さくさくサブレショートショート

式次第

まゆちゃん

 砂場の真ん中に、しゃがんだわたしと同じくらいの背丈の砂の山がある。

 わたしはせっせとシャベルをうごかして砂の山を大きくする。

 山の反対側からひょっこりと顔を出したまゆちゃんが、へんなものを見る目をわたしに向ける。

「『ほんとうのじぶん』?みーちゃん、なにいってるの?」

 まゆちゃんは砂山の向こうで何か作業する手を止めないままに話し始める。

 自分まゆちゃんとはすなわちメモリの状態であり、である以上は『本当の自分みーちゃん』なるものも必然的に「毎ステップ実現されている、それ」程度の意味しか持たない。言い換えれば本当の自分とは今ここにある自分と等価であり、これは〈こちら側〉の世界が十分高速に動作しているためだ、と。

〈こちら側〉に越してきたばかりのわたしと唯一仲良くしてくれるのがまゆちゃんなのだ。

 幼稚園の友達と離れ離れになって入学した小学校。この街の音とか空気は、生まれた街のそれらと少しずつ違う。ひとりぼっちが嫌いなわけじゃない。ひとりぼっちな状態が実現されていたのがその証左だ。

 入学式を終えてしばらく経った5月、相変わらず1人で帰っていたわたしにまゆちゃんが声をかけてきてくれた。

 それからは毎日2人で帰っているし、家にランドセルを置いてから公園の砂場でまゆちゃんと遊ぶのがわたしは好きだ。


「それは〈運命病〉だね」

 喫茶店のテーブルを挟んだ席でまゆちゃんが言う。

 期末テストの勉強会と銘打ってテーブルに広げた教科書やノートの隙間に、まゆちゃんが注文したメロンソーダやチョコレートパフェやミックスグリルが器用に並べられている。

 わたしが解き方のわからない問題を指で示すと、まゆちゃんはパフェを掘り進めていたスプーンをシャーペンを持ち替えて応じる。

「〈運命病〉にかかった子はね、ある時突然、本当の自分はこうではない、人生とはこういうものではない、運命が足りない、と言い出すんだ」

 まゆちゃんを照らしていたスポットが消える。

 わたしは衣装のスカートを引き摺らないように持ち上げながら体育館の暗い舞台上を素早く移動し、バミリの上に立つ。

 まゆちゃんは王子様の装いでそこにひざまずいてあり、照明がカッと焚かれると同時に、わたしの方に手を伸ばして言う。

「遠い昔の在り方の、残り香のようなものだと考えられているね。存在することが、もっとばらついて理不尽だったころの」

 廊下に貼り出されたクラス替え名簿をひとりで見ていると、まゆちゃんが声をかけてきた。2年生もまゆちゃんと同じクラスだ。

 まゆちゃんはわたしの手をとってほほえむ。

「越してきたばかりの子には珍しくない症状だけれど、みーちゃんがそれに苦しむ必要はないよ」

 卒業式の最中だというのに、隣のパイプ椅子に座ったまゆちゃんはわたしの顔を覗き込んで話している。わたしも控えめにまゆちゃんの方を見て笑う。

 高校三年間はあっという間だったな。

 担任の先生に名前を呼ばれたまゆちゃんが元気よく立ち上がって返事をする。

「〈こちら側〉では大好きな瞬間だけが実現され続ける、んだって。私達にはもう、この文章の意味がよくわからないよね。誰も戻ろうとはしないよ。だって大好きなんだから」


 机に突っ伏して眠っていたわたしが目を覚ますと、赤い西日が差し込む放課後の教室には誰ひとり残っていない。よだれを拭いてぼーっとしているわたしの両目を、背後から伸びてきた手が覆い隠す。声が耳元でささやく。

 その声の主を知っている。


「もちろん、この世界にはみーちゃんがたったひとり、って可能性も排除はできない。でもそれは単に原理的に判別不可能なのであって、解くべき問題ではないんだよ、みーちゃん」

 入学式。電車で通う高校だけど、まゆちゃんが一緒だから心強い。

 勉強熱心なまゆちゃんは単語帳をひらいて呟く。

「生きてること、幸せであること、すべてがあるべきところにあること、……これらは今や同義語になったんだってば」

 青いリボンで包装されたチョコレートを両手でわたしに差し出して、冬服にマフラーを巻いたまゆちゃんが言う。

 お互いに照れて目も合わせられないのにまゆちゃんは続ける。

「〈運命病〉は高々、実時間にして数ミリ秒で修正されるはずだよ。だからみーちゃんは憂慮する必要すらないんだ」

 わたしの撃った水鉄砲がまゆちゃんを直撃する。夏の陽射しを手で避けながらまゆちゃんが波をすくって反撃を試みる。

 わたしたちはげらげらと笑い、青空は底抜けにビビッドだった。

 身体に張り付いた制服が潮風に吹かれてつめたい。この調子では、着替えなくちゃいけないな。

「私とみーちゃんの、とっても短い今までも、非常に長いこれからも、だからもう全部安心なんだ。私達は、大好きな瞬間だけのクリップきりぬき集という形にたどり着いたんだよ」

 クラス対抗リレーのアンカーを務め上げたわたしは、ゴールテープを切ってすぐにまゆちゃんに駆け寄る。

 ハイタッチをしたところに突風がきて、口に入った校庭の砂をふたりでひいひい笑いながら吐きだす。こういうところも息ぴったりだ。笑いがなんとか収まったまゆちゃんが顔を上げて言う。

「だからお願い、私が在るって言って。みーちゃんを実現する舞台装置としてではなく、みーちゃんと共に幸せを感じる私が、たしかに存在するって保証して」

 まゆちゃんが作ってきてくれたお弁当を、屋上で陽を浴びながらふたりで食べる。

 とろけた雲が空をゆっくり流れてゆく。

 こんな景色をいつまでも見られたらいいな、とわたしは思う。

 思うことができる。

「みーちゃんお願い」

 朝練に向かう早朝の電車で、わたしに肩を預けて寝ぼけるまゆちゃんが言う。

「みーちゃん」

 何度だって何度だって、この上なく幸せなわたしたちだった。

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