第28話 彼を裸の王様に
新宿の喧騒から離れたバブルの塔、屹立するタワーマンションのエントランスはその名の通り大理石と真鍮で飾られていた。鏡面仕上げのフレームが煌びやかなオートロックのドアは人が近づくとセンサーが反応してガラスを白濁させて目隠しとなる。まるで来るものを拒むように威圧するその空間に
時刻は午前四時、彼は眼の前のテンキーに最上階唯一の部屋番号を押してみるもスピーカーからは何も返って来ることはなかった。彼は諦めたように肩を落とすと小さなデータカードが入った茶封筒を用意されたレターボックスに差し入れた。
カードにはミエルが盗聴した音声データが記録されている。それはママからアクセスを許されているサーバーからダウンロードしたものだ。
「俺ごとき三下は相手にしないってか」
男の名は
テーブルを挟んだ彼の向かいに座るのは身の丈二メートルはある巨漢、薄暗い部屋に真紅の能面、それに黒いスタンドカラーのスーツという出で立ちが、まるでそこに顔だけが浮かんでいるように見せている。そしてその彼こそが連盟の会頭を名乗る男だった。幹部たちの前においても決して
バックにまとめたゆるいくせっ毛を片手でかき上げながら伊集院氏は目の前に置かれた二片の小さなデータカードを憮然とした顔で見下ろしていた。なぜここにまったく同じ内容のデータガードが複数存在しているのか。その答えはただひとつ、新宿のママを名乗るあの女性が伊集院グループと連盟の双方に情報を流しているのだ。
それにしても解せないことがある。
「大門氏はあの若さでよくやっています、しかしいささか性急かつ強引過ぎるきらいがあります。果たして彼は天下国家を語れるに値する人物なのか。そこで我が社は彼の出自と背景を探らせていたのです」
「なるほど、それで新宿のママなる女性に調査を依頼したわけですな。餅は餅屋と言うようにアンダーグラウンドのことはその道に長けた下請けを使う。もしも粗相があったならば我々連盟を焚きつけて自分の手を汚すことなく不安要素を排除するわけですな。まさに大企業のお偉いさんが考えそうなことだ」
伊集院氏の顔に緊張が走る。するとその様子を察した会頭が氏をなだめるように片手を上げて続けた。
「伊集院会長、そう身構えずに。大門君については我々も貴方と同じ考えなのです。今の彼は野心に溢れている。しかし出過ぎた杭は打っておかねばなりません。それは組織を維持していくためには必要なことなのです」
「彼は今、再開発に乗じて自社ビル建設のみならずカジノ誘致まで画策しています。確かに彼は少しばかりやり過ぎました。ましてや
「ご事情は理解しました。早速こちらも動くことにしましょう。ただし排除されるべきは大門君ただひとり、彼が残したシノギはそのままに」
排除とはすなわち彼を抹殺するということ、しかしその言葉はまさにバッドワードだ。続く会頭の言葉を聞いた伊集院氏に再び緊張が走る。
「伊集院会長、ご心配は要りません、我々も心得ています。まずは彼を孤立させることから始めます。会長には山鯨氏の処遇をお願いすることにしましょう。もちろん大門君は我らなりのやり方で対処しますので」
彼らのやり方……それこそ……いやいや、それを考えてはいけない。伊集院氏は黙って会頭から出る次の言葉を待った。
「まずは彼の腹心、高峰という男を懐柔します。彼もまた
「切り離す?」
「ええ、既にこちらの手の者は送り込んでいます。彼女はよくやってくれてますよ」
「ハニートラップですか……」
「ハハハ、古典的な手法ですが案外効果的なのですよ。特に高峰のような過剰なまでにストレスを抱えた人間に対してはね」
「なるほど、蛇の道は蛇、そちらについてはおまかせします。山鯨については私共におまかせください。新宿のママなる女狐から今後も提供されるデータとマスコミの助けを借りて、まずは山鯨の外堀を埋めるところから始めましょう」
会頭はその言葉に頷くと伊集院氏に顔を寄せて囁く。能面の中からくぐもった声が聞こえた。
「そしてダイモングループを手中に収めた暁には」
「承知しております、連盟につながりのある者を傀儡に立ててシノギはこれまで通りに」
今ここで大企業と半グレ集団との間で利害が一致した。しかし両者は握手することなく別れの言葉を交わした。
「彼を裸の王様に、ですな、会頭」
「そうですな、伊集院会長」
部屋を後にした伊集院氏と入れ替わりで円卓に座る巨漢の傍らに立つのは連盟の雑務を担当する彼の秘書なる男だった。会頭は男に振り返ることなく事務的に命令する。
「
秘書は会頭の続く言葉を黙って待つ。
「必要ならば衣装から何から用意してやっても構わん、必要経費だ。どうせ捨て駒だからな」
その言葉を聞いた秘書は今一度姿勢を正して小さく一礼すると、すぐに会頭の前から姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます