家庭教師を驚かせてしまう!

 今日は、初めての家庭教師が訪問される日である。


 7歳になると社交界にデビューして、貴族学校に入学するのがこの王国のしきたりである。


 入学までに公爵家の令嬢として恥ないように、入学前に家庭教師を付けて勉強をしなくてないけない。

 

「メリア、今日は家庭教師の先生が来てくださいます。失礼のないようにするのよ」


「はい、お母さま」


 朝食を終えて数刻すると、家庭教師の先生が我が家へ訪問してきた。


「メリアお嬢様。初めまして、私は今日から家庭教師を勤めさせていただきます、セイリル・フォーゼンと申します。セイリル先生とお呼びいただければと思います」


「メリア・アルストールです。セイリル先生、よろしくお願いいたします」


 わたしは両手でスカートの両はしをふわっとあげてお嬢様らしく挨拶をした。


「それではセイリル・フォーゼン先生、あとはよろしくお願いします。私は下がりますね」


「かしこまりました。お任せくださいませ」


 お母さまは、セイリル先生と軽く挨拶をかわすとわたしの部屋から出ていった。


「メリアお嬢様、さっそく授業を始めさせていただきますね」


 セイリル先生から一枚の紙を渡される。


 紙に書かれている内容を見たら、この世界の文字の一覧表だった。


「セイリル先生」


「なんでしょうか?」


「わたくし、もう文字の読み書きはできますわ」


「そうなのですか? セルビア夫人からはまだ何も教えていないと伺っていたのですが」


 セイリル先生は驚いているような焦っているような混ざった感じの表情をしている。


 無理もない。


 ——普通の5歳の子の識字率はかなり低いはずよ。


 しかも大人向けのロマンス小説が普通に読めるなんて知ったらセイリル先生は卒倒してしまうに違いない。


「さすがは、王国の中枢と呼ばれるブルセージ・アルストール公爵の御息女様ですね。大変驚きましたわ」


 セイリル先生はお父さまからこっそり教わっていたんだろうと思うことにしたらしい。


 現実逃避は大事よ。前世で身に染みているからね。


「では、算術のお勉強をしましょう」


 セイリル先生からもう一枚の紙を受け取った。


 ——算数ね。えーと、1+1=2と、2+4=6と……。


 わたしは紙を受け取るとすぐに問題を解いていく。

 

 ——小学1年生くらいの問題ね。って、たし算しかないのですけど……。


 セイリル先生が口を開けたまま呆然として立っている。


「セイリル先生、どうかいたしましたか?」

 

 わたしの声でセイリル先生は我に返ったようだ。


「申し訳ございません、メリアお嬢様。これから算術のご説明をしようとしましたら、いきなり解き始めていましたのでとても驚いてしまいました」


「ごめんなさい。わたくし算術は得意ですの。つい解いてしまいましたわ。おほほほ」


 ——しまったぁ、自重というものを覚えなければこの先大変ですわ。


「セイリル先生、わたくし同じくらいの歳の子とは交流がございませんの。ほかの子はどのような感じなのかしら?」


「メリアお嬢様ほどお行儀の良いお子様方はなかなかおりませんわ。お勉強を嫌がったり。逃げてしまわれたりと大変ですのよ」


 お子様といっても家庭教師が就くのは貴族の子供しかいない。


 これほどセイリル先生が驚くということは本当にわたしはレアな存在なんだろう。


「でも、困りましたわ。本日のお勉強はこれで終わりになってしまいます」


 セイリル先生は右手を頬に当てて悩み込んでいる。


 せっかく来ていただいたのに、ほとんど何もせずに帰ってもらうのは申し訳ない。


「セイリル先生、それでは残りのお時間はお茶会にしましょう」


 わたしはベルを鳴らして、使用人のセリアを呼んだ。


「メリアお嬢様、何か御用でしょうか」


「お勉強が早く終わりましたので、セイリル先生とお茶をしようと思いますの。用意してくださいますか」


「かしこまりました、メリアお嬢様。少々お待ちくださいませ」


 セリアはお茶の用意のため、わたしの部屋を出ていった。


「メリアお嬢様。機転の速さといい、貴族としての所作といい、とても感激いたしましたわ」


 ——あれ、セイリル先生がアイドルを見るようなファンの目をしている。


 どこでセイリル先生のスイッチを押してしまったのだろうか。

 

 トントン、とノックの音が聞こえた。お茶の用意ができたみたいだ。


「どうぞ」


「失礼いたします」


 セリアがお茶のセットを乗せたワゴンを引いて部屋に入ってきた。


 テーブルに手際よくティーセットとお菓子を置いていく。


 セリアの動きにわたしは見惚れてしまう。


「お茶のご用意ができました。どうぞお召し上がりくださいませ。私はこれにて失礼いたします」


 セリアは仕事を終えるとすぅっと下がっていった。


「セイリル先生、それではお茶にしましょう」


「ありがとうございます。それではいただきますね」


 わたしは、セイリル先生がお茶を飲む様子を自然な感じで見つめる。


 ——セイリル先生の所作は綺麗だわ。


 わたしはまだまだ5歳にしてみれば素晴らしいというレベルでしょう。


「セイリル先生、次は少し難しめなものをお願いしたいのですけど大丈夫でしょうか」


「ええ、もちろんですとも。いくつか参考になるものをお持ちいたしますね」

 

 もっとお茶を楽しんでいたかったのだけど、セイリル先生との時間もあっという間に来てしまった。


「それでは、お時間ですのでこれで失礼いたしますね。今日は何もできず申し訳ございません」


「いいえ、セイリル先生からいろいろと学ばせていただけました。今後ともよろしくお願いします」


 わたしはお嬢様らしく挨拶をして、セイリル先生を見送った。


 ——こちらの世界の水準が全くわかりませんわ。どうしましょう……。

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