第28話 彼を裸の王様に

 新宿の喧騒から離れたバブルの塔、屹立するタワーマンションのエントランスはその名の通り大理石と真鍮で飾られていた。鏡面仕上げのフレームが煌びやかなオートロックのドアは人が近づくとセンサーが反応してガラスを白濁させて目隠しとなる。まるで来るものを拒むように威圧するその空間に高英夫こうひでおは立っていた。

 時刻は午前四時、彼は眼の前のテンキーに最上階唯一の部屋番号を押してみるもスピーカーからは何も返って来ることはなかった。彼は諦めたように肩を落とすと小さなデータカードが入った茶封筒を用意されたレターボックスに差し入れた。

 カードにはミエルが盗聴した音声データが記録されている。それはママからアクセスを許されているサーバーからダウンロードしたものだ。高英夫こうひでおはそこに記録された山鯨やまくじら代議士の存在を一刻も早く伝えたかった。連盟などと言っても所詮はアウトローの集団、一方ダイモングループの背後にいるのは政治家、それも政権与党の海千山千だ。そんな連中を相手に連盟はこれ以上の深追いをすべきではない。彼は能面の男、連盟会頭にそう進言するつもりだった。が、しかし扉は閉ざされたままだった。


「俺ごとき三下は相手にしないってか」


 高英夫こうひでおは踵を返してエントランスを後にする。静まり返った空間に自動ドアの閉じる音がやけに大きく響いた。



 高英夫こうひでおがバブルの塔にデータカードを投函した翌日の深夜、その最上階、会議室を兼ねた広間の円卓に男はいた。革張りのチェアに余裕のていで座る彼はここが新宿を根城にするアウトロー連中を束ねる「連盟」なる集団の牙城であることを知った上でのその態度だった。

 男の名は伊集院祥一いじゅういんしょういち、大手ゼネコンを中心とした企業集団である伊集院グループの会長である。彼はある男と会うために付き人もボディーガードも車に待たせて単身ここに乗り込んできたのだった。

 テーブルを挟んだ彼の向かいに座るのは身の丈二メートルはある巨漢、薄暗い部屋に真紅の能面、それに黒いスタンドカラーのスーツという出で立ちが、まるでそこに顔だけが浮かんでいるように見せている。そしてその彼こそが連盟の会頭を名乗る男だった。幹部たちの前においても決してすだれの向こうから出て来ることはない男であるが、この日は伊集院氏に敬意を表して席を同じくしているのだった。


 バックにまとめたゆるいくせっ毛を片手でかき上げながら伊集院氏は目の前に置かれた二片の小さなデータカードを憮然とした顔で見下ろしていた。なぜここにまったく同じ内容のデータガードが複数存在しているのか。その答えはただひとつ、新宿のママを名乗るあの女性が伊集院グループと連盟の双方に情報を流しているのだ。

 それにしても解せないことがある。大門啓介だいもんけいすけは今でこそ実業家を標榜しているが今も連盟傘下、それも稼ぎ頭ではないか。なのになぜ連盟の会頭までもが大門啓介の醜聞スキャンダルに興味を示しているのか。伊集院氏は慎重に言葉を選びながら能面の巨漢に探りを入れてみるのだった。


「大門氏はあの若さでよくやっています、しかしいささか性急かつ強引過ぎるきらいがあります。果たして彼は天下国家を語れるに値する人物なのか。そこで我が社は彼の出自と背景を探らせていたのです」

「なるほど、それで新宿のママなる女性に調査を依頼したわけですな。餅は餅屋と言うようにアンダーグラウンドのことはその道に長けた下請けを使う。もしも粗相があったならば我々連盟を焚きつけて自分の手を汚すことなく不安要素を排除するわけですな。まさに大企業のお偉いさんが考えそうなことだ」


 伊集院氏の顔に緊張が走る。するとその様子を察した会頭が氏をなだめるように片手を上げて続けた。


「伊集院会長、そう身構えずに。大門君については我々も貴方と同じ考えなのです。今の彼は野心に溢れている。しかし出過ぎた杭は打っておかねばなりません。それは組織を維持していくためには必要なことなのです」

「彼は今、再開発に乗じて自社ビル建設のみならずカジノ誘致まで画策しています。確かに彼は少しばかりやり過ぎました。ましてやみ地……いや、引地ひきち地区を出自とする彼が主役となることはこの世界ではあり得ません、まさに分不相応というものです。ですから我が社もこのまま看過することはできなくなったのです」

「ご事情は理解しました。早速こちらも動くことにしましょう。ただし排除されるべきは大門君ただひとり、彼が残したシノギはそのままに」


 排除とはすなわち彼を抹殺するということ、しかしその言葉はまさにバッドワードだ。続く会頭の言葉を聞いた伊集院氏に再び緊張が走る。


「伊集院会長、ご心配は要りません、我々も心得ています。まずは彼を孤立させることから始めます。会長には山鯨氏の処遇をお願いすることにしましょう。もちろん大門君は我らなりのやり方で対処しますので」


 彼らのやり方……それこそ……いやいや、それを考えてはいけない。伊集院氏は黙って会頭から出る次の言葉を待った。


「まずは彼の腹心、高峰という男を懐柔します。彼もまた引地ひきちの出、大門君とは一心同体の関係です。その彼がダイモングループの汚れ仕事の一切を仕切ってきた、すなわち大門くんが畏れられて来たのはすべて高峰の功績だったのです。その高峰を大門君から切り離します」

「切り離す?」

「ええ、既にこちらの手の者は送り込んでいます。彼女はよくやってくれてますよ」

「ハニートラップですか……」

「ハハハ、古典的な手法ですが案外効果的なのですよ。特に高峰のような過剰なまでにストレスを抱えた人間に対してはね」

「なるほど、蛇の道は蛇、そちらについてはおまかせします。山鯨については私共におまかせください。新宿のママなる女狐から今後も提供されるデータとマスコミの助けを借りて、まずは山鯨の外堀を埋めるところから始めましょう」


 会頭はその言葉に頷くと伊集院氏に顔を寄せて囁く。能面の中からくぐもった声が聞こえた。


「そしてダイモングループを手中に収めた暁には」

「承知しております、連盟につながりのある者を傀儡に立ててシノギはこれまで通りに」


 今ここで大企業と半グレ集団との間で利害が一致した。しかし両者は握手することなく別れの言葉を交わした。


「彼を裸の王様に、ですな、会頭」

「そうですな、伊集院会長」



 部屋を後にした伊集院氏と入れ替わりで円卓に座る巨漢の傍らに立つのは連盟の雑務を担当する彼の秘書なる男だった。会頭は男に振り返ることなく事務的に命令する。


山鯨やまくじらが現れる頃合いを見計らって二人ほどダイモングループのカジノに送り込め。金に困ってそうな、しかし見栄えと身なりは小ぎれいな……そう、どこかのホスト崩れでも使えばいいだろう」


 秘書は会頭の続く言葉を黙って待つ。


「必要ならば衣装から何から用意してやっても構わん、必要経費だ。どうせ捨て駒だからな」


 その言葉を聞いた秘書は今一度姿勢を正して小さく一礼すると、すぐに会頭の前から姿を消した。

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