくて隠れた記憶。 


 隠れたところは、押し入れだった。そう思いついたとたん、おもちゃ部屋の隣の和室へ飛んでいき、押し入れの引き戸を勢いよく開けると、中にはお布団しかなかった。頭をつっこんで見ても、唯ちゃんの姿はない。


 納戸を隅々見てもやはりいない。ほかに押し入れはこの家にあるだろうか?


 そうだ、女中部屋に押入れがあった。わたしは一段飛ばしで螺旋階段を降りていき、その勢いのままキッチンの隣の部屋に駆け込み押入れの前に立つ。


 押入れの襖は少しだけ、開いていた。この中に唯ちゃんがいますように。祈る気持ちで引き戸をそっと引いた。


 押し入れの中は上段と下段に分かれていて、下段の積み重ねられたお布団の上で唯ちゃんをみつけた。


 おさるとうさぎ、それにほのちゃんを抱きしめ、スースーと寝息をたてる姿がそこにあった。ほっぺに残る乾いた涙の跡を見ていると、安堵とやりきれなさと、罪悪感がぐちゃぐちゃに混ざり合い、胸へ押しよせ涙があふれた。


 こんなところにいたんだね。ごめんね、もっと早くみつけてあげられなくて。

 唯ちゃんをみつけたけれど、その場から一歩も動けないわたしの後ろから、穂香さんの悲鳴が聞こえてきた。


「まー、ゆいちゃんこんなところにいたのね! あー、よかった」


 その叫びに反応して、まつげがびっしり並ぶまぶたはゆっくり開き、きょとんとした顔でわたしと穂香さんを見つめた。


「あれっ、なっちゃん泣いてるの?」


 わたしは寝ぼけ眼の唯ちゃんを抱き起し、思い切りぎゅっと抱きしめた。寝起きの体は汗をかき、ミルクのような甘い香りがしていた。よほど力が強かったのか、唯ちゃんは非難の声をあげる。


「なっちゃん、苦しいよ。あんまりぎゅっとしたら、唯がなっちゃんの中にめり込んじゃうよ」


「そうだね、唯ちゃんがめり込んでわたしになったら、大変だ。ごめん、ごめん」


 おどけた調子で、唯ちゃんをはなし小さな顔をのぞき込む。藤原くんに似た少し色の薄い瞳に、笑ったわたしの顔がうつっていた。


「ただいま、唯ちゃん」


 唯ちゃんの紅葉のように小さな手が、わたしの背中にまわされる。


「おかえりなさい。よかった、なっちゃんが帰ってきて――」


 ここまで言うと、唯ちゃんはわたしから体を離してあたりをきょろきょろと見まわす。


「あきちゃんは、どこ行ったの?」


 心配そうな顔をする唯ちゃんの頭の上に、穂香さんがそっと手のひらをのせた。


「ゆいちゃんは、私よりやっぱりあきくんやなっちゃんが、いいのね」

 そう言った穂香さんの顔は、弓なりの美しい眉が困ったようにさがり、「あたりまえよね――」とつぶやいたのだった。


 ほどなくして藤原くんが帰ってきた。無事な唯ちゃんの姿を見て、体中の力がぬけたようにソファに座り込んだ。そこに、唯ちゃんが駆け寄り抱き着いた。


「ごめんね、あきちゃん。ほんとは、唯も行きたかったの。ひとりで遊んでたら、おいてけぼりにされたみたいで、さみしくなっちゃった」


 藤原くんは唯ちゃんの小さな背中を、ゆっくり何度もさする。


「ばーか。子供のくせに変な気をまわさなくてもいいんだよ。俺もなつも、おまえがいなくてさみしかった」


「そうだよ。ふたりだけでお出かけしても、唯ちゃんがいないとつまらなかった」


 わたしがそう言うと、藤原くんが唯ちゃんに向けていた顔を即座にわたしへ向けた。


「それ、言いすぎだろ? おれ、楽しかったけど」


 ……藤原くん、ここは話を合わせるところでしょ。と目で合図しても、わかってもらえるどころか藤原くんはもっとむきになる。


「前から思ってたけど、なつ、俺の扱い雑だよな。せめてもうちょっと、やさしく――」


「もー、痴話げんかしないで。唯のことほったらかしにしたら、また隠れるよ!」


 唯ちゃんが、かわいらしく頬を膨らませて腹を立てる。しかし、痴話げんかなんて言葉を知っているなんて、幼稚園児の語彙力はすごいな。


「まあ、まあ。お腹すいたでしょ。遅くなったけど、お昼にしましょう」


 穂香さんが、キッチンから声をかけると書斎の扉のあく音がして、父がリビングに入ってきた。


「今日はお昼遅いね。何かあった?」


 きょとんとした顔で、リビングを見回す父を見てあきれた。この人はあの大騒ぎの中、何も気づかず今まで小説を書いていたのだろうか。


 この人にとって何より大切なのは、小説を書くことなのだろう。

 遅い昼食の後、穂香さんは疲れたと寝室へ消え父も今日は絵本の読み聞かせはせずに再び書斎へこもった。食器の片づけは藤原くんが買って出てくれ、わたしは唯ちゃんとおもちゃ部屋にこもりたっぷりと遊んだ。


 唯ちゃんが、ドールハウスの家具を自分好みの配置にしていると背中を向けたまま、ぼそぼそと小さな声で話し始めた。


「あのね、なっちゃん。唯、嘘ついちゃった」


 何のことかわからず、わたしは聞き返す。


「何のこと?」


「唯、大仏なんてつまんないって言っちゃった」


 唯ちゃんはくるりと振り返り、わたしの顔をじっと見つめる。薄い眉毛が眉間により、しわができていた


「ほんとは、唯も大仏さまに行きたかったんだ。でも、デートの邪魔しちゃいけないと思って。それに、おばさんをまたひとりにするの、かわいそうかなって思ったし」


 わたしたちの邪魔になると思ったことに加え、穂香さんのことも唯ちゃんは気にかけていたなんて。


 海で藤原くんが言っていた言葉が頭に浮かんだ。


『大人の都合で何人もの人に育てられた。だから、大人の顔色ばかり見るようになったんだ』


 あの時はあまりピンとこなかったけれど、唯ちゃんのもらした本音で腑に落ちた。

 唯ちゃんが穂香さんに育てられていたら、素直にいっしょに行きたいと言える子になっていたのだろうか。


「唯ちゃんは、やさしいね」


 わたしは、ふっくらしたすべすべの頬に手のひらをそえる。


「でも、つまんないって言っちゃった」


 まだ唯ちゃんは、大仏さまのことが気になるようだった。


「あのね、なっちゃん。大仏さまの中入った? 唯あの中大好きなの。洞窟の中探検するみたいで、少し怖くてわくわくする。いつも、あきちゃんに連れて行ってもらうの。だからつまんないって思ったことないのに」


「わたしも、中に入ったよ。すごいよね、大仏さまの体の中」


 唯ちゃんは、こくんとうなずく。


「おじいちゃまが、いつも言うの。仏さまに嘘ついたら、バチがあたるって」


 昔の人は、たしかによくそう言うけれど芸能事務所の社長さんという唯ちゃんのおじいちゃまと、その台詞があまり結びつかなかった。


「おじいちゃま、怖いこと言うんだね」


「家にあるお仏壇に毎日、手を合わせなさいって。そして、毎日お話してあげなさいって」


 唯ちゃんの家にある仏壇ということは……。


「そのお仏壇に、写真とか飾ってあるの?」


 つい訊いてしまい、即座にしまったと思った。唯ちゃんの両親の写真はないと藤原くんが言っていたことを忘れていた。


「おばあちゃまの写真がかざってあるよ。でも、おばあちゃま以外の人もお仏壇にいるっておじいちゃまが教えてくれた」


 唯ちゃんのおじいちゃまは、穂香さんのことを教えなくても仏壇を通して母親と対話させようとしているのだろうか。唯ちゃんがさみしくないように。亡くなった穂香さんがさみしくないように。


 わたしのマンションのリビングにも小さな仏壇がある。わたしもそこにおいてある母の写真に向かって、毎日語り掛けていた。


「えっと、お仏壇の仏さまと鎌倉の大仏さまはちょっと違う仏さまだと思うよ。だから、唯ちゃんにはバチなんてあたらないよ」


 仏さまに種類があるのかと、訊かれたらどうしようと内心で思いつつ唯ちゃんに言い聞かせると、案外素直に唯ちゃんはうなずいた。


「よかった。バチってどんなのかわかんなかったから、ドキドキしちゃった。石とかがどっかから飛んできて、唯に当たるのかな? バチってあたったら絶対痛いよね。なっちゃんは、あたったことある?」


 安心したのか、ぽんぽんと疑問を口にする唯ちゃんを複雑な思いで見おろしていた。わたしはいま、バチが当たっているのかもしれない。


 この鎌倉の別荘に出発した朝、わたしは仏壇の母の写真に向かって、いってきますとしか言わなかった。妹である唯ちゃんといっしょにすごすとは報告していない。それは、母に対して後ろめたかったから。


 藤原くんにも懐中時計のことで嘘をついている。懐中時計の裏蓋に刻まれた名前をわざと隠している。


 唯ちゃんのちいさな懺悔を聞いて、いま、とても胸が苦しくて痛い。



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