第3話(夢か現か2)

「あのオバちゃん、名前『お静』って言うんだぜ。似合ってねーっつか、真逆だよな」


 話しかける駿平とは反対の方にある井戸をぼんやり眺めて燈夜は心ここにあらずといった返事をした。


 井戸は勝手口からさらに奥に数歩進んだ家の裏の少し広い空間の中央にあり、ご近所と共同で使うらしく屋根が掛かり洗い場があった。


 駿平は台所の窓から射す明りを頼りに、切り株の上に薪を器用に立てると半分に割っていった。


「夢だと思ってんだろ?」


 夢なら適当にやり過ごそうといい加減な返事をしていた自分の心の中を見透かされたようで、燈夜は言葉に詰まった。


「まあ、俺も半分思ってっかな。んで夢なら覚めないでくれ、って思ってる。俺、あっちに戻ったら殺されっから」


 急に物騒なことを言い出す駿平の表情は真剣だった。


「何、言って……」


「ヤクザに追っかけられて逃げてたんだけどさ、うっかり上に逃げて屋上に追い詰められて、イチかバチか飛んだんだよ、隣のビルに。んで、やっぱ届かなくて真っ逆さま。そっから記憶飛んで、気付いたら、こっちにいた。名前、燈夜だっけ?呼び捨てでいいよな。お前いくつ?」


「15」


「オレ1コ上の先輩な。でもタメ口でいいから」


 質問に答えながらも燈夜は駿平との共通点にハッとさせられる。自分もあと一歩に死が迫った次の瞬間こちらにいた。頭にもたげた疑念を打ち消すように努めて明るく先の問に返す。


「確かに江戸時代にタイムスリップなんて、夢としか思えないよね」


 駿平がすかさず答える。


「タイムスリップではねぇよ。まあ江戸時代には変わりねぇけど、家康から400年続いてる西暦2022年のお江戸なんだってよ、ここ」


 夢だと安心していたところに駿平の具体的な状況、新たな時代設定が飛び込んで再び頭の中が掻き乱された矢先、小夜がタライに茶碗をカチャカチャ言わせながら運んできた。


「難しい顔して、何話してんだい?」


 駿平が咄嗟にごまかす。


「お前のババアの名前が似合わねーって話だよ」


「ああ、まあ、そうだね。おっ母に言っとくわ」


「お小夜、てめぇはいっつも……」


 小夜の切り返しにわなわなとなった駿平だが神妙な面持ちに変わりボソボソと呟いた。


「――あと、礼も言っといてくれよな」


「自分で言やいいじゃないか」


「そうさ。是非ともあんたのその生意気な口から聞いてみたいもんだね」


 お静が勝手口から出てきて言った。


 自分が悪いと知っても謝れない子どものように駿平は横を向く。


「――今度、な」


 お静は口元を弛めると手を上に伸ばして駿平の頭をポンポンと軽く叩いて、汲み上げポンプのハンドルを押し井戸水を貯めている小夜の方へと歩み寄った。


「これ、お千代から昼間届いてたよ」


「姉さんから?」


 小夜は急いで濡れた手を前掛けで拭うと嬉しそうに手紙を受け取った。


 小夜の姉、千代は昨年隣国の呉服屋の女戸主に嫁入りし家を出たのだそうだ。


「あいつの姉貴、女と結婚したんだぜ」


 燈夜にそう話す駿平の方を睨めつけ、小夜は呆れた口調で反論する。


「あんたは何だって男だ女だにそんなにこだわるのさ。男色なんて大昔から当たり前にあるし、今の世じゃ女同士の婚姻のが普通じゃないか」


 お静が小夜に同意して頷く。


「そうだねぇ。あたしゃたまたま幼馴染の男と恋に落ちて結婚したけど、この子等が生まれてすぐ死んじまって女手一つで大変だったからね。親としちゃあ、わざわざ男と契って苦労させたくないってのが本音だね」


 燈夜が口を挟む。


「男の子が生まれたら、どうなるんですか?」


「そりゃあ家に依るね。名家に生まれれば国主様や大名家に婿入りできるけど、そんなのは一握りだね。

 大事に寿命まで家に置いて育てられるような余裕のある家もあれば、生まれてすぐ間引きされたり、ある程度の年になったら奉公に出されたり。

 運がよければ下級武士。いくら寿命が短くても体力は普通に女よりあるからね、力仕事とかで使えるだけ使われて、使えなくなったらその辺に捨てられたりするんだよ。酷い話さ」


「そういうのをうちのおっ母は犬コロみたいに拾って面倒見ちゃうんだよ。だからあたしはお淑やかな二人姉妹のはずが、物心つくころから家ん中に男だらけでさ、男まさりに育っちまったのさ」


「店の手伝いに丁度良かっただろ。お前たちが小さい時分には随分助けてもらったよ、あの子らには」


 お静は遠い目をして旦那さんが亡くなってから一膳飯屋(定食屋)を営んで二人の子を育てたことを話してくれた。先ほど台所で見かけた大鍋は家庭用にしては随分大きかったが、そういうことかと燈夜は納得した。


「お店は夜は、やらないんですか?」


 表を通ったとき、暖簾も何も出ていなかったことを思い出して燈夜は訪ねた。


「ここんとこ、客足もさっぱりだからね。夜は閉めるしかないねぇ」


「そ。日が暮れたら人斬り物ノ怪もののけが出るからって夜は誰も出歩かないのさ」


「モノノケ?」


 新たに追加された浮世離れした設定に燈夜はさらに当惑するのだった。

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