第二章

第10話(水戸街道中)

 常陸国に入るルートである水戸街道は千葉県を挟む。利根川までだけでも30キロ弱は歩いたのではないかと思う。

 松戸関所では幕府の通行手形のおかげか、足止めされることもなく意外とすんなりと通過できたから、朝から4時間位は歩き続けていることになる。


「おい、まだ着かねぇのかよ?」


 道中、何度も駿平が紅沙の背中に呼びかけるが返事はない。振り返りはしないが、後から付いてくる燈夜たちの歩く速度を感じ取り、早過ぎもなく遅過ぎもしない速度で先導してくれていた。


 馬上から周りを警戒しているのか、左右に視線を移すときに見えるその横顔は、陽の光を浴びたことがないかのように白く、それでいて陽の光を照り返すほどの眩しさがあった。


「東京から茨城ってすぐ近くじゃねぇのかよ〜」


 普段、電車やバスで行く道のりを全て徒歩なのだから、何倍もの時間がかかって当然ではあるが駿平が弱音を言いたくなる気持ちはわかる。


「あいつ俺らのこと馬鹿にしてね! ずっ〜とシカトこいてよ! てか、あいつだけ馬とかズルくね?」


 空を見上げればちょうど太陽が南中する頃で、朝ご飯が大量だったとはいえ、さすがにお腹が減ってきた。


「そろそろお昼ご飯にしない?」


「いいこと言った! 俺もマジでそれ言おうと思ってた!」


「紅沙くん、そろそろお昼にしよう」


 背中に呼び掛けるが振り返ろうともせず、そのまま進んでいく。


「紅沙さん、お昼に!」


 呼び方を変えて大きな声を出すが、効果はない。


「紅沙……」


 もう一度呼びかけようとしたところで、駿平が紅沙の背中目がけて何かを投げつけた。その手の平を見ると、いつの間に集めたのか小さな石をいくつか用意している。

 

 投げる石の全てが見事に命中し、5つ目位が紅沙の背中でビシッと音を立てるのと同時に、漸く紅沙がゆっくりと振り返った。


「飯だ、メシ!」


 言うことを聞かない犬を躾けるような口調で、駿平は臆することなく、馬上の用心棒に対して馬から下りろと合図した。



◆◆◆◆



 行く先に見えていた杉林の近くには丁度よい具合に小川が流れていた。紅沙は林の中の1本に手綱を繋いで、持参した手桶に汲んだ川の水を白馬に与えてから、燈夜と駿平の間にある切り株に腰を下ろした。

 時折、3人の疲れを宥めるかのように涼しい風が吹いて、汗ばんだ着衣を冷やす。


 どこを見るでもなく、塩むすびを口に運ぶ紅沙に駿平が単刀直入に聞く。


「お前さぁ、口聞けねぇの? それとも耳が悪いわけ?」


 紅沙は相変わらず目を合わせようとはしないが、首を横に降って答えた。


「じゃあ、俺らと話したくねぇってわけか。用心棒なんだし、やることだけやってくれりゃ文句は言わねぇけどさ……」


 駿平と紅沙の様子に既視感を感じて目を閉じれば、頭に思い浮かんだのは、教室の中、自分を気にかけてくれた級友たちとそれを拒絶し続けてきた自分の姿だった。


 自分の心を軽くしようと気遣ってくれたり、冗談で笑わせようとしてくれたりした多くの優しさに、同情は無用とばかりに背を向けた。


 全く感情を顔に出さず、関わりあおうとしない紅沙の態度が、こちらを馬鹿にしたり卑下したりという理由にはどうしても思えなくて、何か抱えるものがあってのことなのではないかと燈夜は訝った。



 その時、自分たちの後方で草の揺れる音がして、紅沙が持っていた塩むすびが手から落ちた。

 視線を上げればその時には、瞬時に長刀を抜いた紅沙が、後方からの攻撃に対峙していた。

 見事な刀捌きは鮮やかな色を携えた演舞のようで、あの夜、月に照らされた剣士の殺陣とシンクロする。


――間違いない。あれは紅沙だった。


 ただ見惚れていた燈夜の腕を駿平が強く引いて木の後に身を隠そうとするが、その時には襲ってきた二人は既に路傍に倒れ気を失っていた。


「昼間から山賊出んのかよ……」


 倒れている二人の周りには一滴の血も飛び散っておらず、紅沙が峰打ちのみで倒したことが窺える。あの夜も血の匂いはしなかった。


 ホッとしたのも束の間、山賊の仲間と思しき大男が、鞘に刀を納めた紅沙に突進していくのが見えた。

 先ほどと違って、紅沙は微動だにしない。

 何かがおかしい。

 燈夜は弾かれたように前に飛び出した。

 雄叫びと共に武器を振り下ろす大男と紅沙の間に割って入り、両腕を挙げた。


 唸りをあげて振り下ろされるそれが自分に直撃すると思い顔だけ背けるが、衝撃は来ない。恐る恐る顔の向きを前方に戻すと、大男がバッタリと仰向けに倒れ込むところだった。


 何が起こったのかわからず目を瞬かせると、姿は見えず声だけがした。


「紅沙殿、やはりか……」




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