5-panties

第32話 お礼

 月曜日。

 教室に入ると、珍しく愛衣めいさんの方が先に登校していた。

 友人と話していた彼女だが、僕を見るなり笑顔でぶんぶん手を振ってくる。


(いつも通りだが、あのラインはなんだったんだ?)


 堂々とした行動に面食らいはしたが、彼女らしいとも思う。

 僕は少しだけ手を上げて応えると、なんでもない風に目をそらして自席に着いた。

 その辺はわきまえている。


 その日はそれ以上彼女が話しかけてくることもなく、いつも通りの一日が過ぎた。


 そして昼休み。


「さっ、行こっか!」


 相変わらず大勢の前でも気にすることなく、愛衣さんが迎えに来た。


 男子生徒のいぶかしげな視線とか、女子生徒がキラキラした目で見てささやき合っているのとか。

 どうにも、落ち着かない気持ちになるのは僕だけだろうか。


 そうして二人で教室を出ようとしたときだ。

 急に立ち止まった愛衣さんにぶつかってしまい、謝ろうと口を開いて僕は固まった。


「あっ、愛衣〜」


 目の前で、あの椿さんが微笑んでいるじゃないか。

 ドアを1枚挟んだ向こう側が、眩いばかりに輝いて見える。


 惚ける僕とは違い、愛衣さんはすぐに焦ったような反応をした。


「ど、どうしたのお姉ちゃん?」

「今日のお昼代持っていかなかったでしょ? お母さんから預かってきたのよ」


 椿さんから発せられるのは、まさかの生活感のある会話である。

 一挙一動一言一句逃したくない。五感をフルに研ぎ澄ませて僕は彼女だけを見つめた。


 すると、にこっと。

 またあの笑顔が僕に向けられる。


「あら。愛衣のこと、よろしくね♡」

「ちょっと、お姉ちゃんもういいでしょ! 恥ずかしいからあっち行ってよ〜!」

「はいはい。ふふふ」


 恥ずかしがった愛衣さんがぐいぐい押しやり、ころころと椿さんが笑う。

 姉妹だからこそ見せる無邪気な姿に心が温まる。

 愛衣さんが無理やり椿さんを帰し、その背中が見えなくなるまで見送ってから僕は大きく息を吸った。


「なあ、なあなあなあっ!!」

「はあ……。えっ、なになに!?」

「よ、よろしくって! 僕によろしくされた!?」

「テンション高っ!? そんな深い意味ないよ? アレ」

「ありがとう、愛衣さんっ!」


 僕は自分の胸に手を当て、感動を吐き出す。


「愛衣さんが言ってたように、ただ告白していたら玉砕していたかもしれない。でも今は、僕に好印象を持っているような気がするんだ!」

「え、あーうん。そうだねー」


 打って変わって愛衣さんの答えはどうも歯切れが悪い。

 そんな態度を取られると、こちらも不安になるのだが。


「も、もしかしてそうでもないのか……? え、僕はまた勘違いを?」

「あー違う違う! うんうん、君嶋の言う通りだよ! いい感じいい感じ!」

「そ、そうか? だよな!」


 妹からのお墨付きをもらってモヤモヤの雲は引き、一気に心が晴れた。僕もいい感じだと思ってたからな。


「やば! ウチ急いでごはん買ってこなきゃだ!」

「ま、待ってくれ」


 今にも廊下を走り出そうとする彼女を引き留めると、僕を見上げる長いまつ毛が、ぱちぱちと上下した。


(これはこれで緊張するな……)


 こほんと咳払いをして、後ろに隠していた紙袋をそろそろと持ち上げる。


「ぶ、文化祭のお礼に弁当を作ってきたんだが、もし嫌じゃなかったら……」

「嫌じゃない! 食べるっ!!」


 瞳を輝かせた愛衣さんが食い気味に飛びついた。


 ――教室の入り口の、よーく目立つ場所で。


 教室が不自然なほど静まり返ったため、チラリと黒目だけ動かして中の様子を伺えば、案の定クラスメイトたちが一様にこちらを見て固まっていた。


 言うタイミング、間違えたな。




 ◆




 それからいつもの屋上のベンチへと移動。

 今日は雲ひとつない晴天で、秋とは思えないほど気温が高かった。


「んー、美味しい〜〜〜っ!」


 そして僕が作った弁当を、愛衣さんは高級料理のようなリアクションで食べている。


 美味そうに食べる彼女につられて、僕も自分の弁当箱をつつく。

 うん。普段料理をしない素人が作ったものという味だ。

 コイツの舌は大丈夫かと不安になったが、せっかく喜んでいるのに水をさすこともない。あえて触れず、彼女の要件について尋ねることにした。


「そういえば話ってなんだったんだ」

「ん?」

「ん? じゃないだろ。きみが呼び出したんだけど」

「え? っとなんの話だー? んー思い出すー」


 目をつむって首を傾げる愛衣さんを横目に、僕はため息をつく。


 わざわざ話があるというから、今日はずっと気が気でなかったのだが。

 忘れるくらなら、そこまで重要な話ではなかったということだろうか?


「し、白銀くんのことは……もう大丈夫なのか?」

「あー。それはうん、もう忘れちゃた! あれから一度も連絡こなかったんだよ、ひどくない?」


 かなり気をつかって聞いたのに、思いのほかあっけらかんと答えていて面食らう。


(もっと傷ついているかと思ってたが、愛衣さんは強いんだな)


 感心しながら進めていた箸を、ぴたりと止めた。


 ……僕はまた、見た目だけで判断しようとしていないか?

 いくら強いからといって、好きな相手との関係が破綻して、落ち込まないでいられるか?


 僕は表情を引き締め、再び彼女に向き合った。


「本当にそうならいいが、無理はしなくていいからな」

「えー、なに言ってんの。君嶋のくせ…………あ、あれ?」


 テンション高く笑っていた愛衣さんが、慌てたように俯いた。

 

「あっれぇ、おっかしーなあ。えへへ。全然吹っ切れてたんだよ? もう1ミリも好きじゃないし。でも、なんでかなぁ。なんか……涙が止まんないや」


 隣からすんすんと鼻をすする声まで聞こえてきた。

 やはり、我慢していたのだろう。


 箸を膝の上に置き、まっすぐ前を向く。

 泣いている人を直視するのは失礼だと思った僕が、唯一できることだった。


「うえーん」


 小さな泣き声と同時に、腕にずしりと程よい重みを感じた。


 ……仕方ない。今日だけは腕を貸すか。


 彼女の気が済むまで、僕はそのままの姿勢で待つことにした。


 失恋は、それほどにも痛いものなのだな、愛衣さん。






 それから5分ほどで愛衣さんは泣き止み、腕から離れた。


「ごめん。隣にいてくれて、ありがと……」


 スンスンやりながらそんなことをつぶやく彼女に、ポケットからハンカチを出して渡した。


「それ、清潔だから使ってくれ」

「なにそれ。ふふっ。なんか最近、君嶋がジェントルメンで調子くるうんだけど」

「ああ、僕だけうまくいって、なんだか申し訳ないからな」

「やっぱ腹立つ!!」


 二の腕に本気パンチが飛んできた。結構痛い。


「あ。そういえば君嶋の服、買えてないじゃん! ねえ、今度の土曜日にお出かけしようよ!」


 愛衣さんは唐突に言うと、僕の腕を豪快にゆさぶった。


「それが今日呼び出した用事なのか?」

「あー……そうそう!」


 この反応は、違うな。


「申し訳ないが、デートは」

「は? こんなのデートに入るかっ! お・買・い・物! うぬぼれんなし! デュクシデュクシ!」


 また二の腕の同じところを殴られた。痛かった。


 そんなわけで、土曜日はめでたく友人との予定が入ることになったのである。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る