木谷栄二作品について

今迫直弥

第一部

 第三回木谷栄二賞の最終選考に残ったのは、千本を越える投稿作の中から選ばれた六作品であった。以下は先日都内某所で行われたその最終選考の過程である。なお、選考委員は、委員長の岡本鉄兵以下、弓削網太郎、町村清子、黒田泉、池始(敬称略)の五人。


岡本:では、これから、第三回木谷栄二賞の最終選考を始めたいと思います。よろしくお願いします。

四人:よろしくお願いします。

岡本:ここにある六作品は、三次選考に残った一三作品について無記名採点投票を行い、その合計獲得点数の高かった上位六つです。どの作品が賞をとってもおかしくはない、かなり高レベルの水準にあると私は思います。

町村:実際、今回は良作揃いでした。実に喜ばしいことです。

弓削:しかし、良く出来ているけれどもあと一歩何かが足りない、そんな作品が多かった気もします。そんな中で最も強く作品世界に惹き付けられたのは、『雪、水になって』ですかね。まあ、勝手に全体の総評から個別の評に移っちゃいましたけど。

岡本:困ります(笑)。

弓削:それだけぼくがこれを推しているということです(笑)。

町村:確か、『雪、水になって』は三次の投票選考では第一位だったんですよね。

岡本:書いたのが一七歳の学生ということもあって、かなりのインパクトはありました。

黒田:繊細な文章による場面表現が上手で、情景が頭の中に浮かびやすかったですね。映像的、と言うんでしょうか。ここの部分はこんな風に撮ったら綺麗だろう、とか、私の中ではフィルムになってましたね。

弓削:内容は、母親を知らずに育った少年が非行に走り、落ちるところまで落ちた後に、病気の少女と出会って徐々に温かい心を取り戻していき、少女を救おうと奔走するのだけれど、結局最後に少女は死んでしまう、という……。これでもか! というくらいベタな人情ものでした(笑)。

池:しかも、雪なんか全然出てこなくて(笑)。題名の意味が、最後の最後でようやくわかる。何か語呂の悪いネーミングだな、とは思ってたんですけどね。本当、凄く感動しましたね。

町村:キャラクターの造形は、でも少しだけ疑問が残りますね。主人公の少年は非行に走っていた割に、驚くほど博識でしょ? エリートサラリーマンに敬語の間違いを指摘してやりこめるシーンなんて、あんな不良、いるわけない。不良でなくてもです。まあ、その不均衡こそが作者の狙いなのかもしれませんが。

黒田:敬語なんてのは、本来年配層が「最近の若いもんは」って愚痴るための格好の餌みたいなものですよね。その構図をあえて逆さまにして書く。これは、ユーモアじゃなく、この作者の確固たる人間観じゃないですか。エリート対不良という単純な枠組みの中でだけこの二者を捉えて欲しくないという姿勢が透けている、というか。

池:それはここですよね。『あなたの言い方じゃ、敬ってる相手は電車だよ』の部分。僕が気になったのは、ここだけ主人公の言い回しが独特だということです。反抗的で粗暴ないつもの口調でも無いし、慇懃な態度でもない。そもそも、相手の誤りを指摘している最中に、「敬ってる」なんていう「い」抜き言葉や、フランクなタメ口を使う。無礼の極みですよね。一応この先はサラリーマンが赤恥をかいて立ち去るという、胸のすくような展開になるわけですが、実にアンビバレントな要素を内包していたとも言えるんじゃないかと。

弓削:皆、考え過ぎな気もしますけど(笑)。実際そのセリフ、さして作中で大きな意味合いを持つわけでもないですし、名ゼリフということでもない。注目すべきところは、他にある気がします。

岡本:と、言いますと、何か気になったセリフでもありましたか?

弓削:ええ。名ゼリフかどうかは議論の余地があるでしょうが、主人公が彼女のために金色だった髪を真っ白に染めて、他の全てを犠牲にしてでも献身しようと心に誓う際のこのセリフ。「僕の想いはとどくかな?」。がつんとやられましたね。感動ものでしょう。茶毒と書いて、とどく、ですよ。ダブルミーニングという言葉で括ればそれまでですが、捻りが利いてます。

黒田:あー、やっぱりそこですか。私もあれにはやられました。凄く切なくて、良かったですよね。茶毒なんて言葉、普通は絶対に知りませんから。あそこは、「僕の想いは届くかな」って言ってるものなんだとしか思えない。作者のアクロバティックな言葉遊びに唸らされましたね。

池:僕なんか、この小説のためだけに、茶毒の意味調べましたからね。一応、作家の端くれで、語彙には自信があったんですが(笑)。

町村:私もおんなじです(笑)。作家じゃないからセーフか(笑)。調べて驚かされました。

弓削:作者がこのセリフにどれだけ力を込めていたかが窺えますね。

岡本:でも、あそこであのセリフを入れるのは逆効果だったように私は思うんです。作品全体の流れを考えると、あそこでクライマックスを演出するより、それに続くラストシーンに感動のポイントを集中させた方が効果的だったんじゃないでしょうか。それだけ衝撃的なセリフであったのは確かですが。

町村:確かに、あそこまで来ると最後、もう一捻りパンチのある展開を期待してしまいますからね。あそこから一気に物語が加速して、でもそのまま落ち着くところに落ち着いちゃった、という印象で、少し戸惑ったのも確かです。もしかすると、そもそも茶毒という言葉が使いたくて小説書いたんじゃないですか(笑)?

黒田:でも、作者一七歳でしょ? そんな着想から執筆に踏み出しますかね?

池:いやいや、ペンネームの切刖家にしても、茶毒にしても、作者が言葉で遊ぼうとしている様子はいたる所で垣間見えますよ。

岡本:そうそう、ペンネームが異様ですよね。「刖」ってのは、足切りの刑のことですし、やけに不気味なネーミングと言えます。作品の全体に通底する透明感に反し、ところどころでこういうグロテスクさを感じさせるのも魅力の一つでしょか。まあ、ペンネームまで選考の考慮に入れることはないんでしょうが。

黒田:音だけ聞くと「雪月花」と同じで、意味は不気味なんて、タチの悪い名前ですねえ。

弓削:ペンネームのセンスだけで見たら、この人は絶対、最高か最低どちらかの評価でしょう。そういう、巷でも絶対に賛否両論巻き起こしそうな辺りに、陳腐な言葉ですが新時代文学の在り方というか、何かこう、言い知れぬ若いパワーを感じちゃいますよね。

岡本:では、次回の選考からはいっそ、筆名のセンスで受賞作決めちゃいましょうか(笑)。

池:おー、選考基準変わる前で良かった(笑)。

岡本:確かに痛切な問題かもしれませんね(笑)。

一同:(笑)

岡本:まあ、一つの作品ばかり話し合ってもしょうがないですから。次の作品にいきましょうか。

町村:えーと、では私の一押しでもある『悪』を。前回の採点では全体で二位でしたね。

池:あ、僕もこれ、一番好きです。

弓削:じゃあ、何で二位なんでしょう(笑)?

池:僕、三次選考では投票してないですから(笑)。最終選考から急遽呼ばれたんです。

弓削:ああ、そうだったんですか。三次選考は無記名投票でしたし、合議制でなかった関係上、誰が選考に関わっていたのかよく知りませんね。

岡本:ここにいたメンバーは、池君以外は投票してますよ。他は、勤続十年以上のベテラン編集者さんが数人です。

町村:あの、話を先に進めてもよろしいですか(笑)?

弓削:あ、はい。よろしいです(笑)。

町村:カテゴリー的にはSFに含まれるんですかね。正義と悪が完璧に定義され、明確に二分されてしまった世界において、「悪」の国家に生まれ落ちた「正義」の主人公が生き残るために繰り広げざるを得ない血で血を洗う闘争。全篇を通じて、「修羅の是非」がテーマでしたね。

黒田:これは映像化には向かない、とまず思いましたね。この設定を映像だけで表現しようとすると、逆に単なる勧善懲悪の構図しか見えてこないんです。精神性に踏み込めない分、安っぽくなってしまう気がします。

池:アクションも派手ですから、そちらにばかり目の行く作品に仕上がりそうですしね。とはいえ、主人公のハードボイルドな生き様と、謀略渦巻く「悪」の側の人間模様は実に素晴らしかった。

弓削:ど迫力の戦闘場面を独特のタッチで男らしく描き切るその描写力も評価出来ます。

池:でも、去年の木谷栄二賞の『呪言を待ち続ける男』も、その硬派な書き筋で好評を博しましたからね。これが受賞するとなると、同じような傾向の作品が二年続くことになりますが、それをどうみるか。

町村:あー、去年のって、あの、石油王が暇つぶしに書いたと豪語した奴ですよね(笑)。作者の人間性はともかく、話は確かに面白かった。まあ、でも私はこっちの『悪』の方が遥かに好きです。

弓削:やけに辛口ですね(笑)。

町村:去年のあれは作者の一人よがりの感が強かったのに対し、この作者――三五歳、銀行員の田置石斗氏ですか――は、実によく取材をして、丁寧に仕上げているんですよ。異世界を舞台にしていますし、一見、勢いだけで書かれたように思えるのですが、下敷きにしている知識量は決して侮れません。特に、「悪」の国家の国法第何条に抵触する、とかいう表現が時折出ていましたが、あれは全て、日本の帝国憲法の同じ項を参考にしている節がありました。

岡本:ああ、そうなんですか。それは気付きませんでした。この作者、何条まで正確に考えてあるんだろう、と漠然と疑問に思っていましたが。

町村:一応、よく読みこむと、かなりアレンジを加えてあるみたいなんですが、そのアレンジの仕方がイカしてますよ。なんと、帝国憲法に、現行の憲法あるいは刑法の該当箇所を巧みに盛り込んでいるんです。

黒田:じゃあ、殆ど日本が「悪」の国家だって言ってるようなものじゃないですか(笑)。思想書を意識してのものだったら噴飯ものですよ。

町村:ええ、それも含めて一押しなんです(笑)。日本を痛烈に皮肉っていながら、その割に毒が感じられない。表現は難しいですが、聞いていて爽やかになる悪口、みたいな感じですか。あくまでも、「最近の日本はなっちゃいねえ」って酔っ払いが管を巻いて、周りの人が賛同するくらいのイメージなんでしょうね。

弓削:実際あの「悪」の国家警察を見ていて、日本の某県警が思い浮かんだのは確かですね。主人公に懲らしめられると、「ざまあみろ」って言いたくなる(笑)。

池:ああ、僕もです。

岡本:実際、あれくらいの処置が断行されてもいいと思いますね。

黒田:あの、皆さん、言論の自由があるとはいえ、結構際どいこと言ってません?

弓削:大丈夫大丈夫。誰にもバレないから。

町村:いや、録音されてますよ、これ(笑)。前提として、最終選考の過程は後に雑誌上で公開されることになってますから。

弓削:あ、じゃあオフレコということで、拙いところはカットしてもらいましょう。

池:大体、そういう部分の方が面白いから、絶対編集されないんですよね(笑)。

弓削:お約束ってことですか。参ったな(笑)。

岡本:さて、話もずれて来たところですし、次の作品に行きましょう。

町村:あれ、私の一押し、(話し合いが)ちょっと短くないですか? いじめ(笑)?

岡本:いやいや、充分話し合いましたって(笑)。それに、(話し合いの)長さで賞が選ばれるわけじゃないですしね。全作品を個別に評していった後、最終的な合議の上で受賞作を決めます。合議の時に、さらに細かい部分も話し合えば良いですよ。あと四つ、話を進めましょう。

黒田:では、次は私が一押しの――

 (携帯電話の着信音が鳴る。ベートーヴェンの『運命』)

町村:誰ですか? やけに選曲が無謀ですが(笑)。

岡本:すみません、私です。ベートーヴェン好きなもので。では、ちょっと失礼して――はい、もしもし。

池:こんな時まで電話とは……忙しい方ですね。

弓削:良くも悪くもね。

町村:それにしたって、こんな時は電源切っておいてもよさそうなものですが。

黒田:そうですか? 私も携帯の電源は常に入れておきますよ。仕事中でもバイブレーションにして。今の季節なんか、厚着していて気付かないと困るから、そういう時はマナーモード切ってしまいますよ。

町村:え、メガホンとってる時に鳴り出すわけ(笑)? 信じられませんね。

池:まあ、そういう時代になったんじゃないですか。携帯電話を電車内で使わないようにって一時期よく言われてましたけど、最近聞かないですし。

黒田:そうですか? ちょっと方向性が変わっただけで、通話はご遠慮下さいってアナウンスはよく流れてますよ。池さんが電車に乗らなくなっただけじゃ……(笑)。

町村:電車内での携帯電話は非常に迷惑ですからね。日本人のモラルの低下は実に嘆かわしいです。……岡本さん、選考中の携帯電話も迷惑ですよ(笑)。

岡本:いやはや、すみません。

池:何だったんですか、今の電話?

岡本:いや、まあ……。

弓削:何か気になりますね。支障がなければ教えてくださいよ。

岡本:…………。大したことじゃありませんよ。

町村:顔、青いですけど?

岡本:え……? はあ、そうですか。隠せないようなので正直に言いますが、

弓削:どうぞどうぞ(笑)。

岡本:実は、……知り合いが一人亡くなったという報告でした。

一同:…………(絶句)。

岡本:まあ、皆さんには心配かけさせまいと思ったんですが。

黒田:え? もしかして私達も知っている方なんですか?

岡本:あー、いや、まあ、大丈夫です。

池:何が大丈夫なんですか。こんなところで選考なんかしてる場合じゃないんじゃないですか?

岡本:いやいや、そんなことは……。ここで選考を続けることが、たぶんその方の供養にもなると思いますから。皆さんもその志を汲んでください。お願いします。

弓削:はあ……何か引っ掛かりますね。

岡本:それでは気を取り直して。黒田さん、あなたのお勧めだったというのは?

黒田:ああ、そ、そうですね。私の一押しは、三次選考で三位の『アルカトラス』です。

弓削:え、これなんですか? これはどう考えても絶対映画化できませんよ(笑)?

黒田:ええ、逆に、だからこそ、ですね。小説ならではの面白さを極限まで追求した作品でしょう、これは。

池:主人公が二人いて、それぞれの視点から、言葉の迷宮の攻略を行っていくんですよね。全く情景が目に浮かばない、抽象名詞の物質的把握が、最後まで貫き通されている、異色中の異色作でした。

町村:途中で一回物質世界の描写が入ることから、何か作中作のようなものを連想もしたんですが、結局世界観を崩すことなく突っ走りましたね。

黒田:一文一文、何をやっているのかよくわからないのに、やけに説得力があるんですよ。「破壊」と「追跡」が「合流」に至ればハラハラするし、「未来」が「帰化」に属する「逃亡」を促されると悔しく見えるようになってくる。今、これだけ言ってても何のことやらわからないですけど(笑)。

岡本:非常にくせがありますし、好みの分かれそうな作品ですね。

弓削:書いたのは二五歳の女性。ペンネームは黒田由佳。……黒田さんの身内の方ですか(笑)?

黒田:いえいえ、本人ですよ(笑)。いや、勿論、冗談です(笑)。年齢性別苗字まで一緒なんで、びっくりしたのは確かですけど。

町村:大丈夫、この人、本名は鈴木だから。

池:いや、何が大丈夫なんですか(笑)。

黒田:ちなみに私の本名も鈴木です(笑)。

一同:(笑)

町村:でも、この作品、文章が力強くて、女性の書いたものとは思えないですよね。

池:女性差別発言じゃないですか、それ。女性の書く文章はおしなべて弱々しい、みたいな言いようでしたよ、今の。

町村:どうしましょう。仕事来なくなっちゃう(笑)。

黒田:実は、私、この作品は初期の木谷栄二作品に通じるところがあると思うんです。モチーフも違えばジャンルも違うんですが、例えば――

岡本:『城』とか、『在りし日の街並み』とかですね。それは私も感じました。良い意味でセピア色なんですよ。『アルカトラス』があんななので、上手く表現できませんが――いや、こんなこと言っちゃいけないな、私はこれで食ってるわけですから(笑)――心の奥底に働きかける郷愁の念、そんなテーマがある気がします。『アルカトラス』の主人公の片方も要するに、未来を目指すための通過儀礼として、自分の過去を振り返って自省している、という趣向でしたし。

弓削:表現があくまで押し付けがましくない、淡々と語るのに深い味わいがある、といったところも木谷作品と共通しているといえそうですね。

池:三次選考三位の割に、絶賛の嵐ですね。

岡本:私は、今残っている六作品は、どれも素晴らしいといえる作品群だと思いますよ。……それでは、次の作品に行ってみましょう。

弓削:次は、四位。『キエナイキズアト』。

岡本:これは、私の一押しです。

池:題名見た時は、凄く暗い話なのかと勝手に思ってましたけど。

岡本:全体的に軽いテンポで明るく描かれるところにこそ、この話のコンセプトがあるのだと思いますよ。

町村:主人公の女性は、幼少時に父親から虐待を受けていて、背中に酷い火傷の跡があるんですよね、それでも、運命の男性――安易な言葉ですが――と出会って前向きに生きている。

弓削:そこが、スタートなんですよね。

黒田:私はそこに驚きました。大体この手の話って、主人公が前向きに生きていく決意をするまでの過程を描く物が多いじゃないですか。なのに、最初からその準備が終わっている。一三話構成のドラマが前章としてあって、これはその続編みたいな感じですね。

岡本:そこが、上手いですよ。主人公が結婚前夜に、自分の人生とは何であったかを深く思い返すシーンでもそれはわかるんですが、彼女はもう既に明るいんですよ。背中のキズアトは確かにキエナイんだけど、でも、彼女の心の傷は消えてしまっている。

町村:テーマが逆説的ですよね。普通は、体の傷は消えても、心の傷は癒されない、みたいな扱い方なんですが、この作品はまるで逆ですから。

岡本:作品中で「降り止まない雨はない」と主人公が何度も言ってますし、キエナイキズアトなんてものも、実は無いんだと。それこそが作者のメッセージなのかもしれません。

町村:まあ、でも若干楽観的に過ぎるきらいもありますね。何しろ体の傷は消えていないわけですし。現実問題、幼児期に被虐待経験があると、深刻なPTSDなどの障害が成人以降も根強く残るケースが多いですからね。適切な治療で快癒することはあるとしても、この主人公みたいに自力で立ち直るケースは、やはりむしろ稀なんじゃないですかね。

池:ドラマ性の中に、どこまでリアリティを追求するか、という問題でしょうか。ちなみに、この作者、三〇歳の精神科医です。

町村:え、そうなんですか?

池:立花樹って、ペンネームですけど、これ本名でしょ。

弓削:ああ、その名前、結構テレビで見ますね。犯罪心理学に詳しい立花なんとかカウンセリングセンターの若き所長です。かなり儲かってるみたいですよ。

町村:そうなんですか。全然知らなかったですね。医療問題は畑違いですから。作者が現役の医者ということは、医学的考証はなされていると思って差し支えないのかな。

岡本:まあ、仮にそうでなかったとしても、この作品の評価を貶めるには至らないでしょう。リアリティが無い、で切って捨てるにはあまりにも惜しい。それならいっそファンタジー、いや、メルヘンと言い張ってでも推したいくらいです(笑)。

弓削:ぼくなんかに言わせれば、ミステリーと捉えても、これは良作であると言えます。良い意味で読者の予想を裏切ってくれる部分が多いですし。

町村:これがミステリー、ですか?

池:ここで弓削先生がおっしゃりたいのは、広義の意味合いでのミステリー、でしょうね。名探偵や密室などが出て来る本格推理小説だけがミステリーではないですから。犯罪小説から社会派推理まで、ミステリーも多岐に渡るんですよ。

黒田:でも、『キエナイキズアト』の場合、どういう点がミステリー的なんですか?

弓削:例えば主人公が結婚相手との初夜を迎えるところ。あそこは、その前振りからして、「主人公は父親から虐待された映像がフラッシュバックしてくるに違いない」と思わせる書き方になってるんです。ところが、そんなことは微塵もない。少しくらい思い出しそうなものなのに、全くそんな様子がない。読者サービスのためか、ベッドシーンはそれからしばらく続くのに(笑)、いつまで経ってもフラッシュバックは無い。いつ来るか、いつ来るか、と読む方は冷や冷やしてるわけですよ。でも、そのままそのシーンは終わっちゃう。一見拍子抜けしそうなんですが、読了後は不思議と安堵感が襲って来るわけです。

黒田:あー、なるほど。確かに、暗鬱な方向にミスリードするための偽の伏線が多かったですね。なのに、ありとあらゆる困難が全て和やかな挿話で解決されていくという……。

岡本:最後も、この結婚相手が実は物凄く悪い奴なのかと思わされるんですよね。でも結局それも違って、やっぱり素敵な人だった、と(笑)。何事もなく終わるのに、物足りない感じが無い。先程弓削さんもおっしゃっていましたが、人間の暗部が表出しない、というだけなのに、やけにほっと出来るんですよね。

黒田:癒し系小説、といったところでしょうか。

町村:今、あんまり言わなくなったって(笑)。

岡本:――ではそろそろ、次に参りましょうか。

池:えーと、今度は五位の『夢枕』ですか。これは誰が推してるんですか?

岡本:あー、これは、全員が「二番目に好き」と答えるような作品でしょうね。万人受けする上手さはあるんですが、コアなファンを獲得するような尖った感じがないんですよ。まあ、良い意味で、ですが。

池:これは、ミステリーと捉えて良いわけですよね?

黒田:まあ、少し、幻想小説めいた部分はありましたが。主人公は学生で、凄く霊感が強い。で、ある日殺人事件の被害者が夢枕に立つところから物語が始まる。

町村:非現実的な場面からいきなり始まるのに、事件は本格的、トリックも、心理トリックとしては結構斬新でしたし、悪くないと思います。

岡本:この話は、幽霊が実在する、という設定小説の装いがあるんですが、でもそれに頼り切ってないのが良いですね。例えばラスト。謎を解き終わった後、犯人が主人公にピストルを向ける。けれどもその背後に、自分が殺した人の幽霊を見て「や、やめろ! 来るな」と狼狽し始める。大体こんな展開になるのかと私は思ったんですが(笑)。

弓削:それは、僕の三作目です(笑)。あれは、生粋の本格原理主義者である僕があえて変格ミステリー作品に挑んだ意欲作だったわけですが。若書きだったこともあって評論家諸氏にぼろぼろに言われたことを憶えています(笑)。

岡本:いや、私はあれはあれで好きですよ(笑)。ただ、この小説では、冒頭で夢枕に立ったのが被害者の幽霊ではなく、そう見せかけていた被害者の息子だったのだ、と主人公が解説するわけです。何だ、トリックだったのか、と読者は論理的解決を示されて安心する。ところが、最後に被害者の息子が木陰でゆっくり消えていく描写があり、それが主人公の夢なのか現実なのか判断出来ない。幻想と本格推理のバランスが絶妙なんですね。小説の中で幽霊を上手く乗りこなしている感がありました。

池:なるほど。この作者の次作以降は見物ですね。この後どういう方向に行くのか。

弓削:まあ、次があればの話だけど(笑)。僕としては、この方にはがちがちの本格を書いてもらいたいな。証拠の見つけ方として、幽霊の証言を取る以外の方法を使ってもらって(笑)。

町村:幽霊の証言で思い出しましたけど、黒田さんの映画で何か似たような話ありましたよね、これ?

黒田:『依頼』ですかね。他の出版社の某賞受賞作が下敷きですから、ここではあまり語れませんが(笑)。ミステリー要素は殆どないですけど、幽霊の捉え方はどことなく似た感じがありますね。日本的、とも言えるかもしれませんが。

池:関係ないけど、あの映画に僕エキストラで出てるんですよ(笑)。

黒田:え、そうだったんですか? 全然気付きませんでした。初対面だと思ってました。

池:まあ、それはそうでしょう、エキストラですし(笑)。投稿生活してたから金が無くて、バイト三昧でした、あの頃は。

黒田:苦労なさったんですね。

池:いや、その後、莫大な遺産が転がり込んできたもんで、いきなり楽になりました(笑)。

岡本:人生、何が起こるかわからないもんですね。

弓削:まあ、それはそれとして。一応、作者にも触れておきますと、『夢枕』の雪田三郎氏はテレビ局のプロデューサーだそうです。

岡本:仕事忙しそうなのに、いつ書いたんでしょうね。

町村:プロデューサークラスになると、色んな人がいますからね。

岡本:まあ、素晴らしい作品が送られてくるのは、私達にとっては非常にありがたいことなんで、作者が誰であろうと構いませんが。……さて、それでは最後の作品に行きましょう。

弓削:あれ? 最後のって、どんな作品でしたっけ?

岡本:……『誌上座談会』です。

弓削:ああ、あれですか! あれが六位ですか。随分な変化球ですね。

岡本:影が薄い変化球ですねえ(笑)。消える魔球ですか。

黒田:結構斬新な内容ではありましたよ。エンターテインメント作品としてはかなり上位でしょう。

町村:全篇、五人の著名人の座談会という設定で、脚本のような形式で書かれていたんですよね。

池:まあ、まさにこの会話も、後に雑誌に載る時はそうなるわけですが(笑)。

黒田:で、実はその五人の中の一人が、途中から偽者と入れ替わってるんじゃないか、という疑惑が浮上してくる。

弓削:そういえば……この五人の中にも一人、偽者がいるんじゃないですか(笑)?

町村:ああ、弓削さんですね(笑)。……冗談はともかく、そうやって皆で疑心暗鬼になってるところに青年が乱入してきて、その座談会が実はたった一人の男が一人五役を演じていたに過ぎない、と暴露する。

弓削:ネタバレもいいところですね(笑)。そして、ここにはまさにその話通り、ぼくしかいないんですよね(笑)。

町村:やめなさいって。本当に信じる人が出てくるから(笑)。

黒田:で、さらに実はそれが、その青年の妄想に過ぎないというさらなるどんでん返し。「彼にとっての時間は、自分が一人五役の座談会を無理矢理やらせた俳優が死んでしまって以来、止まったままなんだ」と精神科医が言うわけです。

池:まったく、どうしてそんな企画やらせたんだって話ですよ(笑)。

弓削:え? さあ。その辺は、読み手が考えればいいんじゃないですかね。おっと、こんなこと言っちゃいけないか。

岡本:……その発言は確かに、ちょっと無責任といえるかもしれませんね。この場では。

黒田:とにかく、最後にその青年の名前が出てくるんだけど、それが座談会に登場する人物の一人と同じで。

町村:その人が自分のことを語るシーンを読み直すと、青年がどういう人かわかるのよね。それまで謎だと思ってたところも、全て。ジグソーパズルが嵌るみたいに、ぴたっと。

弓削:そうそう。どうして、俳優に一人五役の座談会を企画したのか、とかも。

池:え……ああ、そうでした。

弓削:よく読んだの、池君(笑)?

池:いやあ、なにぶん、いきなり最終選考から呼ばれたんで、詰め込むように読みまして(笑)。

町村:とりあえず、この話はそういう懐の深さと、計算してあらゆる場所に散りばめられた伏線が強みだと思います。

岡本:そうですね。ミステリー的な仕掛けということでは、『夢枕』とこれが光っていました。メタミステリーに傾倒していった木谷栄二の後期作品群を考えると、こちらの作品の方が、より近いでしょうが。

黒田:書いたのは、……栃木高雄氏、四二歳。公務員。

弓削:お、厄年ですね(笑)。

町村:そこはどうでも良いと思いますが。公務員って何でしょうかね。教師でしょうか。

岡本:ええ。中学校の先生のようですよ。

町村:へえ。それはなかなか。

岡本:ま、これで賞がもらえれば、厄年なんかじゃなく、最高の一年になることでしょう。

弓削:おー、良いまとめ方です(笑)。

岡本:――さて、個々の作品に対する評はここまでとして、以降は全体の比較から話を煮詰めていって、木谷栄二賞を決めましょう。ええと、その決定法ですが――

??:待ってください。岡本さん、あなたのやろうとしていることは、わからないではないが、どう考えてもフェアじゃない。

一同:(驚愕)

弓削:あなたは誰ですか? というより、どこから声を出しているんです?

??:ここです。

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