第45話 距離を置く一週間

 思えば椿さんに恋に落ちたのは、教師の前で僕をかばってくれたことがきっかけだった。


 人の目を気にせず、教師相手に堂々としていて、周りに気を配れる大人な彼女がまぶしかった。

 探ってみれば、成績もとてもいいと知った。

 勉強が取り柄の僕にとっても高嶺の花。

 こんなすごい人なら、堂々と好きになれると思ったのだったな。





 翌日、僕は愛衣めいさんを避けてしまった。

 朝、愛衣さんを含むギャルグループから話しかけられても目が合わせられず、挙動不審にやりすごしたのだ。

 事情を知らない女子たちは僕の反応を不審そうにしていたが、特に気に留めることなく離れて行った。

 時々遠くから視線を感じることもあったが、手元の参考書を見て気づかないふりをした。

 土浦愛衣は、きちんと視界の端に入っていた。

 僕が無視してつまらなさそうにしていたことも知っている。

 別に怒っているわけではないし、悲しませたいわけでもない。

 ただ、今はまだ話せない。


 さらに翌日。

 身勝手な話だが、僕は虚無を感じていた。

 気づけば愛衣さんを目で追う自分がいた。

 クラスメイトと話している彼女は明るく、普段と何も変わらない。

 違うのは、僕と言葉を交わさなくなったことだけだ。

 彼女はいつも誰かといて、どこにいても笑っていた。

 僕ほど、日常は変わらないのかもしれない。


(あれから白銀くんと一緒にいるところは見ないが、どういう話になったんだろう)


 白銀くんがウチのクラスに来ることもない。

 かといって、愛衣さんが会いに行く様子もない。


(……考えたって時間の無駄だな)


 僕は考えるのを諦め、ルーティーンのひとり便所に行くことにした。



 そして週の最終日。金曜日に事件は起こる。


 この日は朝から大雨のため、体育の授業は男女ともに体育館を利用することになった。

 体育は隣のクラスと合同だ。

 ということは必然的に、白銀くんと愛衣さんが同じ空間にいることになる。


 男子はバスケで女子はバドミントン。

 運動神経のいい白銀くんはバスケ部と対等に試合をして、女子たちからキャーキャー言われていた。

 愛衣さんは珍しく長い髪をふたつ結びにし、大きめなジャージの袖をまくってだらだらとラリーをしていた。

 どこにいても目立つ二人だが、お互いにフリーの時間があったのにも関わらず、絡んでいる姿は一度も見なかった。


 授業は何事もなく終わり、片付けを終えた男子側が帰ろうとしたそのときだった。


「せんせーっ!」


 ひときわ大きな声をあげた隣のコートのギャルに、男子側の注目も向かう。

 手をあげているのは、いつか僕にパンを買わせた女。

 焼肉のときに和解をしたので彼女への遺恨はないが、また目立とうとしているのかと呆れはした。


 そんな彼女は人懐っこく教師に絡む。


「片付けるもの多くないしぃ、あたしらがまとめてやっとくよ! みんなもそれでいいっしょ?」


 問われた女子たちは、後片付けをしなくていいことに喜び、賛同する。

 それに戸惑うのは教師だ。


「でも佐川さんだけは危険かな。誰かもう三人くらい手伝ってくれるといいんだけど」

「そこは愛衣とやりまーす! あとは……おーい、君嶋ー!」


 同級生のギョッとした視線が僕に集まった。

 帰ろうとしていた白銀くんもわざわざ足を止め、眉間に皺を寄せて振り返っている。


「君嶋が二人分働くんでいいっしょ。うちら仲良いんで!」

「そうなんだ、意外だね。じゃあ土浦さんと君嶋くん? よろしくね」


 なぜ僕が女子の手伝いを?

 意味がわからないのだが。

 愛衣さんも寝耳に水という顔で、僕と黒髪ボブを交互に見ている。


 この状況、友人でもいたら助けてくれたのだろうか。

 そそくさと体育館を出て行く同級生らの背中を見送りながら、僕はぼんやりと考えていた。


「えなに? 愛衣、急に静かなんだけど! 手伝うの面倒だった?」

「や、そんなんじゃなくて……。てか、どーいうつもりなのっ」

「あたし体育休みまくってて先生の心象ヤバいからさー、たまには点数稼がないと無理なんだよねー。ほら、早く片付けて戻ろ! 君嶋っちもウチらの仲じゃん、よろー!」


 は? 和解はしたが、別におまえと仲良くないが?


 大口を開けて豪快に笑うギャルは、人を巻き込んでおいてまったく悪びれる様子はない。

 三人になった体育館で、愛衣さんは気まずそうに僕をチラチラと伺っている。

 僕は諦めて転がっているシャトルを拾った。さっさと片付けて教室に戻るしか、ここを切り抜ける方法はないらしい。



 最初こそ困っていたが、仲のいい友人と作業するのは苦にならないのだろう。

 フロアで愛衣さんたちが楽しそうに話しているのを聞きながら、僕は黙々と片付けを手伝った。

 のんびりとシャトルを集め、ラケットをバスケットに詰め込むギャルの横で、僕はポールを引っこ抜き倉庫へ運ぶ。

 近くを通っても別に話をふられるわけでもない。

 またいいように使われているのだろうか。


 前は、すぐに怒りがわいていたものだが。

 ここ数日、愛衣さんと距離を感じていた僕は、こんなことでも一緒に作業ができることを、どこかうれしいと感じてしまっていた。


(はあ、我ながら気持ち悪い……)


 倉庫の奥にポールを立てていると、愛衣さんも入ってきた。

 背伸びをして、棚にネットを戻しているのを横目でチラ見する。


「いっ!!」


 声をあげたのは僕だった。

 指をポールに挟んでしまい、ぶんぶんと手を振る。


「え? どしたの、大丈夫??」

「あ、い、いや。ちょっと挟んだだけで……」


 心配そうに駆け寄ってくれる愛衣さんだったが、僕は思わず顔を背けた。

 まさか見とれていたとは言えない。


「やば、指真っ赤じゃん! 冷やしたほうが……っ!!」


 僕の手を取った愛衣さんの顔が、ぶわっと赤くなった。

 それを見て僕も顔が熱くなる。

 こんなときに、指を舐められたことを思い出すなんて最悪すぎる。


(ま、まずい、この雰囲気はよくない!)


 ガラガラガラッと大きな滑車の音がした。

 弾けるように僕たちが音の方を向くと、倉庫のドアが閉められた後だった。

 さらにガチャン、と施錠の音が聞こえる。


「え、ミオぴ!?」


 出口に駆け寄りドンドンと鉄の扉を叩きながら、愛衣さんは外にいる友人の名を呼ぶ。


「ったく! あんたらケンカしてんでしょ、ちゃんと仲直りしなー?」


 外からかけられた声に、僕たちは顔を見合わせた。

 ――ハメられた!

 二人して、唇をわなわなと振るわせる。


「まっ、部活あるからすぐ開けてもらえるっしょ。それまでに話つけなよー? んじゃー!」

「はっ! ちょ、ミオぴ!? 待って! ミオぴー!!」


 愛衣さんの言葉虚しく、足音は遠ざかって行く。

 雨の音が響く倉庫で、僕たちはびくともしないドアを前に途方に暮れるのだった。

 




 

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