課題2:僕とボクの距離感

1:彼女にどうすれば許してもらえるか

 朝。

 僕はダイニングのソファで目を覚ます。

 毛布を畳み、顔を洗って着替える。

 トーストを焼き、目玉焼きを作る。いつも通りの朝だ。


 最近変わったことと言えば、作る食事の分量が変わった、くらいだろうか。

 ひとり暮らしだった僕は、たまごを二つ割り、トーストを二枚焼く。

 どう見ても二人分。手間はほとんど変わらないから、ちょっとした変化だ。

 そして、テーブルに朝食を並べた僕はひとつのドアへと向き合う。


 本来ならこの先は僕の寝室なんだけど。ここ数日は小さな女の子が籠城している。

 原因は僕自身にあるので、無理な事は言えない。反省しきりである。


 今日は返事をしてくれるだろうか? というかすかな希望を持って、木のドアをノックする。

「しきちゃん。朝ご飯できたよ」

 返事はない。僕は随分と彼女を怒らせてしまったらしい。自業自得、仕方がない。


 このまま出て行ってしまうのではないかと思ったけど、彼女はこうして僕の寝室を占拠し続けている。相手の事を忘れて血を飲むなんてこれまでにない失態なのに、彼女は出て行こうとはしなかった。

 ここを住処と決めたからか。理由は分からない。


 とりあえず出てきたらちゃんと謝らなくては、と思いながら手つかずの朝食にラップをかけておく。


「えっと。今日は学校があるから出掛けてくるよ……ご飯はテーブルの上に置いておくからね。レンジで温めて食べて。お昼には帰ってくる」

 そう言ってドアの前を離れる。鞄を肩にかけ、玄関に立つ。


「それじゃあ、行ってきます」

 いつもより大きめの声で、奥へと届くように言う。

 そうして僕は、学校へと向かう。

 

 今日もいい天気だ。原付の座席が日差しを浴びて暖かくなっていた。

 座席の下からヘルメットを取り出し、代わりに鞄を放り込む。


 エンジンをかけ、学校へと向かう。

 まだまだ日差しは柔らかいが、これが夏になるととても辛い。


 学校までさほど距離はない。原付ならば十分もあれば着く距離だ。

 もう1ヶ月も経てば桜並木になる木々をくぐって向かう道すがら、返事のなかった部屋の事を思い返す。


 彼女はあの部屋から出てこない。鍵は相変わらずかかったまま。でも、人が居る気配はある。なのに姿を見せてくれないのは、彼女なりに何か思う所があるのだろう。

 ならば、僕は待つしかなかった。


 というか、あの小さな女の子にどう接していいのかよく分からなかった。


「……どうしたら許してもらえるかなあ」

 そんな呟きはエンジン音に紛れ、春の近さを感じさせる陽気に消えていった。


 □ ■ □

 

 講義室に入ると、いつもつるんでいる友人――柿原が僕をいち早く見つけて手を振ってきた。

 短く整えた茶髪に茶色い瞳。年相応の服と背格好の彼は、何故か僕と良く一緒に居る。きっかけは忘れてしまったけど、気は合うし、別に離れる理由もない。


「おー、須藤。こっちこっち」

 呼ばれるままに席へ向かい、空いてる所に席を取る。

 しきちゃんご飯食べてるかな、なんて考えながら教科書を取り出していると、柿原は不思議そうに声をかけてきた。

「須藤」

「うん?」

「なんか浮かない顔してんけど。どうした?」

「え」

「なんつーか。溜息つきそうな顔?」

 鋭い指摘に思わず口ごもる。それを肯定と捉えた彼は「どうした、相談なら乗るぞ?」と身体を寄せてきた。その目には「好奇心」とばっちり書いてある。

 小さく息をついて、誤魔化す事は早々に諦める。

 ここで誤魔化した所で引き下がってくれるような奴ではない。まあ、相談事には割と乗ってくれる方だ。少し位なら、話してみてもいいだろうか。


「ちょっとね、ケンカしちゃって」

「何、彼女? できたんなら言えよ水臭い」

「いやいやそんな」

 ぱたぱたと手を振って否定する。あの子を彼女なんて言ったらきっと怒られてしまう。

「女の子は正解だけど……親戚の子」

「親戚かあ」

 うん、と頷くと彼はふむふむと考え込む。

「いや、僕が悪かったのは確かなんだ。でも、どうやったら許してもらえるか分からなくて」

「ちゃんと謝ったのか?」

「一応……」

「じゃあ、あとは時間の問題だろうけど……そうだな、その子の好きなものとか分かんないの?」

 好きなもの、と思わず繰り返す。

「そ、好きな物。アクセサリーでも、食事でも、何でもいいからさ。プレゼントしたりすると機嫌も良くなるんじゃないか?」

 なるほど、と頷いていると担当の教師が入ってきた。

「ありがとう、ちょっと考えてみる」

「おうよ」

 彼はにっかりと笑ってから、教科書を取り出しにかかった。


 ノートに日付を入れながら、考える。

 彼女の好きなものは何だろう。


 アクセサリー、はあんまりアテにならない。

 となると食事だろうか。

 かといって部屋から出てきてくれないのに突然外食とかハードルが高い気もする。

 となると、手料理。

 ある程度の料理だったら作れるけど、彼女の好きな食べ物が分からない。

 そもそも、先日のトーストであの反応だ。洋食自体になじみがないのかもしれない。となると和食……? どうもピンと来ない。


 講義の板書をノートに写しながら、考える。

 実際に帰って聞いてみた方が良いのかもしれない。肉じゃがとか焼き魚とか。ハンバーグとか。あとスパゲティとか。もしかしたら好きかもしれない。


 そうと決まれば帰った時に聞いてみよう。返事がないなら、返事があるまで待とう。

 決めたらなんだか気が楽になった。

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