第55話「接待①」
王家は特別な存在であるがゆえに、味方にしても敵に回しても厄介な存在。
優秀だと評価し、後ろ盾になってくれたと安心していたら、面倒なことに巻き込まれる場合も多い。気づけば才能を搾取されるだけされ、用が済めば捨てられることもあるらしい。
(次期当主として、今から王家との距離感に注意を払わないと。ルカーシュ様や、アンブロッシュ公爵夫妻と交流することになってから、今まで知らなかった面が見えるようになってきたわ)
これまで積極的に他の貴族と交流してこなかったが、意識を変えるタイミングだとヴィエラは感じ始めていた。社交に関することなら、アンブロッシュ公爵夫人ヘルミーナが得意とすることだろう。今度教えを乞うのもありかもしれない――そう思いながら、技術課の仕事場で魔法付与を続ける。
すると、技術課の上司ドレッセル室長がヴィエラを別室に呼んだ。
「ヴィエラさん、魔法局から遠征の日程が決まったと連絡があったのですが……遠征なんて了承していたんですか?」
彼はテーブルに遠征日程が書かれた紙をペラッと置くと、眼鏡のブリッジをクイッと中指で押し上げた。まるで文句を言いたげな態度だ。
「ドレッセル室長はご存じじゃなかったのですか? 先日、事件の調査チームのミーティングの際、開発課のフラン様から確定事項として伝えられたので、すでに室長の許可が下りているものだとばかり」
「……なるほど、本来なら開発サポート業務なら室長許可が必要なんですが、あくまで本件は調査の一環として扱うということですか。技術課の人員計算や納品スケジュールは無視……困りましたね」
ドレッセル室長は肩を落とし、眼鏡を拭き始めた。
「おそらく、私の退職を引き延ばすために……ご迷惑をおかけし申し訳ありません」
「ヴィエラさんも巻き込まれた立場でしょうから、あなたに文句はありません。ヘリング卿をそばに置いておきたい陛下に対して、魔法局の誰かさんがしっぽを振ったのでしょう。でも、このやり方はいただけない。遠征はこの一度切りで終わるよう、抗議しておきます」
「だ、大丈夫なのですか?」
ヴィエラの中のドレッセル室長は、格上の相手には委縮しているイメージがあった。だから珍しく強気な態度に驚きつつ、心配にもなる。
味方してくれるのは心強いが、裏で国王が関わっている案件。機嫌を損ね、権力を行使され、不当に立場を落とされるようなことがあっては大変だ。
しかしヴィエラの不安を否定するように、ドレッセル室長は柔らかい笑みを浮かべた。
「私って、王宮内のあらゆる魔法式を修復しているでしょう? 陛下の執務室から寝所まで網羅しているんです。秘密の魔法式もありましてね……私が急に辞めたり、メンテナンスを放棄したりしたら、誰が一番困りますかね? くくく、どこから細工しましょうかねぇ」
上司が腹黒い考えを隠さない様子に、ヴィエラは頬を引きつらせた。
あの温和の権現ドレッセル室長がこんなにも怒りを見せるなんて、相当ストレスが溜まっている証拠だ。
(陛下の好き勝手が、室長にまで……これまで気付いていなかったけれど、かなり問題なんじゃないのかしら? 他でも歪みが生じていそうだし、どこかで不満が暴発して、王宮内で事件が起きそうで不安になるわね。余波を受ける前に退職したいものだわ)
ヴィエラは願いが叶うよう、深々と頭を下げた。
「室長、どうかよろしくお願いします。退職のタイミングはルカ様の退職と同時とお話していましたが、私だけでも先に退職したくなってきました」
「ヘリング卿を置いて先に領地に帰るつもり?」
実験遠征の一週間でも嫌がったルカーシュだ。領地の新事業を引き合いに出して相談すれば受け入れそうだが、かなり寂しがることが想像できる。
ヴィエラを抱きしめて拗ねていた、先日の彼の態度を思い出したら可哀想でできない。
「……駄目そうですね。置いていけません」
「あぁ、良かった! まだまだ技術課にいてくれそうですね!」
「ん? 室長は私の退職の味方をしてくれるのでは?」
「魔法局の上層部が、勝手に技術課の優秀な人材を奪っていくことが許せないだけで、ヴィエラさんが長く技術課で働くことに関しては大歓迎ですよ。アンブロッシュ公爵にはお世話になっていますから、あえて私の方からヴィエラさんを引き留める工作はしませんがね」
以前、ヴィエラが急遽ユーベルト領に帰るときに簡単に休暇を取り付けたことがある。アンブロッシュ公爵とドレッセル室長の間には、何か縁があるようだ。
まずはドレッセル室長が警戒対象にならないことに、ヴィエラは安堵する。改めて、紙に書かれた遠征の日程を確認する。
遠征は来週。前日に準備のための休暇が与えられ、当日はいつもの出勤よりも早い時間に西棟の門前に集合。開発課六名と、クレメント、ヴィエラ、結界課の解除担当二名を加えた計十名で行くらしい。魔物に襲撃されるような場所ではないので、護衛はいないようだが、想定よりも大人数。
ルカーシュがヴィエラとクレメントがふたりきりになることを危惧していたが、誰かしら近くにいるから大丈夫だろう。
とは言っても、独占欲の強いルカーシュは婚約者不在の間、ずっと気を揉むに違いない。
「ドレッセル室長は結婚前、婚約していた奥様と遠距離恋愛をしていたのですよね。離れている間、どうやって乗り越えていたのですか?」
室長は辺境伯家の次男だ。十五歳のときに婚約した幼馴染の恋人が領地にいたが、魔法学校に室長が進学する際に離れ離れになったらしい。そして三年の遠距離恋愛の末、王宮魔法使いとして就職できた機に王都に呼び寄せ結婚に至った――と、技術課の飲み会の席で耳にしたことがある。
三年を乗り越えたアドバイスを聞けば、少しはルカーシュの心の安寧を守れるヒントがあるかもしれない、とヴィエラは踏んだのだ。
「それはヴィエラさん向け……ではなさそうですね。ヘリング卿のためですか」
「男性からの意見を乞いたく、どうかご助言くださいませ!」
「そうですね~ヴィエラさんの勇気と腕次第なのですが」
ドレッセル室長は顔を緩め、惚気話を始める。ヴィエラが嫌な顔せず真剣にメモを取るので、「あれは嬉しかったなぁ」「今も宝物にしているよ」と彼の惚気は加速し、経験談をたくさん記録することができた。
「ドレッセル室長、ありがとうございます!」
「こちらこそ話を聞いてくれてありがとう。今日は帰りに、妻へ花束でも買っていこうかな。そのためにも仕事を早く終わらせなきゃ。ヴィエラさん、頑張りましょうね!」
ドレッセル室長はホクホクとした顔で、鼻歌を歌いながら作業部屋に戻っていった。
今も奥様は、しっかりとドレッセル室長の心を掴み続けているようだ。今日聞いた話は大いに役立つだろう。
「あとは、どれを参考に実行するかね!」
ヴィエラはメモを見ながら、期待で胸を膨らませた。
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