第6話(幕間) 香水の香りは何よりも、記憶に残るらしい。

「紗恵子、遅くなってごめんね。」

「ううん、ソロの対応で忙しいんでしょ?時間作ってくれてありがとうね。」

 慌てて店に入ってきたハルオの詫びに答えながら、紗恵子は空のグラスに頼んでいたワインを注いた。


 ハルオは紗恵子の母の高校からの親友だった。

 紗恵子が高校生の時に母が病気で亡くなってしまってからは、何かと気にかけて連絡くれていたこともあり、いつの間にか、性別不詳の美人な母の知り合いは、紗恵子にとってなんでも話せる母親のような親友のような存在になっていた。


「こちらこそ、こないだは、うちの馬鹿が迷惑かけたわね。」

「仕事だから、全然、ありがたいんだけど…まさかこんな再会をするとは思わなかったな…。」

 広告という紗恵子の仕事柄、芸能人と仕事をする機会はあるし、今までも打ち合わせで名前が上がることはあったから、いつか会うことがあるかもしれないと覚悟もしていた。だが…

「よくあるCMの出演とかタイアップじゃなくて、クライアントとして…だものね。」

 ハルオの言葉に、紗恵子はワインを傾けながら頷いた。

「うん、しかもなんで急にうちに引き合いが来たのかも不思議だし…。」

「私も会社変えてるなんて知らなかったから、紗恵子からメッセージが来てびっくりしたわ。後から聞いたら、あいつがいつもと違うチームでやってみたいって言い出して、スタッフと決めたみたい。」

「そうだったんだ…。でも、わたしだって、秋はともかく、ハルちゃんまで打ち合わせにいるなんて思わなくてびっくりした!」

「それは驚かせようと思って。ふふ、でもお仕事してる紗恵子も素敵だったわ。加代子にも見せたかった。」

「ハルちゃんを通して見てるよ多分。お母さんががっかりしないように仕事頑張るね。」

 その言葉に、ハルオは愛おしいものでも見るように紗恵子の垂れていた髪を直しながら、そっとおでこを撫でた。

「でも、嫌だったらプロジェクト抜けてもいいんだからね。あなたが外れたら依頼しない!とかさせないから。」

「ううん、案件としてはワクワクしてて、チームもいい感じなの。秋の方からNGが出ないならちゃんとやるよ。」


 ガッツポーズでやる気アピールをする紗恵子にハルオはため息をついた。

「そう…?せっかく未練たらたらなのから、ようやく卒業できそうだったのに。」

「ちょっとハルちゃん、未練とかもうないから!」

「うっそだぁ〜〜。別れた後、三日三晩は付き合って飲んだけたわよ、おかげでこんなニキビ跡までできたんだから。」

 ずいぶん小さくなった、顎下のニキビ跡を指しながら、ハルオはニヤリと笑った、


 ーーー

「ハルちゃん、秋がいなくなった。」

「は?」


 あの日は、ハルオが来るなり紗恵子は泣き出してしまい、落ち着くまでにずいぶんと時間がかかった。そして、少し落ち着いてから、真っ赤な目をして、ハルオに説明を始めたのだった。


「私がひどいこと言ったから、出てった。」

「何よそれ。」

「仕事おわんなくてイライラして、帰っても秋がいなかったから、で、次の日に家に来た秋が女の人の匂いつけてて、また他の女のところいるって思ってひどいこと言って傷つけたの。」

 ハルオは最初は般若のような顔をしていたが、紗恵子の言った「酷いこと」を聞いて、ああ、と顔を顰めた。


「あんただって、音楽の世界も秋の才能も知らないわけじゃないのに…随分ひどいことを…。でも、言わせるようなことをしたのも秋ね。」

 紗恵子はううん、と首を横に振って言葉を続けた。

「その日はごめんねって言ってくれたけど、そこから出張続いている間に、荷物まとめて出てっててたみたいでね。」

 そして、そのがらんとなった部屋には、紗恵子に送られていたメッセージと同じ文章のメモと、ラッピングされた香水が机の上に置かれてた。その情景を思い出しながら、紗恵子は溢れる自己嫌悪を滲ませながら話を続ける。


「その香水、あの日秋がつけてたのとおんなじ匂いでさ、多分、選んでる時につけてたんだろうね。」


 きっと、だからと言って過去の全てが浮気でないとも思えない。それでもあの日、秋にとって言われたくないであろう言葉を言ったのは事実で、そのことが紗恵子にとって彼が出て行ったことと同じくらいショックだった。

「恋って素敵なものだと思ってたけど、こんなに好きになった人に酷いことをするくらいなら好きになりたくなかった。」

「まあ、忘れるまで飲みなさいな。」


 そして、一人の部屋にシラフで帰られるようになったのは、三日後のことだった。

 ーーー

「と言っても、三日たった後も、あんた会うたびに飲む量がすごくてしばらく酷かったけどね。」

「今は落ち着いたでしょ?」

 そういう紗恵子の手には、運ばれてきた新しいボトルがあった。一緒に運ばれてきたアクアパッツァの匂いのせいか、ハルオは鼻をひくつかせてから、肩をすくめた。

「…前に比べたらね。でも、少なくともあいつがデビューしたのにびっくりして連絡してきた時は、まだ引きずってる声だったわよ。」

「あれは…!ハルちゃん何にも教えてくれなかったからびっくりしただけだよ!」

「だって、秋のスカウトの話無しにしないで、干さないで!って酔ったあんたが泣きつくから、置いてたけど、いちいち報告して思い出させることないかなって思ってたのよ。あ、でも、デビューの時は忙しくて忘れてた。」

 ケロッと答えるハルオにじとっとした目をむけるが、彼女はどこ吹く風で、アクアパッツァを口に運んでいた。


「もともと、知り合いだとやりにくいかなってあいつ以外の案件も、お仕事頼まないようにしてたけど、楽しそうな提案持ってきてくれて嬉しかったわ。あのバカをよろしくね。」

「あ、ハルちゃんが社長の顔になった。頑張りますよ。」


 その言葉を聞いて、安心したように笑ったあと、ハルオはそれはそうと…というように話題を変えた。

「で、最近どうなの?」

「えぇ…、こないだの合コン最悪だったんだけど、聞いてくれる?」

「男と女どっちがだめだったの?」

「えっとねぇ…」


 その後は、いつもどおりの女子会が深夜まで続いた。

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