3:座敷童の告白
午前の講義を終えて、早々に家へとバイクを走らせる。
帰り着いたテーブルの上は、朝のままだった。
「ごはん……食べてない、か」
僕が家に居た間も、彼女は部屋から出てこなかった。つまり、数日食事をとっていないという事になる。
食事をしなくても良いのだろうけど、部屋から出てこないのは心配だった。
それが僕のせいならば、謝らなくてはいけない。
よし、と自分に言い聞かせるように頷いて、寝室のドアと向かい合う。
「しきちゃん」
名前を呼んでみる。返事はない。
少し間を置いて、こんこんこん、と軽くノックをしてみると、ドアの向こうで何か動いた気配がした。よかった、まだ居てくれた、と少しほっとする。
もう一度、名前を呼ぶ。返事はない。
「その、無理させちゃってごめんね」
返事のないドアへ、零すように謝る。
「おかげで……っていうと変だけど、当分は血をもらわなくても大丈夫だから、もうこの間のような事はしないよ」
座敷童の血なんて初めてだった。
感想はと言えば、とても美味しくて思い出すだけで喉が鳴りそうだ。
だけど、久しぶりに飲んだおかげで、当分は大丈夫。と自分に言い聞かせる。
――かり。
何かがドアを引っ掻くような音がした。
「?」
それから、何かが落ちたような物音。
「しきちゃん!?」
ドアに耳を当てる。意識を集中させて、部屋の音を拾い上げる。
布がドアをこするような音。小さくしゃくり上げる、声。息遣い。
とても小さいけれど、確かに僕の耳はその音を捉えた。
泣いている。声が出ないのか。
彼女が出てくるまで待つつもりだったけど、そんな状況じゃない。
ドアノブを掴む。影を鍵穴に滑り込ませて、内側へと通す。部屋は暗い。影しかない。ならばこの部屋は丸ごと僕の領分だ。そのまま影を操って内側から鍵を開ける。解錠の音を確認して、ドアノブを回す。
そしてドアを開けた先に居たのは。
「――っ!」
ぼろぼろと涙を零し、喉に声を詰まらせて床に座り込んでいるしきちゃんだった。
顔色が悪い。肌は色白を通り越して蒼白に見える。そのまま倒れてしまいそうな彼女を慌てて抱き留める。
「しきちゃん!? どうしたの……」
彼女は僕の袖を握りしめて泣いている。俯く彼女の髪がさらりと揺れて、僕が付けた牙の痕がちらりと見えた。血は服に染みこんで黒くなっている。
「ごめん。僕のせい――」
ふるりと彼女の首が動いた。それは僕の言葉を中断し、否定する。
「――ん。です」
「?」
喉に声を詰まらせながらの言葉に、僕は耳を寄せる。
「ちがうん、です。……ごめ、なさい……」
ごめんなさい、と確かに彼女はそう言った。
何を謝られているんだろう。僕は分からないまま、しきちゃんを抱き寄せて背中を軽く叩いてやる。なんとなく、顔を見てはいけないような気がした。
「しきちゃんが謝る事なんて、何もないよ。謝らなきゃいけないのは僕の方だ」
小さな肩を奮わせて泣く彼女にごめんね、と言いながら、僕は彼女が泣き止むのをじっと待ち続けた。
□ ■ □
彼女がようやく泣き止んだ頃。
少しだけ身体を離し、僕は改めて彼女の前に正座をする。それから頭を下げる。
「しきちゃん、ごめんね」
「あの」
「言い訳はしない。首に痕がまだ残る位深く傷つけて。本当に……申し訳ない」
彼女と目をどう合わせて良いものか。躊躇いながら頭を上げると、彼女は悲しそうな顔で僕を見ていた。
「僕は君を怒らせても仕方ない位の事をしたと思ってる。これ以上一緒に居られないと思ったり、……その、嫌いだと思われても、僕に何かを言う資格はない」
言っててなんだか悲しくなってくる。今言った通り、僕にそんな事を考える資格なんてないし、これまで血を吸った相手に対してそんなの考えた事も無かったのに。
自分の気持ちが少し分からなくなっている。僕は混乱しているのだろうか。なんだかもやもやとした気持ちのまま、言葉を切って彼女の視線を受け止める。
「……ボクも」
彼女がそっと口を開く。視線が少しだけ下を向く。
「ボクも、お兄さんに謝らなくちゃいけません」
ごめんなさい、と彼女は深く頭を下げる。
「お兄さんは、良い人です。それは変わりません。だから……ごめんなさい」
一体何を言われたのだろうか。よく分からないまま、しきちゃんを見る。
彼女は少しだけ耳を押さえて首を横に振った。それから僕をじっと見て。
「ボクの血は、呪われてました」
と。
短く。でも、確かにそう言った。
「……呪われて?」
頭の整理が追いつかなくて、思わず聞き返す。彼女はこくりと頷く。
「話は、少し長くなってしまうのですが……ボクは、ある家の為に作られた座敷童なのです」
そうして彼女が話してくれたのは、自身の生い立ち。
元々は人間だった事。その家の座敷童となる為に死んだ事。
以来ずっと、その家に居た事。
ある日。その家が皆殺しにされて、自分が外に出られた事。
「……その時、あの人は言いました」
この血で。私の命で君をこの家の呪いから解放できるなら。
いくらでも、君の為に尽くそう。
静かに、彼女はその言葉を口にする。
僕は、言葉が出なかった。
「ボクは、その人の血で家を出る事ができました」
「……つまり、しきちゃんにあった制約を、その血が解放した」
こくり、と彼女は頷く。
「で、同時に。その血が君を縛ってる」
少しだけ間を置いて、彼女は再度頷いた。
「ボクの中には、ボクだけじゃなくて……その人の血や魂も混じっています。ボクの中にボクじゃない何かが、ずっと居るのです」
「……で、僕はそれを飲んでしまった。と」
「はい」
ごめんなさい、と彼女は俯く。
なるほど僕が彼女の血を吸う事にどこか躊躇いを感じていたのはこれのせいだったのか、と納得する。いわゆる第六感というやつだ。
そして、それを欲が打ち砕いた結果が今である。
「ボクは、家の人を……お兄さんを不幸にさせない為に居るのに、ボクの血を飲ませてしまいました」
それから、と。小さな手がぎゅっと握られる。
「ボクが最初の家を出る為の約束が、何かあったんです。でも」
「分からない?」
彼女こくりと頷いた。
「約束……破ってしまったら何が起きるのか、分かりません……ボクは。お兄さんに、大変な事を」
「……大丈夫。心配しなくて良いよ」
そっと、彼女の頭を撫でる。さらっとした髪が、指に引っかかる事なく滑っていく。
「僕は吸血鬼だ。これまで色んな人の血を吸って生きてきた。もし、その血それぞれに命があるのなら、僕の中には数えきれないくらいの命が混ざってる」
だからね、と彼女に言い聞かせる。
「しきちゃんの血も、その呪いも。沢山ある中の極一部に過ぎない。だから大丈夫だよ」
僕の言葉は気休めにしかならないだろうが、彼女は「はい」と小さく頷いてくれた。
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