二話⑫

 つまるところ、方丈たまきは何ものなのだろう? 

 その答えの一端は、ネット上にあった。「方丈、卵、しんらんさま」と検索サイトで打ち込むと、『金光(こんごう)しんらん教』という新宗教について記されたページが数多くヒットした。

 戸惑いのまま、ネット百科事典サイトのページを開くと、金光しんらん教のことが概要、教義、発展、解散の経緯などの各項目にわたりまとめられていた。


 金光しんらん教とは方丈たまのが起こした民間信仰を元にした新宗教である。本拠地は岡山県A市で、信者もほぼその範囲内に限られていた。


 書かれているように、金光しんらん教は全国に信者を持った宗教ではなく、この地域に基盤のあった新宗教のようだった。

 方丈という姓がそうあるとは思えない。方丈たまきは、この方丈たまのの子孫か、少なくともその血縁だとみてもいいだろう。


 大正十年、方丈たまのの夢に蛇神が現れたことに、その端を発する。蛇神は方丈たまのの体内に入り込み、そのなかで自身の姿を卵へと変じた。

 それ以降、方丈たまのは不可思議な能力を発現させるようになった。手かざしによる傷病の治癒や、天災や戦争の発生を言い当てること、また透視をすることなどができたと伝えられる。


 手をかざしたくらいで、病気やケガが治るとは思えないし、予知も透視もトリックを使えば、その説明も簡単につくだろう。


 方丈たまのの体内で卵へと姿を変じた蛇神はしんらんさまと呼ばれ、信仰対象となった。しんらんの字は「神卵」、「新卵」、また「真卵」とも現されたが、決まった表記はなく、本尊はそのまま卵の姿をとる。

 しんらんさまを宿した方丈たまのは、たまひめと呼ばれるようになったが、それは神の巫女であり、蛇巫(へびふ)信仰の亜種かと考えられる。また、方丈たまのよりあとは、その直系子孫の女児がたまひめの地位についた。


 もともと、方丈の家は市女先輩の実家である尾形家の分家だった。家が分かれるとき、しんらんさまへの信仰が方丈の家にも移ったことも、やはり間違いなさそうだった。

 ただ、そこから信仰の形は異なっていったようだった。

 方丈たまのが金光しんらん教を興し、『たまひめ』という、金光しんらん教の教祖のような地位についた。


 金光しんらん教の世界観は日本では見られない卵生(らんせい)型の神話をもとにしている。

 原初のとき、卵から生まれた世界は激しい混沌がうずまくばかりだったが、そのうずのなかから、何匹もの蛇神たちが誕生した。

 蛇神たちは自らの元となった混沌と同じく、荒々しい性格を持ち、争い、自ら相食むことになった。

 長い闘争の末に残った一匹の大蛇がしんらんさまであり、大地はしんらんさまの大便から、海はその小便から、そして空気はゲップにより誕生した。

 このように生まれた世界に、終焉をもたらすものも、同じくしんらんさまである。

 終末のとき、しんらんさまは世界のすべてと、自分自身すらを食べつくした末に、一つの卵を産む。

 しんらんさまが原初の世界卵に戻ることを、金光しんらん教では『たまごもり』と呼び、神話はその卵からまた新たな世界が生まれるという円環的な構造を持つ。

 ただし、これは方丈たまの自身の考えではなく、それより後年に創造された疑似的な神話である。当時、流行したビッグバン理論やウロボロスなど海外の諸神話からも影響を受けていることが……。


「これか……!」

 記事を進めていた手が止まり、思わず声が出た。

 方丈の口にしたたまごもりとは、生家である金光しんらん教の教えがもとになっているのだ。

 あの夜、方丈たまきが言ったことをまとめれば、ひきこもりのような、いわゆる生きづらさを抱える人間を誰からも、また何からも傷つけられないよう、卵のなかへと、閉じ込めてしまおうというものになる。

 そのことが、ましろやほかのひきこもりたち、そして、方丈自身の救いにもとなると言っていた。

 けれども、今、ネットで調べた限り、金光しんらん教がそんなことを標榜していたとは思えない。

 金光しんらん教の開祖である方丈たまのが、尾形家のそれとは異なる信仰を築いたように、あいつもまた独自の信仰を求めたのだろうか。

 ということは、方丈の元にいたしんらんさまも尾形家で信仰されるものとは、やはり、別の存在になるのか……?

「…………」

 わからないことは考えても仕方ないと、もう一度、記事に目を戻す。

 読み進めると、一時はそれなりの隆盛を――とはいってもこの県下だけではあるけれど――ほこった金光しんらん教も、今はその活動を行っていないようだった。

 その経緯は、ひどく世俗的なものだった。今から十年以上前のこと、金光しんらん教のスキャンダルがあらわとなった。

 信者たちに必要以上の金を寄付金としてまきあげ、それを宗家家族たちが私的使っていたこと、当時のたまひめ、方丈たまよに何の不思議な能力もないこと、それにもかかわらず、特別な力があると見せかけていたことなど……。

 突如として、まき起こったバッシングに耐えかねたのか、方丈たまよは幼かった娘を残し、自ら命を絶った。

 一方、父親は教団の金を持って、どこかに姿を消してしまったという。以降、金光しんらん教の活動は下火となり、今は解散状態にあると記事は結んでいた。

 方丈たまよが残した娘というのが、方丈たまき……、やっぱり、あいつなのだ。

 あの夜、方丈たまきの姿を見て、カルト宗教の教祖のようだと感じたのもあながち間違いではなかった。

 以前、方丈がかつて自分は神だったと言ったのも、神の巫女とあがめられる立場から一転、みなから誹謗中傷を受ける立場となったということだろう。

 本当に、人にはそれぞれ事情がある。方丈の抱えるそれは、俺のものよりずっと重いものだった。

 方丈のことは少しわかった。

 それでは次に、しんらんさまのことで何かわかりはしないかと、日本だけでなく、世界中に伝わる蛇の神や怪物たちのことを調べてみる。

 ヤマタノオロチ、女媧(じょか)、ウロボロス、ヨルムンガンド、ゴーゴン、メデューサ、バジリスクなどと、少し調べてみただけでも、数多くの名前が出てきた。

 その姿形も様々で、そのまま大蛇の姿をとるものもいれば、ギリシア神話に出てくるエキドナという怪物、フランスに伝わるメリジューヌという蛇の女神はしんらんさまのように、半身が人間、下半身が蛇という姿を持つようだった。

 エキドナはまた別の怪物であるテュポーンと交わり、ケルベロスやヒュドラといった数々の子ども――蛇から三つ首の犬の怪物がどうして?――を産んだ。

 メリジューヌは人間の王と妖精の間に生まれた子で、呪いにより週に一度、下半身が蛇の姿になってしまったという。

 また怪物譚とは少し異なるけれど、普段は人間の姿をしていても、その正体は蛇だという神話や昔話も多く目についた。

 例えば、それは夜な夜な妻の元に通ってくる夫の正体が蛇だったというものや、ある男が助けてやった蛇が人間の姿になり、その男の妻になるも……、という話だ。

 外国のものだけではなく、日本の神話に出てくる神のなかでも、蛇の姿を持つものもいた。市女先輩に教えてもらった三輪山に住むオオモノヌシノカミもそうだという。

 それにしても、どうして蛇が神や怪物になると、古今東西の人々は想像したのだろう。

 もちろん、神や種々の怪物とみなされる動物は、蛇に限らない。

 エジプトでは人の身近にいる犬や猫が、インドでは象が、またアイヌ民族の間では熊が人々の信仰の対象ともなったけれど、蛇に対し、人はどのような神性さ――もしくは異形性――を見出しのか。

 端的に言えば、それは不死と再生性にあった。そのことを顕著に示したものが、自分の尾っぽを口でくわえたウロボロスという蛇だ。

 もちろん、実際の蛇が永遠の時を生きるわけがない。ただ、古い皮のなかから――なんとまぶたですら――新しい皮をともない姿を現す脱皮という習性が、人々にそんな思いを抱かせたのかもしれない。

 加えて、蛇が神とも怪物ともされたのは、あまりにもほかの動物とかけ離れたその姿に、太古の人々が畏怖の念を持ったからだろう……。

 世界中に、そんな神さまや化物がいることはよくわかった。ただ、俺は知識を得たかったわけではない。

 問題は対処法だ。つづけて、蛇の怪物たちを退ける方法を調べてみても、俺自身が特別な力や武器を持っているわけでもないので、得るところはなかった。

「誰か何とかしてくれ……」

 調べに使っていた携帯を投げ出し、床の上に倒れこむ。

 今、俺が直面している状況はもう自分一人の手に負えることではない。そうとはわかっているけれど、いったい誰が俺たちを助けてくれる? 

 警察に言ってみても、信じてもらえるとは思えない。当たり前だ。いたずらか頭のおかしな人間の戯れ言だと思われ、おわるに決まってる。

 それでは、霊能者とか、そういう特別な力を持つ誰かに頼るのはどうだろう? いや、そんな知り合い一人もいないし、人間にあれがなんとかできるとも思い難い……。

「あっ!」

 そうだ、あの夜、俺たちを助けてくれたやつはどうだ? 

 いや、だめだと、思いついた考えを即座に否定する。

 小屋から逃げ出したあと、そいつは俺たちに名前も告げずに、姿を消していた。誰かもわからない相手に連絡なんかつけられない。

 結局、俺がなんとかしなければならない。ましろを守れるのは俺だけだ。台所に降りて、包丁を取り出す。怪異は刃物を嫌うという。しんらんさまもそうであるかわからないし、これ一つで、どうにもならないだろうけれど、何もないよりマシだ。

 昔、ましろを守るために手にしたカッターが、今は包丁に変わっている。その相手も、変態から怪異になった。

 ――どういう皮肉だよ。

 鈍く光る刃を見つめて、俺はしばらくその場に立っていた。

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