第4話「打ち合わせ①」


 技術課の事務所に入るなり、ヴィエラは早速仕事を始める。

 遠征シーズンが近いため、それに合わせた道具や装備に魔法を施す必要があるのだ。


 ヴィエラは靴の裏に使われる素材を取り出した。

 特殊な木から集めた樹液を乾燥させてできた厚めの生地で、『ゴム板』と呼んでいる。


 皮よりも耐水性に優れており、湿った森で仕事をする騎士や結界課の靴底に使われるこの国で高級品の類だ。既にゴム板は溝が彫られて靴底の形に加工され、皮に貼り付けるだけの状態になっていた。


 一セットだけ作業台の上に置くと彼女は先に魔法石の付いたペンを取り出し、魔力を流した。

 そして魔法石が青白く発光し始めると、ヴィエラは魔力をインク替わりにして、靴底に魔法式を書き始めた。



『魔法』とは、魔力を用いて物質を触媒にして発動させる奇跡のひとつ。



 基本的には魔力が込められた魔法式を道具に付与することで、対象物の性能を上げることを指す。


 魔力をそのまま水や火、風に変換することも不可能ではないが、技術的に難しく、役に立つかどうかわからないレベル。誰も使わない。

 基本的には盾を強化して防御を高めたり、剣に防錆魔法を施して切れ味を保護したりと、サポート面で重宝されている。


 ちなみに魔法を付与したものは、魔力を改めて流さないと効果は発動されない。


 そして今ヴィエラが靴底になるゴム板に付与しているのは、『撥水』の魔法だ。

 革よりもゴム製のほうが初めから耐水性に優れてはいるが、湿地に行けば泥を纏い重くなる。その足で岩場などに足をかければ滑り、魔物と対峙した時に致命的な隙になりかねない。

 それを防ぐために、泥がつかないよう撥水の魔法を付与するのだ。

 履きながら魔力を流すと、滑り知らずの最強シューズになる。



「久々に撥水の魔法式を書いたけれど、良い感じね。魔法式もきちんと定着しているし、どんどん進めましょう」



 短く息を吐いて、次のゴム板に集中し直す。

 魔法を付与するためには一足ずつ、魔法式を直接書き込んでいく必要がある。

 魔力や集中力だけでなく、案外体力も必要とする作業なのだ。間違えれば、たいていは素材は破棄になる。

 貧乏性のヴィエラはもったいなく感じるため解術をし、初めからやり直すことが多いが、それはすなわち魔力も時間も無駄になるということ。


 それはそれでもったいない。失敗はしたくなかった。


 騎士と結界課の人間は必ず魔法が付与されたこのゴム製のブーツを履くことになっている。愛用している人が多い上に消耗品のため替えが必要で、なかなか終わりが見えない。


 書いて、書いて、ただ文字を書き続ける。

 一方、クレメントが所属する結界課も魔法を使うが、魔法付与の手段が少々異なる。


 結界課は、石碑に魔物が嫌う音波を発生させる魔法式――結界を付与させることが主な仕事だ。

 石碑は国のあらゆるところに設置されているのだが、各地に人員を配備して常に魔力を石碑に供給することは難しい。靴底と違って、魔力を通さなくても二年程は自動で発動するようにしておく必要がある。


 その際、魔法式を一文字ずつペンで書くのではなく魔法式をイメージした脳内に魔力を通し、魔法式の効力をもたせた魔力を専用の杖で石碑に流し込むのだ。


 同時に他の魔法使いが、蓄積エネルギー用の魔力を流し込むことで魔法式と混ざり合い、結界の石碑は完成する。


 脳に魔力を流す行為――直接付与法は、高度な魔力操作と魔法式の計算式を完全に理解できる頭脳が必要とされている。

 実力がない者が行うと、付与された計算式が乱れ、魔法が誤作動を起こし事故になりかねない。

 その為技術課の人間よりも、貴重な結界課の人間の意見が優遇されることが多い。


 ちなみに今、ヴィエラが行っているのは記述付与法と呼ばれている。



「地方の定期遠征前だから注文が多いわね。靴底の消耗が抑えられる魔法も付与したいけれど、そうしたら撥水の魔法は付与できないし……魔法文字を圧縮して改造……無理ね。二重で付与できる魔法式を誰か考案してくれないかしら」



 方法はなくはない。結界効果と発動維持のふたつの魔法が付与されている結界の石碑を作るように、直接付与法を用いればできる。

 しかし現実的ではない。


 ヴィエラは直接付与法ができる能力を持ち合わせているが、彼女の他にできる人は技術課には少ない。

 なおかつ、直接付与法は頭の中を循環する分、記述付与法より魔力の無駄が発生するので、消耗が激しいのだ。道具が完成する前に、魔力が枯渇するだろう。



「はぁ~疲れる。まだまだ終わらない……」



 まだ午前中だというのに、この疲労度はシャレにならない。魔力消費は少ないが、肩がこる。



「お疲れ様。お菓子のお裾分けをどうぞ。疲れには糖分よ」

「相変わらず酷使されてるなぁ。俺からは安物だけど栄養ドリンクね」

「ありがとうございます!」



 定時に出勤してきた技術課の先輩職員が、ヴィエラの机の上にお土産を置いていく。

 仕事は大変だけれど、こうやって同じ指名持ちで苦労が分かる同僚たちにはよくしてもらっていた。

 休憩室で手早くお菓子と栄養ドリンクで活力を補充して、再び机に向かう。

 すると、王宮騎士がひとり技術課にやってきた。



「ヴィエラ・ユーベルト様はいらっしゃいますか?」

「あ、私です!」

「上司からあなたに手紙です。お手数ですが今中身を確認していただき、お返事を受け取りたいのですが」



 そう言われて封筒の裏面を見ると、送り主はルカ―シュだった。

 上司と呼ばれることから役職持ちの騎士らしい。益々信用度が高くなる。

 感心しながら中身を確認すると、ヴィエラは顔を緩ませた。



『両親の了承は得た。今後について少々打ち合わせをしたい。今夜、仕事終わりに君のアパートに寄っても良いだろうか? ルカ―シュ・ヘリング』



 何の旨味もない極貧子爵家への婿入りに、彼の両親からの反発を恐れていたが、問題なくクリアしたらしい。



(これでお父様やお母様も安心させられるわ。技術課を退職するから仕送りがなくなる分、資金繰りは考えなきゃいけないけれど、領主不在よりは良いはずよ)



 安堵で肩の力がどっと抜けた。

 すぐにペンを走らせ、『承知しました。お待ちしております』と簡潔に手紙をしたためて騎士に渡した。



「どうか、宜しくお願い致します」

「必ずやお届けいたします!」



 騎士は使命感に燃えた様子で、すぐに職場から立ち去った。

 見送ってから、ルカ―シュの退勤時間を聞くのを忘れたことに気が付く。残業していては彼を家の前に待たせてしまうことになるかもしれない。

 もちろん大切な婿様にそんなことはさせられない。



「早く終わらせてみせるわ……本気出すわよ」


 ペンを、直接付与法の専用ペンに交換する。

 そして脳内に魔力を巡らせ、靴底に付与を開始した。

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