第2話 少女時代②

『起きて。ウラカー』

 眠っていたのはほんの一瞬に思えた。

 実際は何カ月もかけて減速するのだが、麻酔は眠るためのものではなく意識を失うためのものなので、夢を見ず一瞬に感じられる。変わらず私は海の底で固定されていた。

「うぅ……」

 私は小さくうめいて目を開けた。

 横を見ると彼女がいた。

『大丈夫?』

『うん、なんとか……それよりどうして起こしてくれたの?』

『ようやく願いをかなえてあげられるから』

『それってどういう……』

『上を見て』

 体内時間を図ると、私が星を見たいと言ってから何週間もたっていた。そしてようやく。ようやく願いがかなったのだ。

 私は感動に打ち震えながら、ゆっくりと頭を上げた。

 そこには星空が広がっていた。見えていた暗闇は窓だったのだ。宇宙船が減速したことにより、宙が見えるようになったのだった。雲のような星の集まりが窓の中心を区切っていて、グラデーションのように星が薄くなっていっていた。それはどこまでも広がり、深く、そしてとても美しい光だった。

 私はそれをずっと見ていた。星空を見ているの自分がいかにちっぽけな存在かをわからされた。それでもだからこそ、自分はここにいるのだと実感できた。

「きれい……」

私は思わずつぶやいた。

『よかったね』

彼女は微笑んでいた。

「うん……でももう終わりなの?」

 何時間でも見つめていたかった。しかし今になって現実のことを思い出し、これからのことが不安になった。

『そう、減速は終わった。私たちはこれからまたどこかへ行くことになる。あなたは教育機関に入ることになると思う』

「……じゃあこれでお別れなんだね」

『残念だけど』

「そうだよね……ねぇ、ねぇ、最後に握手してもいいかな」

『うん』

 シートの拘束を外した後、私は彼女に手を差し出した。

 彼女はその手を握り返した。

「また会えるかな……?」

『いつかきっと』

 私たちはしばらくの間お互いの手を握っていた。

『そうだ、最後に私の本当の姿をみせてあげる』

 出し抜けに蛸がそんなことを言い出した。

『えっここに来てるの……?』

『そう私の本当の姿』

『へー楽しみ』

『紹介する』

 次の瞬間、水流が乱れた。大きな影が、星空をバックにシルエットをかたどった。

 初めに見えたのは触手だ。何本もの足がうねりを帯びながら、海の中を動いていた。

(ダイオウイカ……? いや、違う)

 イカやタコにしては足が多すぎる。そして体が大きすぎた。居住用施設の部屋一つ分程度の大きさはあった。次にクジラを連想した。しかし開いた足の隙間から見える目玉のような怪しげな光がその連想を裏切った。何かの生き物であるのは間違いないが、私の知るどの生物にも当てはまらないものだった。

 巨大な頭部と思われる部分がこちらを向くと、赤い目が瞬いた。

(目が合った?)

 巨大な目はじっとこちらを見つめていた。そして再び、目が合う。

 その時私は恐怖を感じた。

 それはまるで未知の存在に対する本能的な恐怖だった。

「ひっ!」

思わず悲鳴を上げる。

『ウラカー! 大丈夫!』

 慌てている水槽守の声が聞こえる。

『あれ……なんなの……?』

『あれが私の本当の姿、このARを介入して今は話している。<<鯨蛸>>という名前の生物なの』

『あれが……?』

『大丈夫。ああ見えて結構優しいから。なんて自分で言っちゃうけど……私と握手してくれる?』

『わかった……』

 私は震えながらも差し出された手にそっと触れた。

「あっ……」

 思わず声が漏れた。

 その温度と肌ざわりに懐かしさと安心を覚えたのだ。

 私はその感触に覚えがあった。柔らかいようで固い。強く握ればちぎれてしまいそうだが、確かに弾力を感じた。

 確かにこの巨大な彼女と出会ったことを覚えている気がした。

 私はふと疑問に思う。

 なぜこの宇宙船にいて、そして私の前に現れたのか。

 彼女は一体何者なのか。

『私は「ゼィ71#」。ゼィと呼んで』

 私の疑問を察してか小さいほうの蛸が言った。

『ゼィ……素敵な名前』

『えっ名前を褒められたのなって初めて――あっ』

 次の瞬間ゼィの脚が私を包み込んだ。

 そして事態を把握する前に、私は彼女の脚の隙間の口の中に入れられる。

 あまりにスムーズに口に入れられたので、反応できなかった。

 ……もしかして食べられてしまう……? などと思っていたら、すぐに口から出されて、また同じ場所に置かれた。

『なっ……なにがあったの?』

『これ、水中ドローンがこの水槽に入り込んでいたみたい。もしかしたら殺傷能力がある奴かと思って、いったんウラカーを口の中に避難させたの。でもこれはカメラが付いているだけで、武器は持っていないみたい』

『そうだったんだ……』

 確かにゼィの脚の一つが機械を握りしめていた。そしてそれが握りつぶされて残骸が散る。もしかしたらまだいるかもしれない。そう考えると私は怖くなった。

『そうだ! 帰りは私の背中乗せて行ってあげるよ。その方が安全だしね』

『いいの? というかそんなことできるの?』

『いいの、いいの。さあのってのって』

 言うが早いか、私はゼィにまたも掴まれて、背中に乗せられた。正確には後ろの脚でしばりつけられているような感じだった。

『さあいくよ。びゅーん』

『うわあ』

 掛け声とともに、ゼィが泳ぎだす。

 私は振り落とされないように、必死に捕まった。

『すごい』

『もっとスピード出す?』

『いや、十分だよ』

 星空をバックに私達は泳いでいく。もしかしたら見る方向によってゼィは宇宙を泳いでるように見えるんじゃないかなって思った。

『今日はね、ウラカーに会えて本当に良かった』

『えっ、私何もしてないよ』

『私はね、怖かったんだ。本当の姿を見せると怖がられるどころか、蔑まれるんじゃないかなって』

『最初はちょっと怖かったの。でも優しい人だってわかったから』

『優しくなんて全然ないよ……でもそう言ってくれるのはうれしい』

 その声はどこか悲しげだった。何かあったのだろうか……。でも詳しくは聞いてほしくなさそうだった。

 だから私が言えたのは一言だけ。

『私達、また会えるかな』

『会えると思うよ。私とウラカーはもう、友達だもん』

『うん! ねえ友達どころか、家族になろうよ! 今度出会ったらね』

『かっ、家族!? 大胆だね……』


 ゼィはすごい声を出した。私は何かおかしなことを言っただろうか……

 彼女は少し考えた後、こう言ってきた。


『……もう一度出会った時、それでも家族になりたいのなら……家族と言うものをまだ信じられているのならいいよ』

『やった!』

私は嬉しくなって返事をした。

私は多幸感に満たされていた。父のこと、これからのこと。問題は山積みだったのにもかかわらず、その時は幸せだった。

 現実逃避が目的だったのだから成功はしていたのだろう。

しかし逃避だったとしても、ほんの短い間だったとしても、ゼィとの出会いは大切な思い出だった。

 結局その後私は家族を失うことになるので、その思い出だけが私のよりどころとなったのだった。

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