第6話 相葉達也-2


「あ、バツ也じゃん。」



 放課後で人もほとんどいない図書館の静寂を、一筋の声が破る。一瞬のタイムラグの後、その声が今入り口近くにいる図書館とは縁がなさそうな少女——園崎千春が発したもので、それが俺——相葉達也に向けられたものだと当事者以外が理解した瞬間、俺は思わずドアを閉めて逃げるかのように図書館から離れていた。


 なんで図書館にあんな陽キャ女子がいるんだ、何で俺の方を見た。必死に頭を働かそうとするが、どうやら酸素は頭ではなく過呼吸気味になる俺の肺に使われているようで、考えはうまくまとまらず、頭には園崎の言葉と他の図書館利用者の俺たちの関係を勘繰るような下種な視線が残っており、心臓をわしづかみにされるような感覚に陥った。もうしばらくあそこには行けないかもしれない。そんな気がした。


 そんな時、がらがらという音とともにドアが開く音が聞こえ、そこから出てきた人物がつかつかと俺の方に近づいてくる。



「どうかした?大丈夫?」



 それは随分と聞き覚えのある、というか、つい先ほど聞いたばかりの声だった。



「だ、大丈夫。ありがとう園崎さん。」



 自分が大丈夫じゃない原因を作った相手にありがとうとは何だと自分でも思うが、今はそれ以外言ってはいけない金縛りにかかっているようだった。



「じゃ、じゃあ、俺は帰るから。」



 こんなみっともない姿これ以上見せられない。手遅れかもしれないが、恥に下限はない。一刻も早くこの場から離れたく、そそくさと足を動かす。



「あ、ちょっと待って!」



 俺の腕に何か柔らかいものががしりと掴まれる感覚がある。小学校以来女子と手を繋いだことがないような俺には、それは劇薬、麻痺毒の様に俺をその場に縛り付けた。



「あ、良かった待ってくれた。」



 正確には待ってあげたわけではなく、固まったというだけなのだが。



「これ以上何かあるの?」



 全身でいやそうなオーラを出しながら伝える。我ながらみっともないが、園崎はそんなのお構いなしで話を続ける。



「私、ちょっと相葉君と話してみたいことがあるんだけど、今時間大丈夫?」


「い、いや、この後友達と帰る用事が……」


「あったら図書館なんか来てないよね、元々図書館に行く予定だったんでしょ?じゃあ問題ないじゃん。」



 そして腕を掴まれるがまま俺はずるずると図書館へと引きずられる。もう二度と戻らないとさっきまで考えていた場所ににこんな短時間で戻ることになるとは思ってもみなかった。図書館にはあまり人はおらず、俺たちに注目する人は少なかったが、少ない分ほとんど全員がこちらを向いていた。


 皆俺たちの様子を見て取り立て騒いだりする様子こそないが、その視線は明らかに本よりもこちらに向き、図書館に似つかわしくない園崎と彼女に似つかわしくない俺。そのまま図書館の奥の方のテーブルに座るが、明らかにそのテーブルだけ浮いているように思えた。



「で、何の用ですか?園崎さんみたいな陽キャが、俺みたいな陰キャ捕まえて。」


「陽キャなんて…そんな、私達クラスメートじゃん?」



 流石スクールカースト上位、こういう反応一つとっても彼女が一軍たる理由が分かる気もする



「ここの図書館って結構広いんだね~、私初めて来たから知らなかったよ。」


「そう、なんですか……」


「そうそう!それでさ、私、最近読書にハマってるんだけど、やっぱ何読めばいいか分かんなくて。お勧めの本あったら教えてほしいなー、と思って。ほら、相葉君ってよく休み時間に本とか読んでるじゃん。」



 と、少しまくし立てるように言ってくる園崎さん。



「まあ、確かに読書は好きだけど……」


「やっぱりそうだよね!休み時間すごい集中して読んでるから、ずっと気になってたんだー。」



 なんだか嬉しそうな様子で話す園崎さん、どうやら本当に本は好きらしい。



「まあ、初めて読むんだったら綾村先生のこのシリーズとかいいじゃない?俺も今別シリーズ読んでるけど、どれも読みやすくて面白いよ。」

 と言って、俺は鞄に入っている小説を取り出す、



「へぇ~初めて見た!相葉君のおススメなら読んでみようかな。これ、図書館で借りれる?」


 と、至極当然のことを聞いてくる園崎さん。だって……





「この本、園崎さん借りたことあるよね。」





「え?」



 少し体感の気温が下がったような感覚がする。しかし、俺はあくまで平然と言葉を放ち続ける。



「昔……半年以上は前かな?園崎さん、この本図書館で借りてたよね。園崎さんみたいな人がこういう本読むなんて意外だったから、よく覚えてたんだよね。」



 こんなことを言うと、園崎さんは少し何か考えるようなしぐさを見せ、オーバーな位にポンと手を打った。



「あー、そ、そうだったっけ?あ!確かによく見てみたらこれ友達におススメされて読んだ本だったかも!うっかりうっかり。」



 てへ、とばかりに頭を軽く掻く園崎。前までであれば少しは魅力的にも感じたのだろうが、今となっては不信感ばかりが募っていく。



「ていうか、園崎さんって結構本読む人だよね。近所の書店でよく見かけたけど。」


「いや、他人の空似だよ~。ほら、私みたいな女子なんて他にもたくさんいるし!」


「園崎さん美人なんだから、見間違えるわけないでしょ。」


「び、美人なんてそんな~、急に言われたら照れるな~。いや、相葉君だって目鼻立

 ちは整ってると思うし、髪型とかちゃんとすればモテると思うよ?」


「話を逸らすな。」


「………」


「で、本当は何で声かけたの?」




 その瞬間、園崎さんをまとっていた雰囲気が一気にガラッと変わったようなきがし

 た。さっきまでの高校生然とした雰囲気ではなく、あくまでも暗い雰囲気に。



「まあいっか、本当はもっと印象良くしてからにしようと思ってたんだけど。」


「どういう意味だ。」


「ねえ、相葉君。私と取引しない?」


「それが俺を呼んだ理由か。っていうか取引ってなんだよ。漫画の読みすぎじゃねぇのか?」



 あまりにクラスでの印象とは違う園崎の印象に、俺の口調も次第に砕け、乱暴なものとなってくる。



「俺は忙しいんだ、お前のその取引とやらに付き合ってる暇はないんだ。」


「へぇ、そんなこと言っていいんだ。」



 そして園崎は鞄から一冊のノートを取り出した。



「私、この間こんなもの拾ったんだけど。」



 そのノートのタイトルを見て、俺は思わず青ざる。赤いノートには乱暴なボールペンでと書かれていた。



「なんで、なんでお前が持ってる。」



 図書館から出た時とは似ているようで、しかし全く別の冷や汗が頬をたらりと流れる。この感情は紛れもない、焦りだ。しかし焦っていることを気取られてはいけない、そんなことより何でアイツがこれを持っている?いつの間に取られた、いや、盗られたのか?中身はどこまで読んだ?そんな短く、しかしすべてが致命的な疑問符が俺の脳内をぐるぐると駆け巡る。そんな様子を見て園崎は



「おお、焦ってる焦ってる。」


 と、あくまで短く、そして効果的にこちらの精神をかく乱する発言をしてくる。


「返せ、」


 ノートに手を伸ばすが、すんでのところで園崎に奪われる。



「ダメだよ、これは私の切り札なんだから。」


「ちっ……」



 俺は仕方なしに園崎の方に向き直る。俺がもう逃げないと分かったからか、園崎は満足げに、そしてひどく芝居がかったように語り始める。







「それじゃあ、何から話そうか。随分とありがちな気はするけど、まずは昔話からなんて、どうかな……?」

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