ふらり依り代〜畠山重忠恋ヶ窪伝説〜

天雪桃那花(あまゆきもなか)

前編 出会い

 私は夢の中で鬱蒼とした森にいた。


 竹林や背の高い木々はどこまでも続いていく。

 四方八方、同じ景色が広がる。


 すごく心細い。


 孤独な感情だけがやけにからリアルに伝わってきた。


 誰も味方はいない。


 繰り返し何度も見てきた夢。

 私はこの先に起こることを知っている。

 今夜の夢も同じならば結末は変わらない。

 いつもの学生服じゃない豪華な着物を着た私。

 足は裸足でどこからか逃げ出し、誰かに追われ焦ってた。

 捕まったら死んだ方がマシなぐらい酷いことをされてしまう。


 とても不安で堪らない。


 逃げ込んだ森では獣の声が絶えずした。


 私は恐怖心と喉の乾きと空きすぎたお腹が痛むのを抱えながら走る。

 足には刺さる枝木の先や尖った砂利で傷が出来、マメはつぶれ血が流れた。



    ◇



「ハァ、ハァ。もう走れない。ここであたし死ぬんだわ」


 あたしは大木に身を預け寄りかかる。

 この辺りには獣もいる、バケモノも出るかもしれない。


 目をつむり身を横たえた。

 戻っても地獄、行く道も地獄――

 生きていても何一つ希望などない苦界に身を貶したあたしだもの。

 親に売られた遊女に何が待つ?

 一生好きでもない男に抱かれ稼いだ金は巻き上げられる。

 運良く身請けされれば苦界から抜けられるがほとんどお伽噺だ。

 病気になるか刺されて死ぬか。

 惚れた客に新しい刀の試し斬りにされた娘は悲惨だった。

 あたしだっていつかああなるんだ。


 あたしは泣いて泣いた。

 森に棲む獣やバケモノに気づかれないように枯れ葉にうずもれながら泣きじゃくった。


 しばらくして小雨が降りだした。

 秋のなかごろ、枯れ葉で今は寒くはないが体が濡れたら芯は冷え切るだろう。


 その時、ガサリッと音がした。

 あたしは身構えた。

 いっそ死んでも良いと思っていたのに。いざ実際にその時が来たんだと思うと怖くなる。


「お主、どこぞから逃げ出して来たのか?」

「きゃあっ! あたしなど捨て置きください」

「これお主、枯れ葉から顔を出さぬか? なにもせんわ。面白き女子おなごじゃ。雨が凌げる場所を俺は知っている。一緒に参ろう」


 柔らかい声にあたしはどうにかなりそうだった。久しぶりにこんな優しい声を聞いた。


 こわごわ立ち上がると目の前には端正な顔立ちの青年がいた。

 甲冑を着た姿、背が高い男――

 瞳が力強い。

 どこのお侍さまだろうか?


「手を貸せ」

「えっ?」


 手首を捕まれぐいっと引き寄せられ瞬く間にあたしはお侍さまの馬に乗せられる。

 それからお侍さまも馬上の人になる。

 あたしの後ろに座り手綱を操るお侍さまは笑っていた。


「お主、美しい顔がドロや葉っぱで台無しだぞ」

「美しい?」


 あたし、美しいなんて初めて言われた。

 こんなに真っ直ぐな目で褒めてくれた人をあたしは知らない。


「ああ、お主は美しい女子おなごだ。こんな武蔵野の辺鄙な山奥に隠れておったのだ。空から落ち参った天女であろう? 俺は畠山重忠だ。源氏方の武将である」

「畠山重忠さま」

「ああ、重忠と呼べ」

「重忠さま」

「お主、名はなんと申すか?」

「あさづま太夫」

「あさづま太夫。そうか、まずは屋敷に行こう」

「お屋敷っ?」

「心配するな。俺の息抜きの場所でなあ。こじんまりとした屋敷だからくつろげるぞ。総じて使用人は少ないし、煩い父や母君も仕えの者も来ない」

「ふふっ。父様や母様が苦手でらっしゃいますか?」

「ああ、苦手だ。お主、やっと笑ったなあ」

「――あっ」


 あたしは重忠さまのお屋敷にかくまわれることになりました。

 迷う私を助けたのは畠山重忠というお侍さまでした。

 とても優しくて朗らかで力強い。

 お心は瞳と同じに真っ直ぐだ。

 強さと優しさを兼ね備え何よりも拾ったあたしにすら誠実だった。


 出会ったあの日を忘れられません。

 重忠さまは奉公人を人払いしてあろうことか自らあたしの足を洗って下さったのです。優しく丁寧に。

 たらいに張った清き湧き水が傷に滲みました。


「すまん、痛むか? それに少々湧き水が冷たいな。後で湯を用意させるからあったまれ」

「どうしてっ。あたしなんかに」


 とんでもないことだと驚き拒んだのですが重忠さまは塗り薬までつけてくれた。

 湯浴みと豪勢な食事まで与えていただいた。


「天女には特別に計らうべきだろう。あさづま太夫、俺はお前に名をつけても良いか?」

「重忠さまが名を? 遊女の名ではない名をお呼びになりたいの?」

「ああ。出来ればお前が好きな花や言葉がいな。何かあるか?」

「考えてみます。ああ、でも出来れば呼び名は重忠さまがつけて下さい。そうしたらあたしは嬉しい」

「そうか。考えておく。お前の元の名はなんだ?」

「天女に名はありません」

「ははっ、本当にお前は面白いやつだ。俺はお前を身請けしたい。今ある戦いの山場を超えたらきちんと父上たちに話を通す。戦から帰ったらそのつもりでいてくれ」

「でも、知り合ったのは……」

「ひと目で男女が惚れることがあると聞いていた。自らがそんな奇跡を知るとは驚いている」


 会ったばかりだというのにあたしの胸はときめきました。

 重忠さまにどうしようもなく恋焦がれていく。


「はははっ。にわかには信じがたい話であろう? だがお前が俺の傍にいてくれるなら何もかも失っても構わない」

「重忠さま」


 重忠さまはあたしに恋心をくれた。

 初恋だった。

 武将の重忠さまは戦の準備がお忙しそう。でも武蔵野の地に戻ると必ず寄ってくれた。


「しばらく逢えぬな。待っていてくれるか? 鈴」


 あたしは重忠さまから呼び名をもらった。「鈴」と重忠さまが呼ぶたびに甘さとキュウッとした切なさが胸に走る。


「はい。鈴は重忠さまの帰りをお待ちしております。いつまでも」


 だってあたしは重忠さまを好いております。

 重忠さまに抱きしめられると、とても幸せな気持ちに鈴は包み込まれるのです。


「鈴、ひとつ舞を舞ってくれ」

「はい。重忠さまのためだけに」


 あたしは幼い頃から白拍子に叩き込まれた嫌いな舞を踊る。

 でも、重忠さまが喜んでくれたから習っておいても良かったかな。

 重忠さまが楽器を鳴らし伴奏をつける。その後重忠さまは横笛を聴かせてくれた。


「まだ下手くそでなあ。鈴の美しい舞にそのうち笛の音で花を添えたいものだ」

「いいえ、とてもお上手ですよ。重忠さま」


 重忠さまの横笛を吹く凛としたお顔が満ちた月夜に映えます。

 すすきが揺れ、夕べに響く笛の音はどこか物悲しくもありました。


 あたしは待っていた。

 重忠さまのお帰りをずっとずっと――


 けれど、あたしは重忠さまが討ち死にしたと吹聴され姿見の池に身投げして死んだのです。

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