灯りが瞼に差し込んで





 眩暈がするほどの光の雪。柔らかな海流に乗って漂うわたしはどこにだってゆけるけれどどこにだってゆけない不自由なたましい。

 ここいら一帯のことがわたしは大好き。お腹が空けばいくらでも死肉にありつけるし、デザートには浮遊生物がわんさかいるし、こんな遠浅には甲羅の長は入ってこれない。いつだってわたしは食っちゃ寝のぐうたら。こんばんは、わたしの名を冠したおつきさま。水面すれすれから覗くあなたはぶれぶれも良いところ、せっかくのゴールドが幾重にも重なって見えて眠たくなってしまう。眠たくなったら長い藻に触手を絡めてどこまでも浅い夢を見る。おつきさまがいつか落っこちてきてくれたら良いのにと願う。

「そしたら溶かして食べてあげるのに」

 きっと甘い味がする。水の中は暗いからわたしは少しでも明るいものが好き。ここいらのヒトビトは屍をここいらの海域に捨てる習性がある。わたし達にとっては嬉しい限り。多分、ヒトビトも水になにかを求めているみたい。わたしが陸の灯りが美味しそうと思うみたいに。法螺貝は鯱みたいなおひれが欲しいと言う、けれど鯱は回遊魚達みたいなえらが欲しいと言う。みんなみんなないものねだり、ないものねだりでこの世は回っている。

 今年も光の雪の季節。今宵は陸から柔らかな光がたくさんたくさん降ってくる。食べたことはないけれどきっと甘いに違いないからわたしはゆらゆら待っている。光っていないものはいらない、牙を持つやつらはそれ目当てで集まってくる。わたしは光っているのが良い、例え降ってこなくとも。例え永遠に触れられなくとも。

「きれいだから、あたしは大好き」

 わたし達は群れない。光のヒトビトは群れる。ヒトという生き物が元より群れる生き物なのかもしれない。群れる利点はなんなのかと、海豚に追い立てられる鰯に聞いたことがある。

『そりゃあ姿を大きく見せるためさ』

『そりゃあ団結して敵を追い返すためさ』

『そりゃあ纏まっていたほうが俺が食われる確率も少しくらいは下がるだろう?』

 つまりはそう、鰯というのは協調性に欠ける魚類。協調性に欠けるというのが悪いのじゃない、協調性に欠けているのに群れているということがチメイテキなの。

 鮫の泳ぎが立てた水流でわたしはいとも簡単にくるくると立ち回る。いけない、これじゃあただの弱いたましい。わたしはそんなんじゃ終わらない。弱くたって儚くたってわたしは酷く美しい。美しいものには痛くて鋭い棘がある、それは海も陸も同じ。灯火達がゆらゆらとこちらに集まってくるのが見える、わたしはそれをみなも越しに見ている。ああ、どうにかしてそちら側にゆけたなら。けれどきっと水という隔たりがあるからこそ、この灯り達はわたしの夢であってくれるのだ。美しいまま、穏やかなまま、きっとわたしの命尽き果ててもずっと永遠にこのたましいを癒してくれるのだから。

「そう、信じてやまないわ」

 きれい。淡い光達が水面に映ってわたしをも包んでくれているみたいだ。光達はわらわらと増えてゆく、なのにわたしはもう今宵が終わることを考えている。悲しい、哀しい。また長い間ひとりここでこの光達を待つのは寂しい。

 脈打つ光達、きっとそれは心の音。わたしはそれをぼんやりと見上げたまま浅瀬をずっと漂っていた。わたしには何もない、光も、心も、心臓も。あるのは棘とたましいだけ。いつか見たあの日の夕暮れだ、水辺の慎ましきオーロラだ。形容しようにも形容できない、ただ生きている、美しい鼓動。この光の雪を一身に浴びることができるのならわたしは他に何も要らない。

 心を持たないわたしが生きていると思える証、それがこの波打つ陸上の光の帯。

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ここいらの夜では、灯りが瞼に差し込んで 小富 百(コトミ モモ) @cotomi_momo

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