第5話「打ち合わせ②」
少しだけ定時を過ぎたものの、ヴィエラは史上最速と言えるほどのスピードでノルマを達成させた。
急いでアパート前に行くが誰もいない。ルカ―シュを待たせていないと知り、ホッとしながら家の中に入る。
(元から物は少ないし、散らかっているわけではないけれど、身支度と掃除できる余裕があって良かったわ)
部屋に異性を招くことなど初めてだ。恋愛感情がない契約の相手だけれども、やはり与える印象は良いに越したことはない。何せ、退職できしだい一緒に暮らす相棒なのだ。
さっとシャワーを浴びてから、軽く物の位置を整えて箒がけをしておく。
次にヴィエラが取り掛かったのは夕食作りだ。
仕事帰りだとしたら、ルカ―シュもまだ食べていない可能性があった。念のため二人前のパスタを茹でる。食べないようであれば、翌朝の彼女の朝食になるだけだ。
茹で始めてすぐ、玄関の扉でノックが鳴らされる。のぞき穴から扉の向こうを確認して、ヴィエラはすぐに来訪者を歓迎した。
「ルカ―シュ様、お疲れ様です。いらっしゃいませ」
「こんばんは、ヴィエラ殿。急に悪いな」
「いえいえ、こちらこそ足を運んでくださってありがとうございます」
マントを羽織っていたルカ―シュを招き入れる。
彼はくるっと部屋を眺め、キッチンで視線を止めた。
「もしかして夕飯を作っている途中だったか?」
「はい。もしルカ―シュ様も食べてなければご一緒にと思って、パスタを」
「これは余計だったか」
彼は苦笑して、手に抱えていた紙袋をテーブルに載せた。
「見ても?」と確認してから中を確認すると、お酒の瓶にサンドイッチやチーズなど、つまみになる物がたくさん入っていた。
ルカ―シュもヴィエラと夕飯を食べようと、きちんと二人前用意してきたらしい。
「どうして?」
「残業だらけで仕事が大変なのだろう? 疲れていたら夕食作りも大変かと思って」
「――っ!」
優しさが染みわたり、胸を打つ。
そしてマントの中を見れば、彼は私服だった。制服から着替えたということだ。
騎士の訓練は厳しい。けれども彼からは汗臭さを一切感じない。むしろ石鹸の良い香りがする。しかもお土産付き。
(凄く良い人! 彼だって疲れているはずなのに、買い物までしてわざと遅れてアパートにきたんだわ。条件が悪いのに婿になってくれるし、気遣いもできるなんて……しかも容姿も良い。あら? 私には勿体ないのでは? うん、絶対にこの婿様を大切にするわ!)
改めて決意を胸に宿し、ヴィエラは笑顔を咲かせた。
「今夜はルカ―シュ様が用意してくれた、こちらを一緒に食べましょう? パスタは保冷庫に入れて明日食べますから!」
「いや、パスタを頂いても良いか? 折角作ってくれたんだし、訓練で腹ペコなんだ。サンドイッチより腹に溜まりそうだし」
「ふふふ、分かりました。サンドイッチは明日の朝食にしましょう。ちなみにパスタはトマト風とチーズ風ならどちらが良いですか?」
「トマトで頼む。好きなんだ」
未来の婿様に好きと言われたら、ヴィエラも気合が入るのも当然で。いつもは節約しているベーコンをたっぷりと入れて、トマトパスタを仕上げた。
「カンパーイ!」
ルカ―シュが持ってきたお酒で、ふたりは祝盃をあげる。
「あぁ……美味しい。これ、良いお酒ですよね? 高かったのではありませんか?」
「婚約記念なんだから、少しくらい贅沢してもいいだろ? 俺の奢りだ」
「そういうことなら遠慮なく」
貧乏人は施しを拒絶しない。有難く頂戴する。
お酒の美味しさに浸っていると、目の前の美青年はブルーグレーの瞳を細めて肩を揺らした。
「本当にお酒が好きなんだな」
「どうせ淑女らしくない令嬢ですよ。ルカ―シュ様もお好きな方でしょう?」
「そうだな。仕事終わりの一杯は最高だ」
ふたりは顔を見合わせ、ニカッと笑った。
「それよりも、ルカ―シュ様のご両親が承諾なされて安心しました。昨日は酔った勢いもありましたし、両親の反対を理由に無効にされても仕方ないと思っていたので」
「俺は跡を継がない末っ子の三男だし、悪女でなければ誰でも良いと言われていたからな。むしろ領主の婿という立場に喜んでいた」
「極貧なのに?」
「領主の婿なら国を出ることが無いだろう? だからだよ」
両親は国内にどうしても留めておきたいほど、息子を溺愛しているらしい。
彼の両親に失礼がないようますます大切にしなければと、ヴィエラの覚悟は強くなっていく。
「大切な息子さんをいただくのですから、ご両親にご挨拶した方が良いですよね?」
「助かる。両親も君の顔を見たいと言っていたんだ。子爵の体調を考えれば、婚約から成婚まで可能な限り早く進めた方が良いだろう。けれども仕事の引継ぎや世間体も考え、最低一か月は婚約期間を設けるべきだと言ってきているんだ。婚約証明書の作成をしてからとなると、数日以内に動いた方が良いと思う。直近だと両親は明日の夜が空いているはずなんだが」
「なら明日、お伺いしてもいいですか? 仕事は定時に終わらせますから」
子爵家の未来に関わる重要事項だ。幸いにも高級な栄養ドリンクは一本残っているため、後日徹夜すればどうにかなる。
「分かった。明日の夕方、君の職場である西棟に迎えにいく。馬車を用意しておくから、一緒に屋敷に行こう」
「何から何までありがとうございます」
こうして二人はお酒やパスタに舌鼓を打ちながら婚約に至った表向きの経緯の打ち合わせをしていく。
ルカ―シュは「噂で聞いていた苦労令嬢が子爵家の危機に心を痛め涙し、けれども前を向いて奮闘する姿に俺の庇護欲が刺激された。運命を感じた」と、両親に説明したらしい。
そしてルカ―シュはその場で婚約を申し込み、危機的状況を救ってくれる彼にヴィエラはときめき、一夜にして両想いに至ったというシナリオにすることになった。
なんとも情熱的で、弱者を守りたいという騎士らしい理由だろうか。少々ヴィエラが可憐に仕立てられているが、これくらいの演出があった方が周囲も納得するだろう。
恥ずかしさは心の奥に仕舞い込んでおく。
そのあと退職や引っ越しのタイミングなどについても話し合っていたら、気付けば深夜の時間帯になっていた。
「こんな時間か。すまない、帰ろう」
ルカ―シュは椅子から立ち上がり、マントを羽織ろうとする。
しかしヴィエラはそれに待ったをかけた。
「ルカ―シュ様、どうぞお泊りになってください」
「は?」
呆ける未来の婿殿に、彼女はニッコリと微笑んだ。
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