死神よ、その素直じゃない女に手を出すな!

萌えるゴミ

第1話

 ――斬首の音が近づいてくる。


 漆黒の鎧を着た死神が、また一歩私に接近した。その存在に狙われた対象は、決して抗えない死の運命を辿ることになる。


 そんな死の兆候を感じながら、私はいつもの城内の庭園で目の前にいる彼と馬鹿話に興じていた。


「言葉遣いには気をつけなさい! そんなんじゃ、あなたの主人である私の品位まで疑われるわよ!」


「うっせぇな! 俺は世界一の剣豪目指してるんだ! 処世術なんか、必要ねーんだよ!」


 そう言い仏頂面で大それた夢を語る彼は、金色の髪が特徴的な私の騎士だ。


 彼との出会いは遡ること5年前。


 この国には、王女が10歳になった時に同じ歳の男の子を騎士にするという古くからの慣わしがある。


 当初はもっと礼儀作法をみっちり叩き込まれた少年が来るのかと思っていたけど、実力重視の選考だったためか、私の元に来た彼はこの通り礼節のかけらもありはしない。


 まぁ私としても、いつも王女として、淑女としてを徹底するのは面倒だ。

 そのため彼の素行に関しては矯正せずに今まで容認してきたけど、いつまでもこのままというのはよろしくない。


 それに彼は見てくれは悪くないし、腕も確かだ。

 最低限の礼節さえ身につければ、何処かに雇ってもらえるはずだ。


 だから私は口酸っぱくして彼に言う。


「身分社会は腕っ節よりも礼節が重要なの。れ・い・せ・つ・が! 今までは私が女神様のように寛大だったから、あなたの行動を許してあげていたけど、他所に行ったらそうもいかないわよ!」


「寛大なやつが、自分のことを女神様とか言わねーよ! ……大体、俺はお前の騎士として雇われてるんだから、今更他所に移るなんて面倒なことしたくないね」


「ワガママ言わないの。私はもうすぐ死ぬの。そうなった後、『あの王女は家臣の躾を怠っていた』なんて思われてたらと思うと、死んでも死にきれないわよ! だから、死ぬ前にご主人様を安心させてあの世に逝かせてよねっ!」


「お前、そういうこと……笑いながら言うなよな、マジで……」


 彼は不機嫌そうに頭をわしゃわしゃかいた。


 そう。私はもう時期死ぬ。


 何故なら、3ヶ月ほど前から死神の気配を感じるようになってしまったからだ。

 死神とは、漆黒の全身鎧を身に纏い、その身の丈以上の大剣を携えた異形の存在のことを指す。


 そいつに狙われた対象は、1年後に抗えない死を迎えることになる。

 だから私は彼をずっと自分の手元には置いておけない。

 彼は口が悪いし、喧嘩っ早いところもあるけど、根は良い奴だということを私は誰よりもよく知っている。

 私が死んだ後、彼には食い扶持に困らない安定した職に――何処かの貴族の騎士とかに、なってもらいたいと考えている。


 ただ、今のように暗い雰囲気になられると私の調子も狂ってしまう。


 だから私は努めて明るい笑顔を作り、からかうように言う。


「騎士のプライドとか傷つけちゃったらごめんね〜! だけど、私としては短いなりに良い人生だったよ? だって、王女だからみーんな私にチヤホヤしてくれたし、美味しいものもたくさん食べられたし……一応あなたとも出会えたし?」


 私の言っていることに嘘偽りはない。私はとても恵まれていたと思う。

 お父様やお母様よりも早くあの世に行く親不孝を除けば、強烈な心残りなんて、それこそ彼の将来の行く末くらいのものだ。


 だから私は死神に殺される前にこう宣言してやるつもりだ。


 ――私は誰よりも幸せだった! と。


「……そうかよ。まぁ、俺と出会えたのは、本当に運が良かったな」


「……訂正、運の尽きでした!」


「可愛くねーな、お前!」


「あなたもね!」


「――お取込み中失礼します、お嬢様。お嬢様にどうしても治療を頼みたいという相談がありまして……」


 私たちの会話に執事の声が割り込み、私はすぐに王女としての最低限の顔を繕った。

 まぁ今更彼との砕けた会話を聞かれたところで、執事は何も思ってはいないだろうけど、私にも王女としてのプライドがある。


「……どのような方が来られたのかしら?」


「魔物の攻撃を受けて昏睡状態に陥っている少年です。詳しい症状については、実際にお嬢様に見ていただかなければなんとも言えませんが、神官には最早手の施しようもないらしく……」


「わかりました。誠心誠意、全力で治療に当たらせていただきます」


「流石はお嬢様……死神に狙われているにも関わらず、民を見捨てないその優しさ。一国民を代表して、厚くお礼を――」


 深々と頭を下げて感謝の言葉を述べる執事に、私はすっと手で静止した。


「当たり前のことをしているだけです。それにみんなが思っているほど、私は高潔な人間なんかじゃないわ……」


 私には特別な力――強力な退魔の力が宿っていて、魔物に呪いをかけられた人々を癒すことができる。

 もしかしたら、私のこの力が原因で、死神に目をつけられたのかもしれないが、詳しくは正に神のみぞ知る、だ。


 死の運命に囚われながらも人助けを行う王女というのは、第三者から見ればさぞや高潔な存在に映るのだろうけど、私は自分のことをそのような人格者だとはちっとも思ってはいない。


 私の頭の中には死神の足音が今も聞こえている。

 気を抜けば、すぐに死の恐怖に駆られてしまう。

 勿論、私の力で人が助かることに関しては嬉しく思うけど、実際のところ、気が紛れるという理由の方が大きい。


 それに私の死後、みんなの心の中に私という存在をちょっとでも良い人として覚えてもらっていたら、私の人生も意味があったのかな、なんて思うことができる。


 巷で女神と呼ばれる私の中身なんて、所詮こんなものである。

 特殊な力を持っただけの、中身はその辺にいる女の子と変わらない。


 ……そう、普通の女の子だった。死神にさえ狙われなければ、ごく普通の……


 ……。


 ……いけない! ちょっとしたことで、マイナス思考に陥ってしまうのは、最近の私の悪い癖になりつつある。


 これでは目の前の彼を不安にさせてしまう。

 彼が私の元から離れないのは、私のそういったところに同情しているからだ。


 だから私は彼に努めて明るく笑ってみせた。


「……というわけだから、とにかく、私を安心させてあの世に逝かせてよねっ! 今日はもうあなたの仕事は終わりだから、礼儀作法の一つや二つでも身につけて、さっさとここを出て行きなさい! わかった?」


 そう彼に言い残して、私は執事と共に歩を進めると、後ろから彼の声が聞こえてきた。


「俺は一生、お前の言うことなんて聞いてやらねーからな!!!」


 彼がまた馬鹿なことを言っているが、私は決して振り返らない。


 ……嬉しくて思わずにやけてしまった、そんな顔を彼に悟られないように、私は前へと歩き出す。


 ――斬首の音が近づいてくる。


 漆黒の鎧を着た死神が、また一歩私に接近した。その存在に狙われた対象は、逃れられない死の恐怖で眠れぬ夜に苛まれる。


「――はぁ、はぁ!!」


 悪夢にうなされて起きると、寒い季節だというのに、私の枕はぐっしょりと自らの汗で不快に濡れていた。


 ……夢を見た。

 死神が持つ巨大な剣で、惨たらしい最期を迎える私の夢。


 夢で良かったという安堵と、未だ夢でしかないという恐怖の板挟みとなった私は、ベッドの上で膝を抱えながら、ただひたすら震えることしかできなくなっていた。


 ……やだ、やだ、やだ!


 死にたくないよ、もっと生きていたいよぉ……。


 なんで私が殺されなきゃいけないのよぉ……!


 お願いだから、誰か助けてよぉ……!


 悟りを開いたかのように気にならない時もあれば、今のようにどうしようもない恐怖に苛まれることもある。

 こういう時はひたすら楽しいことを空想するようにしているけど、今は生への執着心をより刺激してしまい逆効果となっていた。


 私の終わりを告げる死神の足音は、日増しに現実に近づいてきている。

 いよいよ小手先だけの現実逃避が、通じなくなってきたのかもしれない。


 だけどそんな私を勇気づけてくれる音がある。


 それは窓が小刻みに揺れる音だ。


 少しでも脳裏に響く死神の足音を誤魔化そうと、私は音の方向に近づき外を見る。

 そこには中庭で木剣を振るっている見慣れた彼の姿。

 月明かりで照らされているその横顔は、私と話す時とは違って、いつになく真剣な顔つきだ。


 未だ陽も昇りきっていない内から、彼は毎日、自らの肉体を鍛えている。

 しかし、今日は随分と早い。もはや早朝を通り越して夜である。

 こんなことを支えるべき主人の部屋の前でやるとか、あいつは一体何を考えているのやら。


 ……それにしても。


 熟練の剣士は、大気を震わすほどの覇気を纏うという話を耳にしたことがあるが、この揺れは彼がその領域に達しているという証なのだろうか。

 

 都合の良い妄想でしかないけど、彼ならばもしかすると私の死の運命を変えてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待を弱い私の心はどうしても思い描いてしまう。

 でも、今はそんな妄想のおかげで随分と私の心は随分救われた。


「……ありがとう」


 普段なら絶対に言ってやらない彼への感謝を、一人しかいない自分の部屋で何度も反芻する。

 素直じゃないそんな私の傍に、果たして彼はいつまで寄り添ってくれるのだろうか……そんなことを考えながら、私は再び眠りについた。


 ――斬首の音が近づいてくる。


 漆黒の鎧を着た死神が、また一歩私に接近した。その存在に狙われた対象は、孤独な死の運命を強制される。


 死神に狙われてから9ヶ月が経過した。私の周りにいた世話周りは、忠誠心の低い順に消えて行った。

 残ってくれた人間も、私に近づく時は、何処か引き攣った顔をしているような気がする。


 言うまでもなく、私の命を狙う死神の影に怯えているのだろう。

 未だ私には3ヶ月程度の猶予は残されているけど、人間とは不安を鋭敏に感じやすい生き物だということがこの一件でよくわかった。


 ……まぁ仕方のないことだ。


 死神の存在に関しては、わかっていることよりも、わからないことの方がずっと多い。

 何かの気まぐれで私の死期が早まって、私の命を奪いに来た次いでに彼らが巻き添えになる可能性だってある。


 そういうわけで、退魔の力を使った治療依頼も、いつの間にか全然来なくなっていた。


 まぁこの頃になると、私も自らの死の運命を受容しているため、心の波は基本的に穏やかだ。


 ……でも、今日は違う。酷く荒れ模様である。


「大変長らくお世話になりました」


 私の心の支えであった彼もまた、旅立つ日が来たらしい。

 ちょっと前までは敬語の存在すら知らないようなやつだと思っていたのに、今では悲しいくらいに上手くなっていて、何処に出しても恥ずかしくない騎士になっていた。……いや、なってしまっていた。


「……別れの挨拶はそれくらいでいいわ。まだまだ細かい所作に関しては拙いところもあるけど、これからも精進していきなさい! 幸い、あの辺境伯は、器が大きいから、よほどの粗相をしない限り、あなたのクビが切られることはないでしょう」


 ……やだ、行かないでよぉ!


 そんな心の声を、私は決して彼には言わない。


「はい、全ては姫様の教育のおかげです。これで、私は姫様の評判を穢さずに済むだけでなく、一人前の騎士として伯の元でお仕えできます」


「そうよ。生意気なあなたの教育には、本当に苦労させられたわ! ……まぁ、これからは新天地で頑張ってね!」


 ……やだ、やだ、やだ!!!


 ずっと側にいてよ! なんで行っちゃうのよ!


 ……一人にしないでよぉ!


 そんなことを思っても私は決して声には出さない。表情にも出さない。


 そんな我慢の代わりに、一つだけ彼に頼み事をしてみた。


「……いつも通りの口調に戻していいわよ。あなたのそんな態度見てたら、調子狂うわ」


「しかし――」


「――今日が終わるまでは、あなたは私の騎士でしょ? これはあなたの主人としての最後の命令よ」


「……わかったよ」


「ねぇ、あなたは私が怖い?」


 ちょっとした沈黙の後、彼は申し訳なさそうに首を縦に振った。


「……ずっとそばにいてやれなくて、ごめんな!」


 そう言う彼の顔は悔しさと恐怖で歪んでいた。

 彼もまた、他の人たちと同じくらい……いや、それ以上に私に恐怖を感じているはずだ。


 その理由は彼が優れた剣士だからだ。


 人間には第六感と呼ばれる特殊な感覚器官がある。

 一流の剣士は、そういった強者の気配を鋭敏に察知してしまうらしい。


 彼は巧妙に隠してくれていたけど、ある日私は気づいてしまった。私を見て苦悶の表情を浮かべている彼の顔を。震えている彼の手を。


 私への死神の干渉は日増しに強くなっている。

 彼にとって今の私は、さぞや恐ろしい存在になっていることだろう。


 こうやって、彼が私の前で別れの挨拶をしてくれただけでもありがたいと思わないとね。

 それに、彼の中の私に向けられる感情が、恐怖だけでないことを知って、私の心は少しだけ楽になった。


「……もう十分守ってくれたから気にすんな、バ〜カ……!」


「俺はお前に何もしてやれてない……! ……今もただ、死神が怖くて逃げるだけだ!」


 そう言い彼はらしくもなく涙を浮かべていた。私は本当に幸せ者である。本当に、本当に……。


 ――斬首の音が近づいてくる。


 漆黒の鎧を着た死神が、また一歩私に接近した。その存在に狙われた対象は、やがて自らが愛した世界からも拒絶される。


 ……私の余命は後1ヵ月となった。


「お嬢様……。このようなことを私の口から申し上げるのは、大変心苦しいのですが……」


 執事が頭を下げ、拳を振るわせながら私に残酷な言葉を告げようとしていたが、私はそれを手で静止する。

 最後まで言われなくてもその先の意味は察することができるし、世話になった家臣にそんなことを言わせては主人として失格だ。


 要は「誰も道連れにしないで一人で死神に殺されてくれ」ということである。


 ……仕方のないことだ。


 別に執事も言いたくて言ってるわけではないことくらい私にもわかっている。だからこそ、私がその意を汲んでやればいいだけだ。


「わかっております。お父様とお母様は、私を最後までこの城に留めておくおつもりでしょうけど、国民まで巻き込むわけにはいきません。明朝、こっそりとこの王都から出て行きます。城の裏口にいる近衛や王都の門兵……その道中の口裏合わせをお願いします」


 執事は頷いた。


「はい。どうか、お嬢様が安らかな最期を迎えられるよう、家臣一同、心から願っております……!」


 怯えながら、泣きながら……執事は頭を下げた。


「ええ、ありがとう……。あと、お花の水やり。お願いね……」





 こうして城を出た私は、死に場所を探し求めて彷徨った。

 どうせなら魔物がいる場所で、人類の天敵を巻き添えにして盛大に逝こうと思ったが、人が住んでいる国には案外そういう都合の良い場所はないらしい。


 ならばそこまで直々に赴いてやろうと思ったが、道に迷っている間に死神がやってきそうな気がするし、段々面倒になってきたから結局諦めた。


 取り敢えず人の少ない場所を目指しながら、残り少ない私の短い人生は未だ続いていく。


 ――斬首の音が近づいてくる。


 漆黒の鎧を着た死神が、また一歩私に接近した。その存在に狙われた対象は、死の間際にほんの僅かな光明を見る。


 ……私の余命が後1週間となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る