アヤカとハル

ユウヤミ

Side:ハル

「ハル、私また振られちゃった…」

 玄関を開けるなり、目を赤くしたアヤカが飛びついてきた。

「浮気されてたの。私は重いし、面倒なんだって…言われて…」

 そこまで喋って、アヤカの目からボロボロと涙が零れた。しょっぱい水の粒が、私の頬や額に落ちてくる。


―あら、また変な男に引っかかっちゃったの?アヤカは本当に見る目がないんだから。


「なんで私って、いつもこうなっちゃうんだろう。いろんなこと、一生懸命やってるつもりなのに全然上手くいかないの。今回だって、彼のためにと思って頑張ってたんだけど、それがいけなかったのかな? それが重かったのかな? もう、本当にどうしたらよかったんだろう…わかんないよ…」


―そんなに頑張らなくてもいいんじゃない? アヤカは真面目で頑張りすぎてしまうところがあるから、ちょっとくらい気を抜くくらいがちょうどいいよ。男って、なんでもできちゃう女の子より、なんにもできない女の子が好きだったりするじゃない。アヤカはじゅうぶん頑張ってるよ、何も悪いことなんかない。


 アヤカの嗚咽が聞こえる。


 ―ほら、そんなに泣いて、もうメイクがぐちゃぐちゃ。目の周りが真っ黒になっちゃってるよ。お肌に悪いから早く顔を洗って、ゆっくりお風呂に浸かってきたら。


 アヤカは私に抱きついたまま、しばらく泣き続けた。


「ハル、ありがとう。いつもそばにいてくれて。ハルが居なかったら、私とっくにダメになってたと思う」


 たくさん泣いて少し落ち着いたようだ。私のことを一度ぎゅっと強く抱きしめて、アヤカはクローゼットへ向かった。替えの下着と部屋着を持って帰ってくる。


「じゃあ、お風呂入ってくるね。今日はシャワーで済ませちゃうからすぐに戻る、待っててねハル」


 ―もちろん、待っていますとも。いってらっしゃい。


 アヤカを待っている間、特にすることもなかったので、テーブルの上に広げられたままの雑誌のページをぼうっと眺めていた。

 日本各地の様々な温泉宿が特集されており、展望が素晴らしい露天風呂に美味しそうなお料理、室内プールやドッグラン、ゴルフ場などのある宿泊施設が綺麗な写真付きで紹介されている。


 ―いいなあ、温泉。こういう所にアヤカと一緒に行ってみたい。アヤカも少し休んで、癒されないとね。


 アヤカはここしばらく、落ち込む出来事が続いている。半年前、ちょっといいなと思っていた人と付き合うことになったと嬉しそうにしていのに、ひと月ともたず破局した。原因は相手の浮気、というか二股をかけられており、どうやらアヤカは本命ではなかったようだ。


 四ヶ月前、合コンで出会った人といい感じなんだとニコニコしており、毎日のようにその人についてあれやこれやと話をしていたのに、二週間後には一切話題にしなくなった。アヤカの様子から察するに、連絡手段をブロックされてしまったようだ。


 そして一か月半前、また好きな人ができたと新しい男の話をするようになり、その数日後には付き合うことになったのだと報告してきた。

「ハル聞いて! 今度の人は今までと違うの! この人となら上手くいくって分かるの。もしも結婚てことになったら、ハルも喜んでくれるよね!」

アヤカは本当に幸せそうな様子だったので、私も今度こそは上手くいきますようにと願ったのだが、その矢先の今日である。


 アヤカは本当に男を見る目がないとつくづく思う。

 恋愛体質で、常に好きな人を作りドキドキしていないと落ち着かない、人生を無駄にしているような気がしてしまうのだと、いつだったかアヤカが私に話してくれた。

 合コンや飲み会には積極的に参加し、街中で好みの見た目の男にナンパされるとホイホイついて行ってしまうものだから、私からしてみれば心配でたまらない。


 沢山の男を好きになり、付き合い、その度に泣かされてきたはずなのに、また同じようなダメ男を好きになり泣く。

 そしてその度、アヤカは「ハル、聞いてよ」と私を抱きしめる。


 ―またなの、アヤカ。いつも泣いてばかり。そろそろ男を見る目を養わないとダメよ…。


 傷心し、落ち込み泣いているアヤカに寄り添い、慰め、時には諭す。

 優しい言葉をかけることもあれば説教じみたことを言ってしまうこともあるが、その言葉のほとんどはきっとアヤカには届いていないだろう。

 でもそれでいいのだ。アヤカは私を抱きしめ、一人で抱えきれない辛さや悲しみを吐露することで心をリセットし、闇を払拭し、自分を立て直しているのだから、そこに私の言葉などなくてもいい。

 ただ抱きしめられることが、私の役目なのだ。


 ガチャ、と脱衣所のドアが開く音がして、アヤカが濡れた髪をタオルで拭きながら戻ってきた。


「ハルただいまー。あ、温泉特集見てたの?いいよねー、ハルと一緒にそのうち行きたいな。こことかよさそうじゃない?」


 雑誌を覗き込みながら私の頭を撫でる。


 ―そうだね、私も一緒に行きたいなと思ってた。

 アヤカ、風邪ひいちゃうから早く髪を乾かしてきたら?


「よし、だいぶスッキリしたしちょっとやるか。」


 アヤカはタオルを肩にかけたままテーブルの前に座り、私を膝の上に乗せた。

 雑誌を隅に寄せてノートパソコンを開く。


 ―仕事するの?今日はいいんじゃない?明日も早いんだし寝る準備をしたら?


「大事な企画会議が近いからね、そろそろ資料もまとめておかないと…。」


 パチパチとキーボードを叩く音がワンルームの部屋に響く。


 アヤカは新卒でメーカー企業に就職した。

 テレビを見ているとたまにCMを見かけるので、それなりに大きな会社なのだろう。

 リクルートスーツを着て就職活動をしていたアヤカを思い出す。

 合否を知らせるメールに一喜一憂し、第一志望であった今の会社から最終選考結果を知らせる電話がかかってきたときには、

「あああ!!!どうしようかかってきちゃた!怖い!無理!ハル代わりに出て!!」と大騒ぎして大変だったのに、それが五年も経つとこなれたオフィスカジュアルを身にまとって立派な社会人として働いているのだから驚歎する。


 何に対しても真面目に向き合い頑張るアヤカは仕事に対してもそうなのだろう、今ではそれなりに大きな企画にも関わることが増えたようで、家でも仕事をすることが多くなった。


 適当なことはしたくない、その時の自分のベストを尽くしたい、とアヤカは昔からよく言っている。

 しかし皮肉なことに、恋愛においては頑張りすぎてしまうことが裏目に出てしまうのだろう、「重い、面倒、母親と付き合っている気分になる」などと言われて別れを告げられることが多い。


 上手くいかなくて落ち込むことも多いが、それでも腐らず何事にも一生懸命で真っ直ぐなアヤカが私は本当に大好きなのだ。


「よし、これくらいでいいかな。はー、髪乾かしてもう寝よ。」


 一時間ほど仕事をし、アヤカはノートパソコンをパタンと閉じて脱衣所へ向かう。

 ドアの向こうからブォーとドライヤーの温かい音が聞こえてきた。


「ハル、今日は一緒に寝ようか。おいで。」


 髪を乾かし終えたハルは部屋に戻ってきてそう言うと、私に向かって大きく両手を広げた。


 ―うん!


 アヤカの胸に飛び込み、そのまま一緒にベッドに倒れた。


「あーあ、私ハルと結婚したい!私の失恋話や仕事の愚痴を嫌な顔せず聞いてくれて、いつも私の味方で、いつも一緒にいてくれて、優しくて可愛くてもう最高の恋人だよー!あ、でもハルは女の子か。」


 ―そうだね、私もアヤカと結婚したい。もしも私が人間の男の子だったなら、絶対アヤカを幸せにしてあげるのに。

 何があっても味方でいるし、どんなときも、どんなアヤカでもいつも大好きでいる。宝物のように大事にして、毎日抱きしめて眠りにつき、朝は必ず隣で目を覚ます。いろんな所に一緒に行って、温泉なんかも一緒に入って、アヤカに似合う素敵な服を選んであげたりしてみたい。

 そして二人で一緒に年をとって、いつか同じ場所で永い眠りにつきたい。


 そう伝えたいのに、言葉が喋れないのがもどかしい。


 アヤカは枕元のリモコンで部屋の電気を消し、私を抱きしめた。


「おやすみ、ハル。…ハル、私がおばあちゃんになって死んじゃうまで一緒にいてね…。」


 ―私もそうしたい。でも、それはきっと無理なんだ。ごめんねアヤカ。


 私の時間は、アヤカより何倍も早く進んでしまうから、ずっと一緒にはいられない。

 それはとてもとても悲しいけれど仕方がない。

 私がいなくなってしまった後、アヤカが一人で頑張らないように、寂しくなってしまわないように、支えてくれる人が早く現れますように。

 それまでは、私がアヤカの傍にいる。


 アヤカの寝息が聞こえてきた。小さな息が耳にあたって少しくすぐったい。


 アヤカの温もりを全身に感じながら、眠りについた。

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