第8話 緊縛師、高英夫

「おはようございま――す!」


 元気な挨拶とともに店にやって来たのは学校を終えた小林こばやし大悟だいごからすっかり女の子になったミエルだった。今日のコーディネートはカーキー色のジャンパースカートにふんわりとしたブラウス、深夜の冷え込みを考えてサマーカーディガンを羽織ったその姿はどこから見ても女の子だった。


「ミエルちゃん、おはよう」

「あらっ、今日のコーデはフェミニンな感じ?」

「ほんと、そのままお店に出てもイケると思うわ」


 店の女の子たちが口々にミエルのスタイルを褒め称えてくれる。何しろ彼女らは皆ミエルの正体を知っているのだから。


 ここは歌舞伎町のとある雑居ビルで営業しているコスプレパブ、その名を「パラダイス」と言った。初代オーナーの時代、その店は「楽園」と名付けられたいわゆる大箱と呼ばれるグランドキャバレーだった。それが時代の流れとともにキャバクラ、そしてランジェリーパブと変遷を重ねながら名前も変わり、今ではコスプレパブとして営業しているのだった。しかしコスプレと言っても店の女の子たちの多くはランジェリーやライトなボンテージファッションがほとんどで、唯一のコスプレらしきスタイルはミエルの体操着姿くらいだった。

 ミエルは事件屋稼業の片棒を担ぎながら英国風パブでのメイドにこの店のコンパニオンと、二足ならぬ三足のワラジで働いていた。特にこの店は風俗営業店である、現役高校生のミエルが働いてよい場所ではない。しかしそこはママの一言、女の子としての振る舞いに磨きをかけろとの命令でサービスデーのみという条件で店に出ているのだった。

 もちろんこのことは所轄である東新宿署の相庵あいあん警部の耳にも届いていた。


「飲酒、喫煙はしないこと。あくまでもヘルプまで、指名は受けないこと。この条件を厳守するならば見逃してやる」


 そう言って警部もこのバイトについてはお目こぼしをしてくれているのだった。


 ミエルがコスチュームの体操着に着替えてフロアーにやって来たとき、中央のステージではリーゼントヘアに革ジャンを粋に着こなした青年が建設現場でよく目にする足場用の単管パイプを並べ始めていた。

 一本が数十センチメートルほどのパイプをジョイントで結合して二メートル近い横渡しに、それをクランプで縦軸に固定する。こうして見る見るうちに段違い平行棒にも似たやぐらが組み上がった。

 続いて組み上がった無骨な鉄パイプに赤い荒縄を絡めていく。ミエルはいつもの定位置であるヘルプが待機するカウンターの前に立って珍しそうにその様子を眺めていた。

 すると縦ロールの赤髪に白いランジェリーを着けたコンパニオンがミエルに寄り添うようにして言った。


「あら、ミエルちゃん興味津々ねぇ」

「あ、リリィ姉さん、おはようございます」


 リリィなる源氏名の彼女はこの店ナンバースリーの人気コンパニオン、入れ替わりが激しいこの世界でもう五年も在籍している大先輩だった。


「そんなにガン見してると先生に目をつけられてあそこに縛られちゃうかもよ」

「え――っ、それはマジでピンチですよ。でも先生って……あのロックンローラーみたいな人のことですか?」

「そっか、ミエルちゃんは知らないんだよね。あの人は高英夫こうひでお、みんなはこう先生って呼んでるわ。緊縛師きんばくしなんて名刺を持っててね、ほんとそのまんま、パートナーの女の子を縛って見せるショーをやってるのよ」

「緊縛師……ですか」

「ミエルちゃんがこの店に来るずっと前には年に何回かここで演じてたのよ。それが地方巡業だか何だかで歌舞伎町を離れて最近また戻って来たみたい。それでママのところに売り込みに来たって話よ」

「へえ、それじゃママも知ってるんですか、あの人のこと」

「そりゃね、こんな世界だもん、そこそこ有名人みたいよ。以前はピンク映画とかアダルトビデオとかでも活躍してたらしいし、すぐ近くのストリップ劇場でもってたみたいよ」


 そろそろ準備が整ったのだろう、数歩下がって全体を見渡した高英夫こうひでおは小さく頷くとミエルの方に向き直った。その視線はサングラスに隠されていたがミエルを見つめていることは明らかだった。高英夫はツカツカとこちらにやってくるとミエルの前に立ってその身体からだを上から下まで舐めるように眺めた。

 紺色のショートパンツに白いシャツ、胸には「ミエル」の名の入ったゼッケンに足元は上履き、小柄なその姿はまるで中学生のようだ。


「おいおい、しばらく見ないうちにずいぶんな変わり種が入ったもんだなぁ。おっと、オレは高英夫こうひでお、緊縛師だ。今夜は三ステージやらせてもらう。よろしくな」


 そう言って高英夫こうひでおはミエルに名刺を手渡す。そこには「緊縛師 高英夫」とだけ書かれていた。


「ボクはミエルと言います。よろしくお願いします」


 ミエルがペコリと頭を下げると金髪ウィッグのツインテールもそれに合わせてゆらりと揺れた。


「ふ――ん、ボクっ娘ねぇ……これもあのママさんの趣味なんだろうな」


 高英夫こうひでおはサングラスを着けたまま訝し気にほくそ笑むと、踵を返して楽屋代わりのバックヤードへと引っ込んで行った。

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