ファントム ~最後の魔球

八田文蔵

第1話 悪魔のような男

「魔球?!」


 神尾涼子かみお・りょうこ瀬能せのうデスクに振り返ると露骨に顔をしかめてみせた。


「それってデマというか都市伝説ですよね。デスクまでそんな与太話信じているんですか?」


「それをおまえさんに確かめてほしいんだよ」


 瀬能がペンを突きつけていう。千葉マリナーズの投手・高鳥文吾たかとり・ぶんごが投げる超山なりのスローカーブ、通称フジヤマカーブはバッターのバットをすり抜ける魔球だという噂がファンの間で囁かれている。


 ここ東亜スポーツの編集部では球団を通して高鳥投手の直接取材を申し込んでおり、先ほどやっとのことで取材許可が下りたのだ。


「確か高鳥さんて”笑わない男”として有名ですよね」


 質問をしても、木で鼻を括ったような答えしか返ってこないインタビュアー泣かせの投手として有名である。試合中でも試合後でも表情は変わらない。ついた仇名は『鉄仮面』。


「おまえは一応オンナだから、その辺うまくやれば固い扉も開くんじゃないかと思うんだ」


「一応、は余計ですよ」


 セクハラ発言ととれなくもないが、いまはそんなことは重要ではない。フジヤマカーブの秘密とやらを探りだせれば、スポーツ記者として飛躍できることは確かだ。


「わかりました。やってみます」 


 涼子はその足で羽田に向かい、札幌に飛んだ。明日、札幌ドームで北海ファイヤーズVS千葉マリナーズの試合がある。マリナーズの選手たちはすでにホテルへ先乗りしていることだろう。



 4月の札幌はまだ寒い。市街にもまだ雪が積もっている。滑って転ばないようにペンギン歩きを心掛ける。

 新千歳空港から路線バスを使ってドーム前のホテルへ。

 高鳥投手の部屋は404号室だ。

 涼子はいったん女子トイレに入ると化粧を直した。

 レディススーツでびしっと決めている涼子だが、ブラウスの胸のボタンを上から2番目まではずしてみる。

 ボリュームはないのでグラビアモデルのような谷間はみせることはできないが、”笑わない男”の苦笑ぐらいは誘えるかもしれない。


「高鳥文吾32歳。右投右打。身長180センチ。体重74キロ。北海道生まれの山形育ち……えーと、それから……」


 涼子は旅客機のなかで覚えた高鳥投手の略歴を反芻する。東亜スポーツに配属されて今年で2年目。早くも頭角を現すチャンスが巡ってきた。この取材をしくじるわけにはいかない。


「よしっ、カンペキ!」


 涼子はおのれの尻をたたいた。いざ出陣。



 コンコン。404号室のドアをノックする。


「どうぞ」


 なかから声が返ってきた。案外やさしげな声だ。

 ドアを開ける。

 照明を絞ってあるのか部屋の中は薄暗い。


「遅くなって申し訳ありません」


 時計をみれば午後10時を過ぎている。強風で便に遅れが出たためであり、涼子のせいではないが、頭をさげてみせる。機嫌を損じるわけにはいかない。


「…で、なにが聞きたい?」


 暗い窓を背にして高鳥らしき人物が椅子に座っている。本当にこの男が高鳥なのだろうか?


「その前に明かりをつけてもいいですか?」


 涼子は不安になって照明のスイッチを探した。

 

「だめだ。嫌ならいますぐ出ていけ」


「…………」


 本当に出ていきたい気分になった。目の前の人物は明らかに女として涼子を見て品定めをしている。


「どうした。出ていかないのか?」


 高鳥が椅子から立ちあがった。


「な…なにをっ?!」







 嵐がきた。



「いやっ!」


 ガタン。




「やめて!」


 ばさっ。



 ざっ……


 ざざっ。



 びりっ!



「あうっ」


ぐい。




「あ………」



 ず……



 ずん。


 ずずず……。




「あああ……」


 ちゃっ。


 ちゃ……ぬちゃ。


 ちゃ……

 ちゃ……


 ぐ……

 ぐ……


 ぐぐぐ……っ!


「そ…そんな……!」


 ギシッ……


 ギシギシ……。



「あ……はうっ!」


 ギシギシギシ……!


「ああーーッッッ!!」



 たくましい鋼のような体に抱かれながら涼子は薄闇に浮かぶ高鳥の顔をみた。

 それはまるで悪魔のような顔であった。




   第2話につづく




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