第2話 御前会議

 ドーナツ状の陸地を持つ円環大陸ヘクサグラードはその外側だけでなく内側にも海があり、それぞれを“外海そとうみ”、“内海うちうみ”と呼んでいる。

 内海うちうみの中心には魔族の大地、魔王領が存在しているため魔族の勢力が強く漁にも輸送にも適さない。

 魔王領は全周囲を断崖絶壁に囲まれており侵入は極めて困難、ただ一点第四王国フュンファーの真向かいにのみ港が作られているが、そことて倉庫はおろか町や住居の類いすら見当たらない。


 魔王領唯一の港は本拠地たる魔王城に、ただそこだけに直結しているのだ。




 その部屋は入り口から向かいの窓際へ向けて三つの段に分かれていた。

 最上段の窓際には豪奢な二脚のソファとティーテーブル、その片方には臙脂色の礼服に身を包んだ長身の男が腰掛け、のんびりとワイングラスを傾けている。

 男は物憂げな、けれども楽しげな表情を浮かべて中段にいる四人を見下ろした。


「いやはや四天王ですら誰ひとり敵わないとは。まさに勇者恐るべし、と言ったところかな」


 二人掛けのソファに腰掛けていた青い外骨格を纏う巨漢がそのまま深々と頭を下げる。


「全ては我が身の不甲斐なさゆえ。いかなる処分であろうとも謹んでお受けする所存」


 巨漢の生真面目な声に男は鷹揚に頷く。


「では四天王筆頭ロブストハイト、勇者に敗北し第四王国フュンファーを奪われた件について処分を言い渡す。よく反省して引き続き粉骨砕身責務を果たせ。以上だ」


 あまりにもぞんざいな処分に巨漢は呆気に取られ、顔を伏せたまま険しい表情を浮かべる。


「なんと……そのようなわけには参りません。下の者にも示しがつきませぬ」


「勇者に挑んで破れた者をいちいち罰していては誰も後には続くまいよ」


「ま、魔王軍にそのような腰抜けは……」


 食い下がるロブストハイトを片手で制し、男は薄笑いを浮かべて目を細めた。


「お前はいかなる処分であろうとも、と言っただろう。前言を違えてまで私の決定に逆らうというのかね?」


「ぬう……」


 数秒の沈黙。ロブストハイトは葛藤を済ませて頭を上げた。


「承知しました。今まで以上の献身を持ってお仕え致します」


「よろしい」


 やり取りを終えて部屋の空気が僅かに軽くなった。今までも男が誰かを罰することはあまり無かったが、それでもこの瞬間に緊張が無いわけではない。なんと言っても相手はこの城の頂点、魔王なのだから。


「さて……ガナードルフ、率直な意見を聞きたいのだが」


「あ、はい。なんでしょう」


 不健康に白い肌の猫背で眼鏡の闇エルフの青年、ガナードルフがティーカップを両手で抱えるように持ちながら視線を向ける。


「私が勇者と戦ったとしたら勝てると思うかね?」


「それ部下に聞いちゃいます?」


 魔王は引きつり気味の笑みを浮かべたガナードルフにもやはり鷹揚に頷く。


「私はお前の見識と智恵、そして判断力を高く評価している。幸いこの場には私と四天王のみだ、手放しの賞賛など必要ない。私が求めるままに言いたまえ」


「そこまで言われるのでしたら……」


 彼は少しのあいだ言葉を選ぶ。


「厳しい……でしょうね。おそらく負けると思います」


「ほう」


「異世界転移者、勇者が持つ勇者専用技能チートスキル絶対不屈インドミタブル”は恐ろしく地味ですが厄介な能力です」


「おおよそ無限の持久力と高い回復力、だったか」


「はい。いくら戦おうと疲れ知らずで僅かなダメージは味方の回復を待つまでもなく受けた先から自然治癒。その上、彼は今までどのような大技を直撃させても一撃で倒れたことがありません」


「それほどかね」


「ロブストハイトの竜をも屠る必殺の一撃を三発受けて立ち上がってくるとか、あんなのもう人間じゃありませんよ。さすが人界じんかいの切り札“勇者顕造ビルドブレイバー”と言ったところですかね」


「ふむ……」


 勇者そのものを召喚するのではなく、召喚された存在がこの世界に再構成されるときに六王家が魔力を注ぎ込み問答無用で勇者に相応しい性能を付与する最終決戦魔術、“勇者顕造ビルドブレイバー”。魔王は勇者を人界じんかいの被害者だと思っていたが、本人は存外乗り気らしいので人間とはよくわからない。


「ともあれ勝ち目は薄いと」


 自嘲気味に笑みを浮かべる魔王だが、実は四天王たちの胸中にはひとつの策があった。

 勇者たちが数に頼んでいるのだからこちらも団結して戦えばよい。魔王の下、四天王が力を合わせてひとつの戦場で勇者一行を屠るのだ。これならいくら常軌を逸した耐久力を誇る勇者であろうともその猛攻には耐えられまい。

 しかし……こんな策とも呼べないようなものを誰が魔王に進言出来るというのか。それを部下から進言するのは彼の自尊心を酷く傷つけると誰もが思っている。それこそ首が飛んでもおかしくない。


 一方、当の魔王は既に別の結論を導き出していた。


「よし」


 彼はワイングラスを手にしたままゆっくりと立ち上がり四人を見下ろす。


「彼がこの城に来ると言うのであれば、私はこの城から逃げるとしよう」


 その朗らかな笑顔で放たれた言葉に四天王は全員目を剥いて顎が外れそうなくらいあんぐりと口を開いて絶句していた。

 魔王は笑みを深めて立ち上がる。


「フェミニエルとヴァナヴェルヴィは私の供をせよ。ロブスハイトとガナードルフには留守を任せる」


「いやいや留守を任せるって言われましても……もうじき勇者が来るんですけど?」


 引き攣った笑みで狼狽えるガナードルフに対して魔王はにべもない。


「知らん仲でもないだろう、彼にはお前から適当に言っておいてくれ。まあ概ね事実を伝えて構わんがね。魔王は勇者に勝てそうにないので供を連れて円環大陸の何処かへ逃げた、と」


「適当ってそんな」


 供に指名された灼光する炎霊ヴァナヴェルヴィはソファを蹴飛ばすように立ち上がって吠える。


「マァッジで言ってんのか魔王様よお! 魔族の長が勇者相手に城捨てて尻尾巻いて逃げんのか!?」


「そうだとも。わかったら旅行の支度を始めたまえ。あまり猶予は無いよ?」


「そうだともじゃ! ねえだろ!」


 いくら怒鳴り散らしたところで魔王は取り合う様子もない。残った短髪の淫魔フェミニエルはロブストハイトと顔を見合わせて諦めたように溜息を吐く。


「仕方がありませんね。言い出したら聞かない御方でございますから……」


「そうだな。我はお言いつけに従いガナードルフと城に残る。魔王様のことは頼むぞ」


「ええ、こちらのことはお任せを。とりあえずはヴァナちゃんに可愛いお服を見繕いましょう」


「お、おう」


 ロブストハイトはにこにこと返すフェミニエルの言葉に一抹の不安を覚えながらも、気持ちを切り替えて今後の方針を検討し始めるのだった。




 こうして魔王は四天王のうちふたりを従えて旅立ち、数日後入れ違いで魔王城を訪れた勇者はガナードルフから魔王が円環大陸へ渡ったと聞かされて大慌てで後を追うハメになるのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る