第2話

「よう、姫様! 俺のことを覚えてるか?」


 たくさん人の視線が私に集まる中、恰幅の良い男性が私に声をかけてきた。


 こうなったのは、偶々寄りかかった街の門兵が、私を見るなり、血相を変えて中へ引き入れたのがきっかけだ。


 私は死神憑きの王女として国中に広く知れ渡っている。


 旅の途中で立ち寄った街から追い出される経験なら何度もしたけど、逆は初めてだったため凄く驚いた。


 そのまま寄り合い所らしき酒場に連れられると、戦慣れした雰囲気を醸し出す集団が私を待ち構えていたのだから、尚の事驚かされることになるのだが。


「すみません。正直にいうと、覚えてなくて……」


「そりゃ、そうか! 姫様は忙しいからな!」


 そう言い、笑いながら男性は自らを傭兵だと名乗った。

 傭兵とは、この国で魔物の討伐を行い金を稼ぐ人間のことだ。


 男性は、かつて私が魔物の負傷から救った一人で、その時から私に強い恩義を感じてくれているらしい。


 そんな取り留めのない話をした後、男性はここに集まった人たちの簡単な紹介をしてくれた。


 彼らはお互い仲間ではないらしい。私の居場所を掴んだ人たちが、何処からともなく勝手に集まっただけの烏合の衆だそうだ。


 そんな彼らの目的は死神討伐による武功狙いだという。


 たしかに死神という存在を討伐できれば、その人物の名声は世界中に轟くだろう。

 彼のように私の身を案じて死神と戦ってくれる人もいるみたいだけど、やはり心の何処かでは武功をあげたいと思っているはずだ。


 それでも、私には死神と戦ってくれる仲間がいる。

 そう思うと強い感情が込み上げてきた。


「ありがとうございます……! あと、一つ確認したいのですが、あなたは私のことが怖くはありませんか? 以前、私の従者の一人が私から漂う死神の気配に怯えていたので……」


「ははは! 温室育ちの騎士様は暇すぎて想像力が豊かになってるみてーだな。俺からすれば、アンタはただの良い女にしか見えねーよ! もし姫様がその気なら、俺は死神ごとアンタを嫁に貰ってやっても良いくらいだ。まぁ、そんでも死神は邪魔だから、やっぱり倒さないとな!」


「あははは……」


 傭兵にとって、死とは常に隣り合わせだとよく聞く。

 死神の気配を感じ取っていたとしても、怯えるほどではないのだろうか。


 それにしてもここには傭兵以外の人もたくさん集まっている。

 中には見覚えのある家紋が刻まれた鎧を着た騎士もちらほら見受けられる。

 家名を上げることを目論んでいる貴族が送り込んだのだろうか。


 ……だとしたら、あいつも。


 そう思い、私は見慣れた金髪の彼を探す。……が、やはり彼の姿は何処にも見当たらないかった。


 まぁ彼は私が怖くて逃げたような人間だ。来るわけがないのは当然か。


 彼がいないことは、少し残念だ。

 だけど私には心強い仲間がたくさんできた。


 彼らと共に、死神を倒してやる!


 束の間の安息の中、私は彼らと共に自らの死の運命と立ち向かうことに決めるのだった。


 ――斬首の音が近づいてくる。


 漆黒の鎧を着た死神が、また一歩私に接近した。その存在に狙われた対象は、遂に死神と対峙する。


 決戦の地に選んだのは平野だ。

 ここには障害物などの目立った死角はほとんど存在しない。

 人通りもないため、民間人に死神の被害が及ぶことはないだろう。


 得も言われぬ緊張感が漂う中、遂にその時は来た。


 さっきまで晴天だったのに、辺りは急に霧が立ち込め始めた。


 ……嫌な予感がする。


 そう思った矢先に、強い悪寒が私を襲う。

 と、同時に――


「――何かいるぞ!!!」


 誰かが叫ぶより先に、私の感覚器官がそいつのいる方向へと吸い寄せられた。


 一人の剣士を模したそれは、この場の皆の視線を一身に浴びながら霧の中を孤高に歩いていた。


 赤く虚に光る瞳は、炎のように揺らめき。

 漆黒の全身鎧は、身を守る装備というよりも触れた対称を貫くための鋭利な凶器のようにすら感じられる。


 背には鉄塊としか思えない大剣を携えている。

 人間には邪魔なようにしか思えない大きさの剣ではあるが、その佇まいこそが死神としての正装だと言われたら、腑に落ちてしまうような説得力がある。


 何処までも、何処までも、人を殺すために特化したそいつは、剣士というよりも正に死神だった。


 今まで私の脳裏にいた存在が、遂に現実へと解き放たれた瞬間だ。


 この場の誰もがその異形を前にして呼吸を忘れて固まる。


 暫くして……


「うっ……うぉああああああ!!!」


 金切り声を上げて突っ込んだのは、口髭が特徴的な男性である。

 酒癖が悪く、いつも誰かと口論していて、死神を倒したらその鎧を剥いでオカルトマニアの金持ちに売りつけてやる……そんな風に息巻いていたのを覚えている。

 男は、死神の首元目掛けて思いっきりダガーを振るう。


 対して死神は――何もしない。


 ただ私の元へとゆっくり歩を進めるだけだ。


 絶対強者故の余裕なのだろうか。だけど私たちにとってその油断は紛れもないチャンスだ。


 しかし、ダガーが死神に届くその刹那――男性は私たちの眼前から突然消失した。


 遅れて、ぐちゃりという鈍い音。


 死神の通った場所には赤い血溜まりと臓物が散らばっている。

 それが男性の変わり果てた姿であることを私が理解したのは、死神が二、三歩ほど私に向かって歩を進めた後だった。


 何が起こったのか全くわからなかった。

 過程をすっ飛ばして、結果だけを連れてきたような異常さだ。


 そしてどうやら、目の前の光景を理解できなかったのは私だけではないらしい。

 皆が消えた男性の残骸を言葉なく見つめている姿が、事の異常さを言葉以上に物語っている。

 どうやら今起こったことは、戦闘慣れした人間たちですら理解できない、人智を超えた現象だったようだ。


 もちろん、そのことに関して驚きはある。だけど恐怖は感じなかった。

 単に感情が追いついてこないだけだ。目の前の光景があまりにも現実離れし過ぎていて、もはや悪夢のようにさえ思えてきた。


 こうして、タチの悪い結末を迎えるお伽話は幕を開けた。


 私たちは今――神話の中にいる。


「……ま、魔法よ! 死神は、何らかの魔法を使ってるはずよぉ!!」


 そう叫んだのは、ローブを着た魔法使いの女である。

 巷では『獄炎の女豹』という二つ名で呼ばれている傭兵らしい。酒場で魔法と魔術の違いを理解していない馬鹿が多いと嘆いていた。


 しかし、そんな彼女の死神に対する考察は、残念ながら間違っていると思う。


 戦闘のスキルこそ無いが、私も魔法使いの端くれである。

 だから魔法に関しては人並み以上に知識があるつもりだ。

 だからわかる。死神は魔法を扱っていない、と。


 ならば、魔術かと問われれば、それも違う。


 魔法と魔術の違いは、己に宿る魔力を扱うか、大地のマナを扱うかだ。

 私は魔術師ではないけど、ある程度魔術の知識はある。


 これはあくまで私の仮説にしか過ぎない。だけど確信がある。


 死神が先の男性を殺したのは、単なる肉体能力を生かしただけの神速の攻撃である、と。


 しかし、あの女魔法使いが誤解してしまうのも無理はないのかもしれない。

 なにせ目の前にいる死神は、ゆったりした歩みのまま私に向かってきているだけ。

 その歩みの遅さのせいで、死神が常軌を逸した速さを持っているとは思えないのだろう。


 私が気付けたのは、常に死神に狙われ続けてきたことによって、死神の異常さに耐性があるからに過ぎない。


 世間では理解できない現象を一括りに魔法と呼ぶことがあるが、あの女魔法使いは所謂、その手の俗的な魔法にかけられてしまったようだ。


 私がその認識の誤りを指摘するより先に、魔法使いの女は動いた。

 どうやら、彼女なりに死神の突破口が見えたようだ。


 死神に向かって走りながら詠唱し、死神の眼前数センチという至近距離まで接近して、彼女は自らの手のひらをかざす。


 ――直後、死神の足元に魔法陣が描かれ、紅蓮の炎柱が出現した。


 彼女に与えられた二つ名に恥じない地獄の炎が、死神を呑み込んだ。

 それは、十分な距離があるはずの私の場所にまで、強い熱が届くほどだ。

 これほどの威力ならば、術者もただでは済まないだろう。

 現に彼女の腕は酷く爛れている。


 だからこそ私は思った。


 死神を殺せたかもしれない! と。


 そんな淡い期待が私に宿り、それが正しいと言わんばかりに女魔法使いも与えられた二つ名の女豹のような鋭い笑みを浮かべた。

 どうやら彼女自身も十分な手応えを感じているようだ。


「……やったわ! これで私は英雄――がはっ!」


 燃え盛る炎を見つめながら、愉悦に浸っていた魔法使いの肉体は、一瞬にして絶命の声をあげて消失する。

 先程の男のように死神の攻撃を受けたようだ。


 そして炎から出てきた死神は無傷だった。

 足取りは全く変わらない。どうやら地獄の業火ですら、死神を焼き殺すにはあまりにも生温すぎたようだ。


 ……そして皆が刮目する。


 ただ私の元へとゆっくり歩を進めるだけの存在だった死神が――突然静止したのだ。


 思えば死神の気配を私が捉えて以来、動きを止めたのはこれが初めてのことだった。

 しかしそれを隙と捉えて攻撃する者は誰もいなかった。


 側から見れば、怪異がまた別の怪異へと移行しているのを警戒しての行動に思えるだろう。


 しかし私たちが動けないのは、そんなちゃちな理由などではなかった。


 不思議なことに、この場にいる皆は今、死神の動きに見惚れていたのだ。

 何故なら死神が静止し、剣を引き抜くこうとするその姿が、異様なほどに様になっていたからだ。


 そして死神はゆっくりと、その背に携えた剣に手をかけ――引き抜いた。

 突如として、死神の背にあった剣の全容が明かされる。


 赤黒い刀身は、錆の色なのか、血の色なのか。それ以前にあの剣は、誰が何の目的で生み出したのか……。

 疑問は止まないが、死神と呼ばれている剣士が、鎌という名の剣を引き抜いた。

 そんな事実だけが、今ここにある生々しい現実だ。


 しかし、肌に伝わるこの異様さに関しては、おそらく誰しもが想像すらしていなかっただろう。


 何せ死神は、剣を引き抜いたことによって、先ほどよりも明確に――弱体化したのだ。


 神話の存在が、一介の剣士に成り下がった瞬間である。

 心なしか先程よりも人がましさすら感じられるような気がしてきた。


 知能の高い魔物が人の真似をすることがある。

 多少の剣技くらいならば、真似できるかもしれない。

 けれど、死神からは、人間が鍛錬で培った一介の剣士が有する独特の矜持すら感じられるのだ。

 猿真似にしてはあまりに本格的過ぎる。鎧の中にいるのが、人間のような気さえしてくるほどだ。


 だからだろうか。

 今まで夢見心地だった私の思考が、現実へと引き戻され、私に自らの置かれている状況を考えるだけの思考力が戻ってきてしまう。


 ……あの剣で私を殺しに来る。


 斬首の刻が――すぐそこまで迫っていた。


 けれど理解を超えた現象ではあるが、剣を抜く前と比較すれば、死神は確実に弱くはなった。

 先ほどと比べたら、未だ勝てる気がする。

 そのことで傭兵たちの士気が上がったようだ。我先にと死神討伐に向けて行動を開始した。


「「「あああああああああ!!!」」」


 声音が重なり、一つの雄叫びとなって手練れたちが死神に襲いかかる。

 しかし、弱体化したとしても、剣士としての死神もやはり常軌を逸した強さだということには変わりなかった。


 死神の標的は最も接近した4名。


 剣という名の鉄塊をあり得ない速度で振るい、彼らを一瞬で冥界へと誘った。


「――ごほっ!?」

「――がはっ!?」

「――あっが!?」

「――げふっ!?」


 この場にいなければ滑稽にも思える声音4つが重なり、4つの命が失われた。


 先ほどの神速の攻撃とは違って、大剣を振るう死神の動きは私の肉眼でも辛うじて捉えることができた。


 そして私たちは悟ってしまった。言葉ではなく魂で。

 目の前にいるのは、死を運ぶ神であるということを。

 何故人を殺すのか、何故弱体化したのか。その行動に対して、単なる人間でしかない私たちが意味を見出せるわけがないのだ。


 そして、そんな神の決定を邪魔する者たちに対して、死神はを与えているだけに過ぎない。

 だから、人間は神の決めたことに対して黙って従うのが最善なのだ、と。


 それを心の底から理解した死神に向かって歩を進めていた全員が、一斉に静止し――一斉に後退した。


「「「うわああああああ!!!」」」


 皆が我れ先にと敵前逃亡を図ろうとしたが、自らの決定の邪魔をした者たちに裁き与えるために死神は――疾走した。


 そのまま貪るように手近にあった命を食い散らかす。

 けれど死神の動作は先程よりも早くはなっているが、まだ常識的な範疇。

 走れる者ならば十分逃げられるくらいの早さだ。

 だが、腰を抜かした者や重装で足が遅くなっている者が標的にされ、次々と惨殺されていく、蹂躙されていく。

 そこに慈悲があるとしたら、半殺しで生かすようなことに愉しみを見出さず、淡々と命を食らい尽くすことだろうか。


 この僅かな間にどれだけの命を食らっただろうか。

 しかし死神はまだ食い足りないらしい。

 そしてこの悲劇を止められるとしたら、きっとそれは私の命だけだ。


 私は叫んだ。


「……もうやめてよぉ! アンタの狙いは私でしょ! これ以上関係ない人たちを殺さないで!!!」


 そんな私の叫びは、死神に届いたようだ。死神の標的は即座に私へと移行する。

 命の価値なんてものはわからないが、どうやら死神にとっての私は他の人よりも魅力的なのは間違いないようだ。


 ……だけど、怖い。


 潔く死のうと決めていたというのに、いざ死神を前にすると、それは拙い覚悟でしかなかったようだ。

 私の脚は、恐怖で信じられないくらい、がたがたと震えている。


 あんなに息巻いていた猛者たちは、完全に戦意喪失し、誰一人として死神に立ち向かう者はいないかった。


 ……つまり、私の命は誰もが諦めたということだ。これで光明は完全に絶たれた。


 まぁ自分さえも自分の命を諦めているというのに、今更他人に縋るというのも虫の良い話だ。


 私は深く深呼吸をし、呼吸を整える。


 ……少しだけ落ちついてきた。


 私に何の罪があるのかはわからない。

 殺されるような悪いことはしていないつもりだけど、人の世界と神の世界の罪の基準はきっと違うのだろう。


 もし、来世があるとしたら、その時はこんな結末を迎えなくて済むような、普通の女の子に生まれたいな……。

 そんな事を目の前にいる神に祈りながら、私は斬首の刻を待った。


 ――斬首の音が近づいてくる。


 漆黒の鎧を着た死神が、遂に私に確実な死を与えるために、剣を掲げた。

 決して逃れられない死は――もう目の前まで来ている。


 ああ、そういえば。


 あいつって、神様が嫌いだったな……。


 ――なんで「誓います」って言えなかったのよ!


 幼い日の記憶が、走馬灯のように蘇った。


  ◆


 城内の庭園に幼い頃の私と彼がいて、私が彼に怒っている。

 私が彼に怒っている理由は、忠誠の儀の最中、「主君のために命を捧げることを神に誓うか?」という問いの後に、彼は「誓います」という口上を述べなかったからだ。


 まぁ所詮儀礼的なものであり、10歳の子どもにそこまでの意志の強制は行われないため、そのまま誓いの儀は終わった。


 ……まぁ、そのことで彼は後から使用人にこっ酷く叱られたのは言うまでもない。


 けれど当時の私としては、彼のあの時の態度がどうにも納得がいかなかった。


 だから、城の庭園に彼を呼び出した私は、彼にその理由を問いただした。

 そしたら、彼はこう返した。


「その神様に誓うってのが、どうしても、腑に落ちないんだよな……。それに、俺は人のために命張るって柄じゃねーし」


「……あなたね。これからは一生私の騎士なのよ。騎士ってのは、いざという時、ご主人様のために命を賭けて守るのが仕事なのっ!」


「知るかよ。俺は偶々剣術を極めてたら、こうなってただけで、騎士になりたくてなったわけじゃないっての。大体、そんな生意気な態度の女のために命なんか賭けたくないね!」


「別に私だって、あなたみたいなのに守られたくないわよ。……でも、もしもの事があったら、怖いじゃない? 私って魔法は使えるけど、いざという時にそれを使いこなせる自信ないし……」


「あっそ。……まぁしょうがないから、そういう時は特別にお前を守ってやるよ。でもな、そんなに俺に守られたいなら、ちゃんと腹の底から声出して、『助けてください!』って言えよな!」


「はぁ? ご主人様がピンチなら、黙って助けに来なさいよ!」


「最強の剣士がわざわざ来てやるんだから、それくらい安いもんだろ? 大体、これは俺がお前の騎士だから特別にしてやることなんだからな!」


「はぁ……わかった。あなたと、まともに話そうとした私が馬鹿だったわ。でも、そこまで言うなら約束はちゃんと守ってよね?」


「俺は絶対、約束は破らない男だから安心しろ! 神への誓いだけは死んでもしてやらねーけど」


「あなたって、そんなに神様が嫌いなの……?」


「嫌いってか、絶対神様がいいやつとは限らねーだろ? それに、俺の場合、なんか神様に守ってもらうよりも、神様と戦ってる未来の方がしっくり来るんだよな……」


「脳筋ここに極まれり、ね……。まぁ、あなたなら、神様が相手でも逃げない馬鹿だってことはよくわかったわ……。まぁ私のような信心深い人間には絶対縁のないことだけど、もし私に神様が襲ってきたら、その時はお願いするわ」


  ◆


 なんで、こんな時にあいつのことなんか思い出してるんだろ……。

 死を受け入れてるというのに、いざその時が来たら、助かりそうなことを考えてしまうのは、生への執着がそうさせているのだろうか……。


 まぁどうせ彼がいたとしても死神は止められなかっただろう。

 それに、彼は戦う前に死神から逃げた。約束破りのうそつきだ。


 ……でも。


 私は一度も彼に「助けて」なんて言葉を口にしたことはなかった。

 彼には誰よりも本心を曝け出していたつもりだったけど、今の今まで感謝の気持ちすらも面と向かって言ってこなかった。

 精々、部屋の中で誰にも聞かれないように呟いた程度だ。そこに伝えるという意志は一切なかった。

 もしかしたら、私の元から去ろうとした彼に、「死神が怖いから一緒にいてほしい」と正直に言えていたら、彼は私とずっと一緒にいてくれたかもしれない。


 それができなかったのは、私が本心を晒すことができない、強がってばかりの、意気地なしだからである。


 そんな私が、今更彼へ向けて願うのは、あまりにも遅すぎるのかもしれない。

 何せ彼は、最早私の騎士ですらないのだから。

 それでも、溢れ出た気持ちは止められなかった私は、魂の底から彼へ助けを求めた。


「助けてよぉ……!」


 恐怖のせいで思ったよりもか弱い声が出た。これが王女として、私としての最後の言葉だとしたら、酷く情けないものだ。


 そんな死神の足音に消されても不思議ではない声音に、何処からともなく返答が返ってきた。


「……助けてくださいだろ、バーカ!」


 聞き馴染みのある声と共に、見慣れた金色の髪の彼が私の前に立つ。

 そして――


 ――斬首の音が遮られた。


 神の定めた死の運命は、一人の勇者によって止められる。神の決定に唯一異を唱えたそれは、この世界で唯一私の明日を願う者。


「……え?」


 生きている? 死神の剣が、目の前で止まっている?


 そんなことよりも。


 なんで、どうして。


 あなたがここにいるの!?


「うおああああああ!!!」


 彼は死神の剣を押し返す。そして死神は、初めて後退した。


 だが、死神もやはりただ者ではないらしい。即座に彼に斬りかかる。

 そして寸出でそれを避ける彼。


 剣の素人である私にも、目の前で起こっていることが只事ではないことくらいはわかる。


 でも、今はそのことよりも気になることがあった。


「なんであなたがここにいるのよ!?」


「約束したからにッ、決まってるだろがッ!」


 そう言い、彼は死神に斬りかかる。


 初めて会った時は、世界一の剣豪になるという夢を掲げる変なやつだと思っていた。


 強さを追い求めるのが男の夢だと語る彼に対して、強さなんてある程度あれば良いと考える私。


 こんなことにさえならなければ、今でも私の考えは変わらなかっただろう。

 いや、こんなことになっていても、強さを追い求め続ける彼が、変人なのは間違いない。


 だけどそんな変なやつの剣は、本当に世界に、その頂にいる神に――届いた。


「――!?」


 声にならない声をあげる死神。

 彼の剣を受けて、遂に死神はその膝を折った。

 と、同時に彼の剣は衝撃に耐えきれず砕け散る。


 結果として、死神は怯んだだけ。だけどそれは大きな隙となった。


「逃げるぞッ!」


 そう言い、彼は私の腕を強引に引っ張り、全速力で走った。


「でも、私がいたら死神が追ってくるのよ!? もしかしたらあなたまで殺され――」


「――その時は、何度だって死神を追い払ってやるよ。あいつが剣士である限り、俺は絶対に負けねぇから!」


「怖がりのくせに何言ってんのよ!? 死神と戦っている時のあなたの脚、ずっと震えてたの知ってるんだから!」


「ぐっ!? あれは、ただの武者震いだ! それに今の見てただろ? 俺はあの死神に片膝を付かせたんだ! もっと頑丈な剣が手に入ったら、次こそは勝てるはずさ! だから――」


 彼は私を見て、


「――それまで一緒に、死神よりも速く走って、逃げ続けるぞ!」


 と言う。


 彼の言葉は根拠のない自信に満ち溢れていた。

 でも、そんな彼だからこそ、死の運命を覆せたのかもしれない。


 私は死神憑きの王女。これから先、行く先々でたくさんの困難が待ち受けているだろう。


 だけど彼が隣にいて、一緒に走ってくれるなら、私は決して生きることを諦めはしない。


 そのためには、私もいつまでも意気地なしではいられない。

 今までの感謝を込めて、私は彼に想いを伝える。


「ありがとうっ!」


 そう言い、私たちは無我夢中で走り続けた。


 ――斬首の音が近づいてくる。

 漆黒の鎧を着た死神が、また一歩私に接近した。その存在に狙われた対象は、脚が動くまで死神から逃げ続ける。いつか必ず、彼が死の運命を払ってくれるその日を信じて。

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