第8話(幻翠と藤紫)

「藤紫、泊まっていくだろ?」


「戻りますよ。明日も早くにあの者達の出立に立ち会わなければなりませんので」


 幻翠の寝床を整えながら、藤紫は冷たく返した。


 本来は小姓の役目である将軍の身辺の世話を何かと藤紫にさせたがる幻翠に、口では面倒そうに小言を言うのだが、本心では嬉しかった。


「何、怒ってんだ?」


「怒ってなどおりません」


「藤〜、言ってみろ」


「昼間もでしたが、また江戸ことばが出ておりますよ」


「粋で結構じゃねぇか。今時、江戸の武士の間でも普通に使ってんだろ、べらんめぇ言葉。

で、藤紫、なんかあるなら言えよ」


 自分との間では特に隠し事を嫌がり、こうなるとしつこい幻翠の性質も藤紫は熟知している。


「怒ってなどおりませんが……あんな得体の知れない者とも寝所を共にしていたとは、あなたの奔放さは理解していたつもりですが、今回ばかりは呆れております」


 幼馴染として育った幻翠から側用人に命じられた時は、身分違いによる別れを覚悟していたこともあり、側にいられるだけで幸せだと本気で思った。


 けれど人間の業は深く、自分でもどうしようもできない感情にこうして支配されては嫌悪する。本当はこんな自分を幻翠には一番見られたくなかった。


「焼きもちかぁ」


 藤紫が振り返ってキッと睨みつけたところを、幻翠が手を伸ばしてその頬に触れる。


「そんな顔しても、綺麗だな」


 藤紫は頰が熱くなるのを悟られまいとして、その手を振り払い横を向いた。

 暫しの沈黙の後、話題を変える。


「本当に大丈夫なのでしょうか?」


「あやつらのことか? 紅沙こうさのことか?」


「両方、ですね」


「得体の知れねぇ奴らだからこそ、予想もつかねぇ何かを引き当てんじゃねぇかって期待してるんだがな」


「適当ですか? 何か策があってのことと思っていましたが」


「無用な心配だ。俺の感は当たるんだよ」


 そう言って幻翠は藤紫が整えたばかりの布団に身体を横たえ、藤紫を下から見上げる。


「で、泊まってくよな?」


「戻ります」


 立ち上がろうとする藤紫の腕を引き、幻翠は自分の胸の中に抱き込んだ。


「俺がどんなに請われても、嫁を6人までしか娶らねぇ理由は、わかってるよな」


 幻翠は藤紫の耳元で声を低くして続ける。


「週に一度、お前との夜だけは死守するためだ。たとえそれを邪魔するのがお前本人でも、容赦はできねぇ」


 まっすぐに自分を見つめて口づけられ、藤紫は観念して目を閉じた。


 

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