4:煩ってしまったその病は、そのまま罹っておけばいい

「僕は今、自分の感情が分からない」

「と、いうと?」

「そこで更に深く聞くか」

「もちろん」

 柿原はさも当たり前のように言う。

 まあ、それはそうだ。これで分かれって言ったって、言葉が足りない事は重々承知だ。

「そうだな……夢の中のアイツは、彼女に執着……いや、恋慕してた」

「恋慕て」

「いいだろ別に言葉の選び方くらい」


 そう、恋だ。

 あいつのはだいぶ極端だけど、夢の中で感じた感情には近いものがあった。

 癪だけど……それが分かるって事は、僕もだいぶ影響されているのだろう。

 やっぱりいつか消してやろうと改めて思う。


「ともかく、だ。今の僕は彼に感化されたのか……その、同じ感情を持っている、と。思う」

「よし、しきちゃん。須藤から離れた方が良いぞ」

「えっ……」


 しきちゃんを真面目な顔で呼ぶ柿原。

 それに困惑した表情の彼女。

 なんか危険人物みたいで不本意だが、事実だからしょうがないと渋い顔の僕。

 三者三様。


「しきちゃん。とりあえずそいつの言う事は聞かなくていいよ」

 座っててと促すと、彼女は頷いて椅子の上に落ち着いた。

「まあ、アイツの感情はそれも越えて常軌を逸してる気はするけど。それが、僕の身体を乗っ取ろうとしているのが、今回の原因」

「まあ、話は何となく分かった」

 柿原はうんうんと頷く。

「とりあえず問題なのは、しきちゃんの魂の同居人が、お前の魂の同居人になったって事だな」

「魂の同居人て」

「いいだろ言葉の選び方くらい」


 さっきの僕の言葉をそのまま返して、柿原は言葉を続ける。


「そうだな……根本的な解決はお前自身がどうにか頑張るか、そいつが諦めてくれるのを待つか、じゃないか?」

「持久戦か……」

 辛いだろ? と柿原は言う。

 辛いな。と僕は頷く。

「まあ。大事なのは、お前は自分自身を見失わない事だろうな。なんか、昔の持ち物とか、思い出とか。そう言うのを一層大事にして繋ぎ止めておけ」

「昔の物……」


 考える。夢に見た友人を思い出した。いや、あいつはもう居ない。

 居ないはずだ。


 持ち物は殆ど捨ててきてしまった。持ってきた物も、壊れたり捨てたりしてほとんど残っていない。自分を繋ぎ止められるもの……普段かけているペンダントが視界に入ったけど、これは少し違う気がした。他に何か残っているだろうか。

「うん。探して……みる」

 あとさ。と付け足すと彼は分かってると頷いた。

「大丈夫。他言なんてしねえよ」

 別に気味が悪いなら離れてくれても構わない、と言いたかったのだけれど。

 柿原は少しも態度が変わらなかった。

「え……あ、うん。よろしく」


 ちょっと意外なような。想像通りのような。

 何とも言えない気持ちで、曖昧に頷いた。


 □ ■ □

 

 日も暮れてきたし帰るという柿原を見送るべく、玄関に立つ。

「そうだ。ノートありがと」

「いえいえ。どーいたしまして……あ、そうだ」

「?」

「お前吸血鬼なら十字架とか持っとけば? 恐怖感煽っていいんじゃないの?」

 突然物騒なことを言い出した。いいこと思いついた、みたいな顔で指差してこないでほしい。

「残念、僕は十字架より信仰心の方が怖いタイプなの」

 手を振って否定すると、それは残念だ、と彼も頷いてつま先を地面で打った。

「あとは、なんかあるかちょっと家探してみるかー」

「探すって……そういえばさっきから不思議だったんだけど」

 ノブに手をかけた柿原は、その動きを止めて僕の声に応える。

「勘とか、こういう相談事受けても何も動じないとか。君、何なの?」

「俺? 正体を聞いて驚くなよ?」

「え。何。そんな壮大な何かがあるの?」

 僕の問いに彼はあっさりと首を横に振る。

「いや。ご期待に添えなくて申し訳ないけど、爺ちゃんが神父やってるだけのフツーの人間だ」


 信仰心はばっちりだぜ、というサムズアップは、それはないと即座に却下して送り出す。


「玄関まで送っといてなんだけど、夕飯食べてかなくていい?」

「ん? 家にまだ一昨日のカレーが残ってるから。それをカレーうどんでトドメさすつもりだから」

「そう」

「あ。それより」

 彼の言葉に首を傾げる。

「明日はちゃんと学校来いよ?」

「え。土曜に?」

 何か予定あったっけ、と焦りかけた所で柿原が小さく舌を出した。

「嘘か! 一瞬焦ったじゃないか。ああもう帰れ。さっさと帰って寝てしまえ」

「カレーうどん食うんだけど」

「じゃあ夕飯食べて寝ろ」

 柿原ははいはいと笑いながら玄関を開ける。

 随分と見ていなかった気がする外は、夕暮れを過ぎて夜になっていた。

「あ。そうだ」

「まだ何かあるの」

「あとひとつな」

 耳を貸せと、指で呼ばれる。言われた通り、頭を寄せる。

「お前もようやく恋煩いという病気をうつされた事だし、そのまま罹っておけばいいんじゃないか?」

「……は?」

 思わず声を上げた。リビングの方を見そうになったのを堪える。

「ちょっと、それどういう……」

 声のボリュームを思いっきり下げて詰め寄る。彼は「どういうことも何も」と同じ調子で答える。

「言葉通りだけど?」

「ええ……」

 どうしてそんなことを言い出したのか掴めない僕に、彼はひとり納得したように頷いている。

「いやー、お前見ててずっと思ってたんだよ。いい機会だと思うぞ。俺は」

「いい機会って。僕は――」

 違う、と言いかけた声は、柿原の目に封殺された。

「そう急ぐなよ。絶対に否定したいなら止めないけど、別に悪い感情じゃないんだから」

「そうかもしれないけど……」

 言葉を濁す。


 柿原が言うことはわかる。

 でも。

 僕自身の感情じゃないのに、これを彼女に向けるのはどうだろうとか。

 あいつが持っていた感情を僕のものにしたくないとか。

 言葉にするには複雑なモヤモヤが胸に溜まる。


「ま、色々言いたいことがあるのは分かる。時間はたくさんあるんだから、ゆっくり考えりゃいいって」

「……うん……」

 曖昧に頷いた僕の答えに満足したのか、彼はさっぱりとした笑顔で手を振って、街の雑踏へと帰っていった。

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