第46話 パンツを見せてほしい
砂嵐のような連続的な雨音と、明かり取りの小さな窓ガラスに雨がぶつかる音が重なる。
埃と汗の混じった独特なにおいが、湿気でより強く鼻腔に届いた。
雨が降っているからか、倉庫の気温が低いからか、汗が乾いたからか、この状況が気まずいからか。半袖でもないのに、寒気がした。
小さく体を震わすと、チラリと愛衣さんが顔をこちらに向けた。
「そこ冷えるっしょ。こっち来ていいよ」
ぽんぽんっと隣を叩く彼女のシルエットは、暗闇の中でもきれいで息を飲む。
僕は少しだけ迷ったが、隣に腰掛けることにした。
マットに座ると少し寒さがマシになる。隣に人がいるのも、暖かさの理由かもしれない。
「はあ、なんか巻き込んでごめん。あーもお、いろいろダメすぎる〜!!」
頭を抱えて、愛衣さんは隣でもだえた。
しばらく足をばたつかせてから、顔を覆っていた手を下ろす。
「こうやって話すの、久しぶり……だよね」
ぎこちなく話す彼女に、僕は小さく頷いた。
「ホントはすぐ謝りたかったんだよ。でも、勇気が出なくて……」
隣から聞こえる小さな息遣い。
この距離が当たり前だったときは気づかなかった心地よさに、胸が圧迫された。
「あれからウチ、ずっと後悔してた」
下を向いてジャージの裾をいじる彼女の隣で、僕は目を閉じて心を落ち着かせる。
今からどんなことを聞かされたとしても受け入れよう。
動じるなどカッコ悪いところは見せたくない。僕のプライドが働いた。
「お姉ちゃんになにも言い返せなかったのは、全部本当のことだったから。最初は君嶋のことなんてなーんにも考えてなかった。でも、途中からは違う。だから、白銀くんとも付き合ってないし……」
「ああ、知っている」
相槌を入れると、愛衣さんは言葉を止めた。
若干引き攣った顔がこちらに向けられる。
「……ん? どれを知ってるの?」
「白銀くんとは付き合っていないんだろう?」
「う、うん。そだけど。え、でも」
僕はポリポリと頭をかく。
話すつもりはなかったが、ここで言わないのはフェアじゃないだろう。
「この数日でまた、探偵めいたことをしていたからな」
僕の行動が意外だったのか、愛衣さんは「は? え? なんで??」とつぶやきながら目を白黒させていた。
僕はもう彼女の人生から消えたようなものだったが、どうも白銀くんが胡散臭すぎた。
無関係とはいえ、自分自身が納得できないことをそのままにしておくことはできない。
それが君嶋 諒という人間だ。
そこで、この数日でまた身辺調査をしていたというわけだが……まあ、みなまで本人に言う必要はない。
それに、白銀くんを追っていた理由はそれだけではないからな。
僕はわざとらしく咳払いをして、話を変える。
「そ、それよりも。“途中から違う”というのは?」
「え!? あーねっ?」
愛衣さんはビクッと身体を振るわせると、膝へと視線を落とした。
言いづらいのか、すーはーと息を吸ったり吐いたりしているのが聞こえてくる。
それでも急かすことなく、辛抱強く待った。
口から生まれたような愛衣さんが、ここまで真剣に言葉を選ぼうとしているのは初めてのような気がする。
「君嶋と……」
不意に名前が呼ばれてどきりとした。
愛衣さんは息を飲み込み、肩をいからせ、膝の上の拳を握りしめる。
「君嶋と一緒にいて楽しかったの! ずっとこの時間が続けばいいなって。お姉ちゃんと付き合ってほしくないって、思っちゃったの!」
僕は目を見開いた。
“付き合ってほしくない”?
暖かい感情が腰のあたりから駆け上ってきてむずがゆさを覚える。
だが僕はすぐに自分を
いや、そちらの方が可能性が高いか。
「あはは、ウチ、うざいよね。君嶋を傷つけてこんなこと言うの、都合よすぎだよね」
シリアスにならないように明るく言う愛衣さんだったが、声が震える。
「それでも、もし君嶋が許してくれるんだったら、ウチは……」
彼女が僕に向ける気持ちがどんな種類だったとしても、震えるほど悩んでくれた事実が素直にうれしかった。
同時にとんでもなく気恥ずかしくなって、彼女の横顔から視線を外す。
ふと、愛衣さんのジャージのポケットに目が留まる。
「……愛衣さん、もしかしてそれ」
「え? え? あ、スマホあるじゃん!!」
愛衣さんはスマホをポケットから出すと、顔の前へ宝物のように掲げた。
よかった。外部と連絡を取るツールのおかげで、最悪な事態は避けられそうだ。
だが、僕はスマホに違和感を覚えて眉を寄せた。
愛衣さんもハッとした表情を見せ、スマホをポケットの中に隠した。
気まずそうである。
僕と数日話していない間に、しっぽのストラップが無くなっていた。
これには理由を察するところがあり、僕は小さく鼻を鳴らした。
ミントを噛んだあとのように、スッと頭の中が冴えていく。
土浦愛衣と関わって、楽しいこともあったがたくさん傷つきもした。
しかし今の自分があるのは間違いなく彼女のおかげだ。
だからこの数日間、彼女のことをフラットに見ようと考えていた。
時間など腐るほどあったからな。
彼女のためにも。
そして自分を救うためにも。
僕は今まで避けていた一歩を、踏み出さなければならない。
「愛衣さん、頼みがあるのだが」
ここ数日で、いつかは言おうと決めていたこと。
そのタイミングが今だと悟った僕は、彼女をまっすぐに見た。
深刻さが伝わったのか、愛衣さんも恐る恐る僕へと顔を向ける。
「僕に」
不安そうに審判を待つ彼女に、僕はかなり逡巡したあと、思い切って口を開く。
「僕に、パンツを見せてほしい」
「…………っ!?」
目の前の瞳が、大きく見開かれていく。
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