アースガンドロ戦記 〜それいけ魔王ちゃん!〜

矢田川怪狸

第1話

「クレイバー=メイデル! 貴様との婚約を破棄すること、ここに宣言する!」

 

この国の王太子であるガストン=レイゼルの凛とした声が響き渡る。

場所はこの国で最も古い社交ホールとして知られるルピナスホールの大宴会場、トゥワイライト学園卒業パーティーが行われている真っ只中でのことである。


ホール一杯の卒業生及びそれを見送る在校生、そして保護者の方々が見守る中でのことであり、一同の視線全ては声を上げたガストンに向けられていた。そして彼の右腕は小柄で儚げな聖乙女、フールを抱き寄せている−−めちゃくちゃありがちな、よくある断罪シーンというやつだ。


ガストン王太子とクレイバー嬢の婚約は、そもそもが政略目的のものである。それゆえにガストンは幼い頃からクレイバー嬢を疎んでいる節があった。


それがトゥワイライト学園に入学した途端に、聖なる力を身に宿した聖魔法使いで聖女候補の聖乙女という、神聖の大安売りみたいな少女に入れ上げ始めたのだから、周囲としては、まあ、いずれ婚約破棄に至るだろうなという予感はあったわけだ。

だから混乱はなかった。


もっとも誰もが無言というわけではなく、公衆の面前で声高らかに婚約破棄宣言なんてしなくとも、もっと穏便な方法はいくらでもあるのに、わざわざクレイバー嬢の瑕疵になるようなやり方を非難する囁き声はいくつも聞こえたが。

その声さえも、自分の腕の中で怯えて身を震わせている聖乙女を守るという使命に酔い……燃えているガストン王太子には聞こえない様子であった。


彼は朗々と断罪の声をあげる。


「貴様は私の寵愛を受けるフール嬢に嫉妬した挙句、彼女を害そうと企てた、既に証拠は上がっているぞ、観念しろ!」


断罪の台詞もありがち。


「ガストン様、クレイバーさまを責めないであげて」


潤んだ目で自分を庇う王子サマを見上げる儚げな少女というのもありがち。

 

さらには王子の後ろにこの国の宰相の息子と、騎士団長の息子という二人のイケメンが控えているという構図もありがち。

さらにさらに、さっきまで儚くか弱くぽろりと涙なんか流していたヒロインポジションのフール嬢が袖で顔を隠しながらニヤリと邪悪な笑みを浮かべたのもありがちだし、本当にどこからどこまでありがちな、なんてことない断罪シーンである……はずだった。


ただ一般的な断罪シーンと少しだけ違うところを挙げるとするならば、王子に睨まれているクレイバー=メイデル嬢の容姿が全く悪役令嬢っぽくないという点だろうか。

彼女は、なんというか、こう……全体的にもっさりとしているのだ。


クレイバー=メイデル嬢は王妹の降嫁先であるメイデル大公家の息女だ。だから仕立ての良い黒いシルクのドレスを着ているのだが、これがまるっきり似合っていない。

なぜかというと貴族令嬢であれば気合と根性とコルセットでこれでもかというほど締め上げて作り上げる『くびれ』というものが一切ない、ありていに言えば寸胴なのである。


濡れているかのように重たい黒色の髪を長く伸ばして、前髪は目元を隠すように垂らしている。髪の隙間から見える鼻筋や口元は整っているのだが、頬がふんわりとふくよかであることは隠せない。


おまけに猫背気味で俯きがちで、ぱっとみ陰気な雰囲気がダダ漏れすぎて、美人だったり気が強そうだったりの代名詞である悪役令嬢からはあまりに程遠い存在なのだが。


そのクレイバーが、モゴモゴと何事かをつぶやいた。


「あの、本当に婚約を破棄してもよろしいんでしょうか」


陰気な口調、小さな声にガストンがイラついて叫ぶ。


「あ? 聞こえねえんだよ、はっきり喋れ!」

 

一国の王太子とは思えない柄の悪さに、周りは眉を顰めた。

勢い、チンピラみたいな王子サマに怒鳴りつけられた気の弱そうな令嬢に同情が集まる。


しかし当のクレイバーは特に揺らぐこともなく、さっきより少しだけゆっくりはっきりと言葉を紡いだ。


「本当に、婚約破棄をして、よろしいんですね」


「いいに決まってるだろ、なにしろ、聖女候補を害するような女は国母としてふさわしくない」


「ちなみに、私がどうやって彼女を害しようとしたのか、伺っても?」


「自分のしたことだというのに、シラを切ろうというのか、それとも……はは〜ん、あれだけ酷いことをしておきながらいじめをしたという自覚がないということか、お前にとっては軽いおふざけだったのかもしれないけどなあ、フールは心底傷ついて、怯えて、そのせいで学校にも来れなくなったんだぞ!」


「ですから、具体的にどのような行為がいじめに当たるのか、お聞きしても?」


「よかろう、マクシミリアン、教えてやれ」

 

ガストンの後ろに控えていた宰相令息が一歩進み出る。

彼は手にしていた巻き紙を広げ、軽く咳払いをした。


「では、読み上げます。こちらは全て、フール嬢の訴えにより生徒会役員権限で学内捜査を行い、承認及び証拠を押さえてあります、それゆえに言い逃れはできませんよ」


前置きしてから読み上げ始めた罪状もなんともありきたりで……曰く教科書を隠されただの、制服を破かれただの、階段から突き落とされそうになっただの、大衆小説をさがせばいくらでも転がっているような些細な嫌がらせの数々が、なんと100項目も!

 

クレイバーはそれをじっと聞いていたが、全ての罪状が読み上げられ終わると、深々と頭を下げた。


「それを全部調査なさったんですね、ご苦労様です」


宰相令息がわずかに狼狽える。


「な、は? なぜあなたに労られる必要が?」


「いえ、それだけの数の罪状、きちんと調べて証拠まで揃えるにはお時間がかかったでしょう、単純に、その手間と時間に対する敬意です」


「あ、まあ、それは……はい、ありがとうございます?」


ガストンがチンピラじみた巻き舌でそのやりとりを制する。


「っざけんなよ、馴れ合ってんじゃねえ」


しかしクレイバーは、相変わらず揺らぐことなく冷静であった。


「それだけの罪状と証拠があるのならば、婚約破棄という措置も当然かと」


「はっは〜ん、認めたな、自分の罪を認めたな、だが俺は優しいからな、言い訳くらい聞いてやらんこともないぞ?」


「いえ、無駄ですね、私はそのいずれの事件も関わっていませんが、無実であるということを証明する手立てがありませんから、こういうの、悪魔の証明って言うんですけど、ご存じです?」


「ああ、そうやって知識マウントとる! そういうところが嫌いなんだよ、可愛げなくって!」


「そうですか、きっとそちらのお嬢さんはさぞかし無知……いえ、無垢で世間知らずなのでしょうね」


「っだと、あぁん?」

 

もしもこの王太子が無能でなければ、前髪の隙間からほんの一瞬透け見えたクレイバーの表情に気づいただろうか。

彼女は、前髪に隠れた目を細めて、それはそれは嬉しそうに笑っていた。


「よろしいですわ、婚約破棄。私も愛し合うお二人を引き裂こうというほど鬼ではありませんから」


「な、なんだ、物分かりがいいじゃないか」


「ただし!」


「な、なに!」


「私を衆目の晒し者にして辱めた罪、それはきっちりと償っていただきますわよ」

 

その言葉を聞いたガストンは、ようやく冷静さを取り戻したらしく、周りを見遣った。

ホールいっぱいに詰め込まれた卒業生も、それを送る在校生も、そして保護者までもが自分に注視している。


「なるほど」


ガストンも一応は王族、高位貴族の令嬢に対しての態度として、ちょっとやり過ぎだったことに、ここで初めて気づいた。


「確かに、このようなプライベートなやりとりを、いま、この場でするべきではなかったな」

 

外面を取り繕ったところで、もはや素はガラの悪いチンピラだとバレバレなのだが。

自分に向けられている視線の大半が冷たいものであることに気付かぬガストンは、王族らしい傲慢さで胸を張った。


「よかろう、確かに非常識な振る舞いであったことを認め、償ってやる、望みはなんだ」


「ふふふ、それは後でよろしいですわ、先に婚約破棄の手続きを終わらせてしまいましょう」


「ふむ、では、そのための書類を用意させよう」


「それも後でいいのです、まずは婚約宣誓の首輪を外してください、書類上の手続きなんてその後でよろしいじゃありませんか」

 

クレイバーはドレスの首元を軽く押し下げる。

その首には太い銀のチョーカーが光っていた。

首の太さと形にピッタリ沿うようにはめられたそれは、装飾目的というよりは猛獣を鎖に繋ぎ止めておくための、まさに『首輪』の風格を感じさせる代物だ。


ガストンの隣に立つフールは、その首輪を見て身を震わせた。


「ねえ、ガストン様、日を改めたほうが良いと思うの、私、ちゃんと婚約破棄してもらえるまで待てるし」


彼女は膝からガタガタと身を震わせて全身に冷や汗をかいているのだが、ガストンはそんなことには気付かない様子だった。


「どうして待たなくてはならないんだい、私は一刻でも早く婚約の楔を解いて、君と存分に愛し合いたいと思っているんだが、君はそうじゃないのかい?」


「えっと……そ、そうね、私も早くあなたと自由に愛を交わしたいわ、でもね、なんか、こう……嫌な予感がするの!」


「ふふふっ、私の小鳥は臆病でかわいいなあ、大丈夫、首輪を外すだけだからね」


「いやっ、もう、そんな、そういうレベルの嫌な予感じゃないんだってば」


フールは今にも膝から崩れ落ちそうなほど怯えているというのに、ガストンは小さく肩をすくめただけ。


「大丈夫だって、こう見えて俺、強いし、何かあったらクレイバーの一人や二人、切り捨てればいいだけだし」

 

クレイバーの口元が大きく笑いの形に歪んだ。

それはいかにも「面白い冗談を聞いた」と言いたげな笑いであったが、ガストンは気づくことなくクレイバーに歩み寄った。

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