自殺体験

霞杏檎

自殺体験

 私は、リビングの真ん中で立っていた。

 時間は夜中の2時、厚手のカーテンで外の街灯の光さえ入らないその部屋でスマホの明かりだけが私を照らしている。

 私はとある番号に電話をかけようとしていた。

 電話番号『0120-889-427」

 私はスマホで番号をタップした。

 どきどきと胸の鼓動が高鳴り、手汗が玉になって出ている。ゆっくりと深呼吸をしながら、スマホの電話ボタンを押した。


 プルルーープルルルーー


 いつも母親に電話をかけている時と同じ音、いつもドキドキする音のはずなのに、今日はそうではなかった。

 いつもの胸の高鳴り方ではない。

 胸の辺りで何かがつっかえている様な、気持ち悪くて重い感情だけが私にある。

 幾分か経って電話の相手が応答した。


「はい、こちら【自殺体験】申込み窓口です!」


 明るめな口調の女性が対応してくれた。


「すいません……自殺体験をしたいのですが」


「自殺体験をお申し込みですね!! 本日の体験は初めてでいらっしゃいますか?」


「……はい」


「そうでしたか!! では、申し込みを始める前に自殺体験について少しだけご説明させて頂きます! 自殺体験とはその名の通り、自殺を体験していただきます。

 貴方は私共の手によって一度、肉体と魂を分離させて頂きます。そして、自殺から3日間ほどの様子を見る事ができると言うサービスになっております。

 もし、このまま自殺をご希望の方は手順に従って自殺の手続きを完了したのち、ご案内いたします。もし、自殺をキャンセルされる場合はこちらへ連絡する以前までのお身体にお客様の魂を入れて、体験終了になります。

 ただし、自殺体験中の記憶は一切削除させていただきますのでその点はよろしくお願いします。お客様のお身体の事につきましては企業秘密とさせて頂きます。ここまで何か質問等はございますか?」


「と……特にないです」


「承知いたしました! それではお客様のお名前とお年をお伺いしてもよろしいですか?」


「佐藤 瑠美子です……23歳です」


「ご住所は?」


「〇〇件××市ーー」


「はいはい……では、どの様な自殺方法をお考えですか?」


「く……首吊りで……」


「首吊りですね!! 承知いたしました。それではお手続きの方が完了いたしましたので、間もなくそちらのお部屋にロープが吊るされますのでどのタイミングでも構いません! 自殺して結構ですよ。そこから、体験開始となります」


「……分かりました」


「はい! それでは自殺ライフをお楽しみくださいませ♪」


 そうして、電話は切れてしまった。

 切れたと同時に私の頭上からパサっと言う音が聞こえ、違和感を感じた。

 恐る恐る上を見るとそこには自殺用のロープが取り付けられていたのだ。縄は白く、太く、そして硬く捻られており、私が吊ったところで切れる事はない丈夫な様子だった。

 一体誰がどうやってすぐに取り付けたか……なんて事は私の頭の中では余り重要では無かった様で、考えることもしなかった。

 ただ、私は今から自殺するのだと言う現実を突きつけられ、少しだけ怖気付いてしまっていた。

 死んでもいいのだろうか? でも、体験だから……やり直せるから、少しが見たいだけだから。

 そう言う、軽い気持ちだった。

 でも、実際は正直死にたいとも考えていた。

 大学を卒業して、田舎の大学から東京に出た私は大企業に就職。しかし、入社して早々にそこでさまざまなトラブルがあり、私はまた田舎へ左遷させられた。

 交通の便もお店も揃っていない田舎町で、勿論友達もいない。私の友達は距離があって連絡手段は電話かメールのみだった。しかし、周りも忙しい為、疎遠気味になっているのが否めなかった。

 新しくきた仕事先でもうまくいかず、同僚にはいじめられて、残業をする毎日だった。

 そして、挙句の果てには彼氏にも愛想を尽かされて別れてしまった。そして同時に、母の認知症が悪化し、毎回私が電話をかけると『もう娘は死んでいます!』と言うのだ。その時、私の理性の糸がプッツンと目の前で切れた様な気がしたのだ。

 それから、支えを失った私は自暴自棄になり、毎日生きることがつらくてつらくてしょうがなかった。

 少しでも気を紛らわすために、あまり飲めないお酒を飲んだり、市販の風邪薬を過剰摂取して、オーバードーズを楽しんだりしていた。

 そんな極まった生活をしながらネットサーフィンをしていた時、私はある広告を見つけてしまった。


『苦しさからの脱却、手助けします! まずは体験からやってみませんか? 【自殺体験】』


 胡散臭い、ネットのバーナー広告が現れたと思ったが、気がつくと私はそれをタッチしてしまっていた。

 そして、私はその内容に釘付けになっていたのだ。


 只で、私が死んだ後の世界が見られるなんて……


 そんな思いと勢いで電話をして今に至っている。


 私は脚立を用意してその縄の前にやってきた。

 これに首を入れて落ちれば死ぬ……

 そう考えるだけで、喉の底から溜まっていた気持ち悪さが出てしまいそうになった。

 しかし、同時に好奇心も溢れ出ていた。死んだ後、家族、友達、そして職場はどうなるんだろうか?

 しかもローリスクで見れるのなら今しかない。


 私はゆっくりと縄を首にかけた。

 手が震える。

 汗が額から流れ出る。


 このまま降りたら……私……


 ……あ


 ゴキッ……



 首の骨が折れる音で私の意識は真っ暗になった。


 しかし、そこからすぐに意識ははっきりしていく。


 目を開けると目の前には首を吊った私がいた。

 首の骨が折れ、重力によって首の皮が伸びてしまっている。ズボンから糞尿が漏れており、地面に滴り落ちていた。


 地面には倒れた脚立が寂しげに置かれている。

 まさか、足を滑らせてそのまま自殺してしまうだなんて、でも、死んだ私をまじまじと見るのもあまり気持ちが良くないものだ。

 髪はボサボサで、顔も老けた様な感じ……到底、同年代の女の子の様な若々しさはない。

 うんざりするので、今の自分を見た。

 腕もなければ足もない。まるで監視カメラにでもなったかの様だった。視点は動かせる。

 自分の死体はもう見たくなかったので、目線を逸らした時、突然視界が変わった。

 ここは私が勤めていた会社だった。カレンダー見るとどうやら私が死んで3日程たったようだ。

 しかし、会社は黙々と稼働しており、私の話をするものはいない。それどころか私の名前も一言も出てこなかった。


 ああ……やはり、会社は私が死んでも何も変わらなかった。


 そう悲しさも怒りも出ない、寧ろ予想通りな展開に溜息しか出なかった。

 また私は目線を逸らす。

 すると、今度は別の風景が見えた。そこに映っていたのは大学の友達だった。


「ねぇ? 何か、誰かに見られてる様な気がするんだけど?」


 友達の中では霊感のある友達の栞が言った。

 私に気がついてくれているのだろうか?


「何言ってんのよ、もしかして……また瑠美子が見てたりして」


 運動神経抜群でいつも元気な加奈が笑顔で言った。


「……」


 栞と私は目があった。見えてもいないはずなのに数十秒は目があった気がした。


「……そうかも」


 そう呟くと憂のある様な背中を見せて2人で歩いて行ってしまった。


 ああ……友達は私が死んでも普通の日常なんだな……


 もう少し悲しんでもいいのではないか?

 まぁ、疎遠気味でもあったのでこんなものかと自分に言い聞かせながら目線を逸らした。


 そして、また風景が変わり、今度は病院の霊安室だった。

 私が横たわっている。余り見たくないので、視界に入れない様にしていると扉が開かれた。

 入ってきたのは病院のお医者さんと私のお母さんだった。

 お母さんが私の顔を見た瞬間、何もわからなそうに『この子は?』っとお医者さんに尋ねていた。

 お医者さんは眉間に皺を寄せ、お母さんに伝えた。


「貴方の娘さんです」


「娘……」


 お母さんはゆっくりと私に駆け寄ると頭を撫でながら膝から崩れ落ちた。

 私の記憶なんてないはずなのに、お母さんが泣いていたのだ。


「おかしいな……こんな事……前にも……でも、悲しい……」


 お母さんの体だけは私の事を怯えてくれていたのだ。

 その光景を見て、私はハッとした。私の理性を切ったお母さんはどんなに私を忘れても、身体は覚えていてくれて入れ事に。お母さんがあんなに泣いていたのはお父さんが亡くなった時以来だった。きっと、お父さんが死んであんなにわんわん泣いた事も記憶は無くとも身体が覚えているのだろう。


 お医者さんの方を見ると付き添いの看護婦さんと何かを話していた。それは真剣そうに。

 何を話してるのか耳を澄ましてみる。


「おい……前……あった……じゃないのか?」


「そうなんです……もうこれで……回……」


 声が小さいのとお母さんの泣く声で2人の声が聞こえなかったが、私は一気に悲しくなった。そして目を伏せ、顔を上げた頃には元の部屋へと戻っていた。

 そして、電話が鳴り、ひとりでに電話ボタンが押された。


「瑠美子様! 如何でしょうか自殺ライフは楽しんで頂けたでしょうか?」


「え……ええまぁ……」


「それは良かったです! さて、今回の体験を通して今後について教えて下さい! このまま自殺しますか? それともキャンセルしますか?」


 もう死んでもいいかなって思ってた。

 みんなは私を忘れ、日常は回る。

 でも、唯一の産みの親であるあの人がすごく悲しんでしまう。もしかしたら、私は間違っていたのかもしれない。

 こんな事で死んでしまうのはお母さんに申し訳ないと感じてしまった。


 もう少し……頑張ってみようかな……


「……キャンセルで」


「承知いたしました! それではまたのお越しをお待ちしております!」


 その言葉ともにゆっくりと視界が真っ暗になる。

 そして、次に目を開けた頃には朝になっていた。


 私は昨日のことが思い出せない。どうして床に寝ているのか? もしかするとお酒を飲み過ぎてしまったのかもしれない。頭痛が凄くて、うまく頭が働かない。

 しかし、気がつくと私はスマホを握り、お母さんに電話をかけていた。よく分からないけど、感謝を伝えたくなった。そして、謝りたくもなった。何故だかわからない。

 けど、今伝えておかなければ後悔すると思ったのだ。


 電話が通じた瞬間私はお母さんに、感謝を告げた。


 しかし、母は相変わらず訳がわからなそうだった。

 それでも、私は訳もわからず感謝と謝罪をした。

 一心不乱に話しをした為、お母さんの言葉など聞こえなかった。

 ある程度落ち着いた時、初めてお母さんの言葉が耳に入った時、母の一言で私の理性の糸が切れた音が聞こえた。


「私の娘は死んでるの!! 3日前に私は娘を失ったのよ!!」


 私はスマホを切った。そして、私はそこら辺にあった安酒をグイッと一気に飲んでベッドへ倒れこんだ。

 今日も無断欠勤……そういえば、会社から連絡こないけど……まぁ……いいか……今日の夜……前のサイトで見た……を試そう。それまでは……ゆっくり……寝かせ……て……

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自殺体験 霞杏檎 @kasumi678a

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