3:遊んだ後の選択肢

「いくつか条件がある。守れるなら、遊び相手になる」

「はい」

 彼女はこくりと頷いた。


「まず。時間も時間だから、人払いはさせて」

 人差し指を立てて条件を示す。


 彼女の言葉を否定できなかったとはいえ、誰か見知らぬ人に見つかって騒ぎにはしたくない。

 ある程度の広さに影響する人払いの術は力を使う。普段は人から血を頂く時、しかも狭い範囲にしか使わないようにしているけれども、今回は例外だ。


「メリットとしては、この公園の中なら全力で遊んでいい。デメリットはまあ、知らないおにーさんと二人きりでだっていう所かな」

 最後は自分に向けたような物だった。何やってるんだ自分。

「……何かあるのですか?」

「あのね。こうなったら白状するけど、散歩じゃなくて“ご飯”を探してた。欲には勝てないかもしれない」


 しかも若い、女性、子供の三拍子なんて、柔らかくて良い物というのが相場。

 昔の僕だったらこんなの条件なんて甘い物にせず、ちゃっちゃと前払いの報酬扱いだったに違いない。丸くなったな僕。


 少女は僕の指をじっと見て、こくりと頷く。

「で、それに絡んで二つ目」

 と、中指も立てて、それからその指で僕の首をとんとんと示す。

「後で、少しだけ血をもらいたい」

 彼女は僕が示した首に一瞬きょとんとしたものの、すぐにこくりと頷いた。

「お兄さんは……吸血鬼、なのですね」

「うん」

 正直な告白にも、彼女は動じた表情一つ見せずに「はい」と言った。

「あんまり美味しくないかもしれませんが、ボクの血でよければ」

「よし、成立だ」

 ぱちん、と指を鳴らすと、影から数羽のコウモリが浮き出てくる。それは影絵か折り紙か。そんな薄っぺらい形のまま風に乗って四方へと飛んでいく。

 

 しばらくすると、辺りの空気が一層静かになったのが分かった。

 木々の音も。風の音も。全てが深い眠りについたかのような。誰も近寄る事のない、僕達だけの空間。ぼんやりと照らす街灯と、今度は雲に引っかかりそうな月だけが僕らを照らしている。


「さあ、遊ぼう」

 僕は腕を広げて彼女を誘う。

「君の気が済むか、夜が明けるまで」

「はい」

 少女はサッカーボールに視線を落としたまま、初めて口の端を小さく上げた。それは僅かな変化だったけれども、とても嬉しそうに見えて。

 ああ、年相応の表情もするんだな、と。何かが胸にすとんと落ちた気がした。

 

 □ ■ □

 

 ボールを蹴り合ったり、鉄棒をゴールに見立てたミニゲームだったり。すっかり身体が暖まる程遊んだ頃。彼女の足元がふらついて、ボールが思わぬ方向へと飛んでいった。

 それを慌てて足で蹴り止めて蹴り返そうとすると、彼女は虚ろな目でふらふらとしているのが見えた。

「ちょっと? どうしたの?」


 ボールはとりあえず置いといて駆け寄る。どこか具合が悪いのか。もしかして、カーディガンでは薄着過ぎて風邪でもひいたのか。はたまた僕のように、足りないものがあるのか。


「――い」

「え?」

 小さな答えを聞き返す。

 彼女はもう、目の焦点すら定まっていない。今にも身体は崩れそうにふらつき――かくり、と膝の力が抜けた。

 前へと倒れ込んだ小さな身体を抱き留めると、ぽそり、と彼女は呟いた。


「ねむ……い」

「えっ」


 思わず上げた声に、返事はなかった。さっきの言葉が精一杯だったのだろう。既に僕の腕の中ではすやすやと健やかな寝息が響いていた。

「えー……」

 新たな試練のようなこの状況で、僕は途方に暮れる。


 さて。僕はこれからどうするのが正しいのだろう。

 彼女をベンチに寝かせて立ち去る?

 交番かコンビニか、誰か人の居る所に置いていく?

 正直、どちらも良い案ではなかった。前者はなんだか後ろめたい。後者は僕達が人でないのが問題。


 となると。

 第三の選択肢が出てくる。

 つまり。僕の家で一時預かる。


 一時ってどれくらいだろう。とも思うけど、彼女の気が済むまででもまあ、構わないと言えば構わない。

 諸刃の剣に見えて仕方のないこれが、一番妥当な所のような気がした。幸い部屋に空きはあるし、近所の人には妹か親戚の子だと適当に言っておけば良いだろう。


「あとは……空いてる部屋、片付けなきゃかなあ」

 よいしょ、と彼女を腕に抱き上げると、目の下にクマが見えた。灰色の髪に白い肌。目の下を縁取るようにあるそれは、彼女がどれだけ限界ギリギリだったかを語っているようだった。


「こんな小さいのに……無理して」

 僕達の世界では身体の大小で強いとか弱いとか決まったりはしないのだけれど。彼女はなんというか、本当に幼い子供のように見えた。庇護欲、と呼べば良いのだろうか。保護しなくてはという気にさせる。

 安心しきったような顔で眠っている彼女を抱え直し、僕は公園の外へと足を進めた。

「全く……ゆっくりおやすみ」

 

 □ ■ □

 

 そうして帰ってきた時、腕時計の針は五時半を指していた。

 日の出まであと数分。空はすっかり白んでいた。

「た、ただい……ま」


 左手に女の子とサッカーボール。

 右手に家の鍵。

 そして僕も眠い。


 とりあえず鍵を小物入れに投げ入れて、彼女の靴を脱がせる。両腕で抱え直して自分も靴を脱ぐ。小柄な身体とはいえ、片腕で支えるのは少々辛い。サッカーボールはどうするか悩んだけれども、彼女が大事そうに抱えているのでそのまま室内に持ち込む事にした。


 リビングを横切り、寝室へと向かう。

 幸か不幸か、起きた時にめくれたままだった掛け布団を避けて彼女をベッドに寝かせると、むにゃむにゃと形にならない小さな声と共に丸くなった。

 掛け布団を肩までかけて、しばらく様子を見る。


 起きる気配はない。布団は規則正しく上下している。口元に髪の毛がかかっていたが、これ以上触るのはなんか躊躇われたので放っておく。

 ふと窓の方を見ると、遮光カーテンの端から僅かに光が漏れ始めた。もう朝だ。


 今日は休みだから講義はない。夜に強いとはいえ、僕も眠い。

 が。今ここで使えるベッドはこれひとつ。流石に小さな女の子と同じベッドで呑気に寝る勇気はない。


 僕はこの住みにくい世界を静かに生きたいのだ。深夜に獲物を探す時だって、誰かに怪しまれた時の良い訳を十は考えておく位、慎重でありたいのだ。起きて速攻おまわりさんは勘弁して欲しい。


 ベッドの隅に追いやられていた毛布をベッドと掛け布団からそっと抜き取り、ダイニングへと戻る。二人がけのソファに転がると、目蓋が自然に降りてきた。少しだけ朝のニュースを見ようかとも思ったが、クッションに頭を預けると、リモコンに手を伸ばすより先に眠気が訪れる。僕も疲れていたらしい。

 そのまま沈むように、意識を手放した。

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