第39話 隠せよ常に

 週末の金曜日、ミエルと高英夫こうひでおは指定時刻よりも少しばかり早めの午後五時半過ぎにダイモンエステートビルのエントランス前に立っていた。毎週のステージに備えて設営機材一式は楽屋代わりに用意された部屋に置いてある。二人は身体からだひとつの軽装でやって来た。高英夫はいつものごとくレザーのパンツに革ジャン、ミエルは白いブラウスに渋い臙脂色のジャンパスカート、それに今夜の衣装一式を詰め込んだ小さなリュックという出で立ちだった。

 その日、高英夫こうひでおのスマートフォンに相手先不明の着信があったのが午後一時、彼が不信に思いつつもその電話に出てみると相手はまさかの大門だいもん啓介けいすけその人だった。

 あり得ない。ヤツほどの男ならば部下なり秘書なりが、いや裏稼業絡みならばそっち方面の番頭格である高峰たかみね勇次ゆうじがかけてくるはずだ。なのになぜ……?


こう先生とお呼びしてよろしいかな?」


 そう問いかけてくるも大門啓介は高英夫こうひでおの返事を待たずに淡々と話を続けた。


「早速ですが今日はいつもより早めに、そうですねぇ、夕方の六時には楽屋入りして欲しいのですが」

「はぁ、まあ、それは構いませんが、もし差し支えなければ理由をお聞かせ願えますかね」

「これは失礼しました。実はあなた方のショーがなかなかの評判でして、それならば当施設のプロモーション撮影に参加をしていただこうという話になったのです。もちろんそのためのギャラも別途お支払いします」

「なるほど、了解しました。ギャラを頂けるならばいつでもどこでもが俺たちのモットーなので協力は惜しみませんよ」

「さすが話が早い。それではあのバニー君ともどもよろしくお願いしましたよ」

「ところで大門会長……」


 高英夫こうひでおが会長自ら直々に電話してきた理由を尋ねようとしたが、大門啓介との通話は一方的に切れてしまった。


「クソッ、慇懃無礼を絵に描いたような野郎だぜ」


 そういって既にロック画面になったスマートフォンに向かって舌打ちすると彼はすぐさまママとミエル、それに晶子へも今の話をメールで送信したのだった。



 二人がダイモンエステートビルに到着したときエントランスの前では男装してハンチング帽を目深に被った晶子がガードレールに腰を預けるようにして彼らを待ち構えていた。


「おはようございます」


 すっかりこの稼業にも慣れた晶子が業界ならではの挨拶で迎える。それに応えるミエルと高英夫こうひでお、彼らを前にして彼女はママからの伝言を手短に伝えた。


「大門が再開発プロジェクトから外されたことで依頼は達成できたのだからこれ以上の無理はしないこと。判断はまかせるけれど万一のときは逃げることを優先しなさい。これがママからの言伝ことづてです」


 そして小さく一息つくとミエルを指さしながらいつもの調子で付け加えた。


「特にミエル、あんたは抜けてるところがあるし、とにかく気をつけてよね。くれぐれもこう先生の足を引っ張らないように!」

「わ、わかってるよ。これでもボクはもう何度もステージをこなしてるんだ」

「そんなこと言ってるんじゃないの。前だってパスワードを間違えて覚えたり、とにかく心配なんだから!」


 そんな二人の様子を前にして高英夫こうひでおが話の流れを戻そうと割って入る。


「心配するなって、少年は少年で頑張ってるぜ。それよりショーコちゃん、そのファブレットは今からオンにしておいてくれ。ミエル少年、君はカメラを仕込んだチョーカーを今から着けておいてくれ」


 ミエルはすぐにリュックの中を漁って白い襟と黒の蝶ネクタイがあしらわれたカメラ付きのチョーカーを取り出してそれを首に着ける。するとファブレットにはミエルのカメラを通した映像が映し出された。


「ショーコちゃん、受信はできてるな? よし、今日は今から撮っておくんだ」

「なるほど、カジノフロアまでのルートを撮っておこうって作戦ですね」

「正解! もしかするとこれが俺たちの命綱になるかも知れねぇからな、備えよ常に、ってことさ」

「それじゃあショーコちゃん、援護は頼んだぜ」


 晶子は高英夫こうひでおの目を見て小さく頷くと続いてミエルに目を向ける。二人は一瞬ではあるが力強く見つめあうとそれぞれの持ち場へと別れていった。



 ミエルと高英夫こうひでおはエントランスではなくビルの裏手にあるホワイトグレーに塗装された鉄扉を目指した。数メートル以上離れた通りの歩道では晶子がこちらを見守っている。高英夫は「よし、行くぞ」と言わんばかりに小さく頷くとドアノブに手をかけた。

 扉を開けたそこは薄暗い階段室、地下に下りればビルの管理室があるが二人は迷うことなく上階へと階段を上がって行った。

 しかしなぜ階段なのだろう、エントランスには二基のエレベーターがあるではないか。そんな釈然としない気持ちでファブレットを見つめる晶子のイヤホンからミエルの声が聞こえてきた。階段を上がりながらミエルは両腕のカフスも着けて音声を拾う準備もしていたのだった。


「晶子、聞こえる? マイクのテスト代わりにこのビルについて説明するよ。表にエレベーターがあったでしょ、あれはこのビルのテナント向けなんだ。それでカジノへは直通の隠しエレベーターがあってね、要するに完全に秘匿されてるってわけ」


 双方向通信ではない隠しマイクからはミエルの声だけが一方的に送り続けられている。


「実は表のエレベーターでも八階のオフィスを経由してカジノに行くことはできるんだ、隠し階段を使うけどね。でもボクらがそれを使うことは許されてなくてね、だから階段で上がらなきゃなんだ」


 九階まで階段とは。事務所や自宅も階段だかそれはせいぜい五階まで、それが九階までなんて。晶子は自分がそれを駆け上がるような事態にだけはなって欲しくないと心底願うのだった。隠しマイクを通したミエルの声がまだまだ続く。


「へへ、おかげでいい運動だよ」


 ミエルは軽い口調でそう言ったが少しばかり息切れしていることは否めなかった。


 ファブレットの映像に変化が見えた。ようやっと長い階段を終えて九階に着いたようだ。しかしそこはカジノの華やかさとはまるで無縁の無機質なドアが並ぶ殺風景な光景だった。あれは代議士の山鯨氏が現れた日のことだった、ホストらしき遺体がロッカーに隠されていたあの事件の舞台がまさにここだった。

 並ぶドアには目もくれず件の遺体があった部屋を通り過ぎた先のドアを開けたそこがミエルたちの控室だった。

 高英夫こうひでおが腕時計で時刻を確認する。


「よし、ちょっと早いけどいい頃合いだ。ミエル少年、疲れてるところすまないがさっそく衣装に着替えてくれ」


 画面にはリュックを開けてがさごそと中身を探る様子が映る。黒いバニーの衣装に兎耳のカチューシャ、それに網タイツと男子であることをカムフラージュするためのシリコンパッド、下着を脱いですっかり露わとなった肢体にそれらをテキパキと身に着けていく。


「いくら仕事だからってあいつ、カメラつけっ放しだし。あたしが見てるってのに何を考えてるかなぁ……マジで馬鹿ミエル!」


 晶子は金曜日の夜を楽しまんと道行く人々に覗かれることがないようミエルに代わって手元の画面を片手で隠すのだった、真っ赤になったその顔を隠すようにハンチング帽をより一層目深にしながら。


「高先生は備えよ常にって言ってたけど、ミエル、あんたは隠せよ常に、だし!」

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